private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

第16章 5

2022-10-16 14:22:03 | 連続小説


R.R


 ジュンイチもリクオも、なにやら言いたげなのはナイジにも十分に感じていた。もしくはナイジから何らかの説明をしてくれるものと期待している素振りが見て取れる。
 だからといって、ナイジにはその問いに答えることはできない。例え近い仲でも自分の弱点をさらけ出すのは、戦いを直前に控える者にとって絶対にしてはいけないことだ。
 ふたりから問われる前に先手を打つために、必要なことだけを説明しはじめる。
「あのさ、わかってるけど何も聞かないでほしい。彼女は必要なんだ。ふたりに迷惑をかけることになるから、見なかったことにしてもらって構わない。手伝ってくれて感謝してるよ」
「ナイジ、オマエ… 」そうリクオが言いかけてジュンイチが止めた。そして首を振る。
「ありがと。わかってくれて。悪いけど、あとはガレージの外で待機して、合図が鳴ったらシャッターを開けて欲しいんだ。いろいろしてもらってこんな言い方するのもなんだけど、ここからはオレ達の問題なんだ」
 そこまで言うと有無を言わせずウインドウを上げ、もう二度とふたりの方へ顔を向けることはなかった。リクオはまだ何か言いたげでも、ジュンイチに促がされガレージを後にした。
 もうどんな正論をたてにとろうとも、今のナイジの耳に届かないだろうし、いまさら人の意見で自分の行動を覆すとも思えなければ、あとはナイジに託すしかなかった。
「ワリイな、ジュンイチ。アイツ、悪気はねえからさ、許してやってくれよ」
「大丈夫ですよ、リクさん。わかってますから。ナイジのヤツ、何か隠してますね。素人の女性をナビに乗せることがどれだけ危険か。これは、彼女自身と、ナイジのドライビングと両方に関わることですけど。その危険を承知でやるんだから、それだけの理由が在るんでしょうね。もう、あとはレースでその結論を見せてもらうしかないでしょう」
「だな、オレも長くツルんできたけど、今回ほど自我を見せたのは初めてだ。そうゆうとこ見せたがらなかったのにな。なんか変わったなアイツ。オレだけが取り残されてるってことか、ハハ」
 最後は虚しく笑っていた。ふたりは半閉まりのシャッターをくぐってガレージの外に出て、シャッターを完全に閉めて右と左に位置した。サーキットはまだ本戦が続いているので、誰もふたりには気を留めようともしない。
 スタートの合図が鳴るまで、ふたりはそこで待ちつづける。このサーキットの誰よりも、これからはじまるナイジのレースに不安と期待と、少しばかりの妬みを持って時を待ち、同時にこの時間を楽しんでいた。
 シャッターを閉じたことでガレージの中は暗闇になった。お互いの存在が一度消えてしまったあと、少しづつ目が慣れてきたことで、薄っすらと輪郭が認識できるようになってきた。
 この状況だから言える言葉もある。ナイジはそれに頼っていた。とても明るい中で面と向かって切り出せるような話ではない。それでもまだ踏ん切りはついていなかった。
「よかったの? 追い出しちゃって… 」
 マリの言葉には何も答えられず表情をこわばらせる。ナイジも親切にしてくれたふたりに、突き放った言葉を投げつけるのは悪いとは思っても、ここは一線を引くしかなかった。
 これからは自分の戦いの領分で、何者にも四の五の言わせる訳にはいかない。それに、これ以上からませれば、間違いなくあのふたりにも迷惑が掛かってしまう。
 それだけは避けなければならない。ただ、マリだけには何も言わずこのままレースに入ることはできない。困惑する表情のマリがどうすればいいものかもわからず、じっとナイジを見ている。
 マリにはもっと残酷な言葉をかけなければならない。この話しをいますることが正しいのか判断することは難しい。それでも走る前に決着をつけておく必要があり、それはふたりのあいだでは決まっていたことなのだと言い聞かせた。
 マリも何かを感じたようで、互いの耳には自らの大きな心音のみが届き、膨張して張り裂けそうな位に身体を押し広げていく。
「 …あのさ、マリ。オレ、志藤先生に聞いたよ」
 やっとの思いで、そこまで切り出すことができた。不安な思いは、なにもマリだけではない。ナイジの言葉の遣い方ひとつで、もしかすれば二度と今までどおりのふたりではいられなくなる。だとしてもいつまでも黙っているわけにはいかない。
「その、つまり、左手のコト… だけど」
 そして、圧迫しつづける心臓のわななきと供に大きく息をついた。ついに来るべきものが来たのだとマリは覚悟した。
「そうだったの。だから… ごめんなさい… 」
 それだけを言うと口をきつくつむった。何を言っても言い訳にしかならない。そんな状況を招いてしまったのは自分がこの件を先送りにしてきたからなのはわかっていても、ただもう少し時間が欲しかった。自分の気持ちが定まるまでに、そしてナイジの気持ちが見える前に。
「あやまるなよ。マリが悪いわけじゃないだろ。オレがマリの人生に関わった時点から、決まってたことだ。いつかこうなる必要なことだったんだよ。志藤先生だって伯父として最低限言わなきゃいけないことを言っただけだ。 …それは、オレにその覚悟があるのか見定める必要がある。ただそれだけのことだ」
「でも、そんなんじゃ、」マリはいまにも泣き出しそうだ。そうさせたくはなかった。
「オレはてっきり、ここの黒幕に… 社長だかに、良いように遣われたことで、オレに負い目を感じてるんだと思ってた。マリから時折感じられる寂しげな翳の正体は、もっと深刻で残酷なものだったと知った。そのほうが悪かったんだ」
 もう耐えられなかった。マリが閉じた目端から一筋、涙がこぼれ落ちた。そして、自分の口から左手のこと、そして自分の人生の、決められた制限時間について話しはじめた。
 嗚咽をこらえながら話すひとことひとことが、ナイジの心臓を鋭利に切り刻んでいく。
「物心ついた時からすでに、アタシの左手はうまく動いていなかった…
左手だったし、親も回りの人も特に気にならなかったみたいで、
そのうち左手首も不自由になってきて…
思い通りに動かせていない。
さすがにこれはおかしいと親も思ったらしく、病院に連れてかれたけど…
原因も、どんな病気かもわからなかった。
長野からここに出てきて伯父の元で暮らしているのも、定期的な検査と…
新しい、治療法が見つからないか、いろいろな病院を廻っているから、
いろんな治療法もためした、クスリも飲んだ。
良くなった時もあったし、そうでない時もあった。
この世界も、アタシのカラダも何一つ確実なことなど無いって…
知ることができただけだった」
 暗がりの中で少しの明かりがマリの皮膚を浮かび上がらせる。細かく震わせるその動きを目にするだけでナイジはいたたまれない。
「前に話したよね、夢のこと。
左手から徐々にカラダ全体が動かなくなっていく、アタシが見る夢の話を。
それは、夢だけのことじゃなくてね、実際に起きているの。
少しづつ、わからないくらいに…
このごろは、肘の辺りまで悪くなってきてる。
一日、一日、日が進むに連れて細胞が弱って死滅していく、
アタシの命が精確に削られていく、
この先どうなるかお医者さんにも、アタシにもわからない。
どこかで止まってくれるのか、今までと同じように身体を蝕んでいくのか、それとも…
そのことについて誰も約束できないの。
ごめんなさい、いつまでも黙っていてはいけないとはわかってたけど…
アタシにもね、それなりの覚悟が必要だった。
ナイジとね、わかり合うことができる程、それが現実でなくなればいいと思いたくなってきた。
 …ダメだよね、こんなんじゃ、ナイジの迷惑になっちゃうだけだね」
 マリがその説明をするのがどれほど苦しいことか。彼女が生まれもって背負ってきた重すぎる十字架を理解していれば、いまようやく知っただけの自分に、どうして非難することができるのか。
 いったい彼女は物心ついてからこれまで、この世界にどんな風景を見てきたのだろうか。我がままで独り善がりすぎた自分の人生が薄っぺらになっていく。
 だからこそ、なんとかしてあげたい思いは募るばかりだ。わかった気になった慰みの言葉は、なんの意味も持たない。それでもナイジは声を振り絞ってマリに言葉をかけなければならなかった。
「あのさ、オマエがどれほど苦しい思いをしてここまで生きてきたか、それにこれからどれほど厳しい現実に直面するのか、そんなのを簡単にわかった気になって言うつもりはないよ… でもさ、あきらめんなよ、あきらめるのは何時だってできるんだ。オマエが辛いんなら、それを含めてオレが受け止めるから。マリがここまで辛い思いをして生きてきた理由が、オレと出逢うためだったと信じてくれるなら… オレはね、オレは、マリが勇気を持ってオースチンのドアをノックしてくれて、本当に助けられたんだ。この一週間、マリの存在が近くにあって、どれだけそのことを実感したか。ここまで生きてきた意味を、オレの方こそようやく知ることができたんだ」
 ここまでナイジはマリを見ずにフロントウィンドの外をぼんやり見たり、目をつぶったりしていた。そしてようやくマリに目をやる。真っ赤にはらした目がそこにあった。
「なあ、マリ。マリが、そいつを信じてくれるなら、オレはきっとマリを助けられると思うんだ。だからさ、オレに迷惑かけるだなんて思わなくていい。他の誰かが迷惑だって言ったとしても、少なくともオレには必要なんだ… けど」
 マリの固く握られた両手がナイジのTシャツの裾を引っ張っていた、もう何かにすがりつかなければ1秒だって身を起こしていることが出来なかった。そのまま力なくナイジに身体をあずける、何度も何度も首を縦に振る。
「もう、独りぼっちはイヤだよ。もう… 」


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