private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over11.31

2019-05-26 15:35:12 | 連続小説

 なにが健全な18歳なのか自分で決めることじゃない、とかいい言い逃ればかり先に立てて、気づけばおれは、キョーコさんを抱きしめていた。なんとなくそうするのがこの場の雰囲気に似つかわしいと思った、、、 もちろんそれはたんなる方便で、ただ本能の赴くままに行動していた、、、 本能のまま。なんていい言葉だ。
 拒否されれば、素直にあやまるつもりだった。“スイマセン、つい”なんて、キョーコさんの魅力がいけないような言いかたをして、自分はあくまでも素直さを前面に出した言葉を操りながら、いたいけな18歳を演じるつもりだった、、、 いたいけなのか?
 キョーコさんはおれの肩に顔を伏せた。そこからはあたたかい温もりが広がってくる。きっと泣いているんだ。だけど、そんなことはおくびに出しちゃいけない。いくら冷静に対応しなきゃいけないと思ったって、そんな簡単にこれまでのふたりを精算できるはずはない。くしくもおれのスケベ心がキョーコさんの素の部分を引き出したらしい。
「ダメね。ホシノくんに気をつかわせちゃって」
 それはしかたがないことなんだと思う。泣きたい時に泣く、言いたい時に言う。そんな簡単なことをおとなになるにつれうまくできなくなっていく。多くの経験やまわりの影響が、自分のあるべき姿を決めてしまうのはなんとも皮肉なもんだ。
「人間の関係が、言葉だけで完結すれば、そこだけを視ていればいい。内面がどうかなんて自分だけが知っていればいいんだしね。自分に正直になれば、よけいに言葉は重くなる。重くなった言葉は喉を通らずに、また、自分へ戻ってくる。その重みに耐えきれないと心がバランスをくずしていく。理屈ではわかっていても、だからって気持ちまで従わせるなんてできない」
 あいかわらずキョーコさんは、悪い状況へ陥ってしまった自分たちを表現しようとしている。そこから抜けられず、そしてそれを直接言えないのは、良い時を過ごした時期を否定することになってしまうからなのか。
 なんにしろ耳元でそんな言葉をささやかれ、背中にまわされた腕に圧力が加われば、キョーコさんの柔らかな部分との密着度もたかまり、おれなんかにも多少はある理性ってヤツが、カラダのあらゆるところから気化していく、、、 残ったものは自然現象だけだ。
「誰もが未来を知って、恋におちるわけでもないし、誰かを好きになる理由がそこまで深ければ、一歩を踏み出すのはそれ相応の勇気か、何も考えない努力が必要になるでしょ。その時が真剣だからこそ余計に厄介で、そんな考えも年を重ねていけば変わっていく。あたりまえだけど。やり直せないのが人生なら、その時の判断に迷ってちゃ、一歩も進めないのも人生なの。断ち切ることはできても、過去は消せないし、未来にもつながっていく。白紙に戻すわけにはいかない。経験がひとを臆病にしていくと同様に、強い成功体験が離れずに無理強いを押しつけてくる」
 この世に永遠に残るものなんかはない。あるとすれば普遍化した人間の意志だけみたいだ。おれに、そんな話しをするのは、永島さんとは共有できなかった後悔からか。できたからといって特別でもないし、できなくても愛は成立するんじゃないだろうか、、、 なんて偉そうにいっても、いまだ彼女もいないおれが言っても、なんの説得力もないんだけど、、、 気持ちも、アソコも萎えたところで、キョーコさんはおれから身を離した。葬儀場で喪服の女性と、学生服の高校生が抱き合っている図は、どんなもんなんだろう。
「アナタにね、話しをしたかったのは、別にわたしの胸の内を共感してもらいたいからじゃなくてね… 」
 はあ、まあ、そうでしょうね、、、 ですぎたまねをってやつだ、、、 おれにはキョーコさんを支えられるほど、経験や包容力があるわけじゃない。ただ毛色の変わった、、、 キョーコさんから見れば、近い毛色の、、、 人間がたまたま近くにいただけの話だ。胸の内は共感する必要はなくても、胸にしまわれていた呪縛は解放できたようだ、、、 できれば、しまわれた胸を解放して欲しかった、、、 言うと思った?
「 …あなたに、もらって欲しいの」
 えっ? さあ、どうする。一度はおとなしくなったってえのに、これじゃあ復活ののろしをあげてしまうじゃないか。おれの欲望が届いたのか、これはいったん高まった熱を冷ましておいて、そのあとでさらに盛り上げて気持ちを昂ぶらせる、大人の女性ならではの高等技術か。そうまでして、おれなんかにその大役を担わせていいんだろうか。永島さん亡き後のキョーコさんを支えるのは無理があるけど、このタイミングでもらって欲しいっていわれれば、、、 よろこんで!、、、 世の中はいったい誰に親切なのか。
「アイツのクルマ… もらって欲しいの」
 よろこんで!、、、 あっ、はい? クルマ、、、 ですか?
 なにやら、いま、おれに向かってクルマの風が吹いている。それまで自分とはまったく関係のない物体だったのに、急速に身近になってきた。きっかけはマサトで、アイツのひと言からこの夏休みが始まったといっても過言ではなく、きっと年をとってからも、夏が来るたびに、マサトの言葉を思い出すんだ。まったく、とんでもない摺り込みになった。
 さて、自転車以上の速い乗り物を操縦したことがないおれが、突然クルマをもらったってどうすればいいのか、、、 もちろん免許もない、、、 就職組のヤツラが誕生日に合わせて順番に自動車学校へ入校して免許を取っていくなか、12月生まれのおれは、中途半端に進学の可能性を模索しているおれは、いまのところ免許をとる予定もなく、貴重な夏休みに図書館に通うふりをして、バイトして、いくらかの手にした給料を母親に巻き上げられるのが今後の予定だ。
 まるで18にもなって免許をとらないことが、さも常識外れであるかのように。あたりまえと横並びだけが正論としてまかり通っているもんだから、ひねくれもののおれは素直になれず、人の数の多さだけが世間の常識としてまかり通っているだけとか、履歴書に書ける項目がひとつ増えるだけが生きてくことの証のようで、そんなこだわりが、自分の生きる範囲を狭めていき、自分の意地との根気比べになっている。
 予期せずクルマを手に入れることになり、あのクルマをどう有効に遣えるか思いつくのは、マサトとクルマ代を折半しようと、話しを持ちかけられている流れで、なんなら母親に取られるバイト代のかわりに、マサトのバイト代をいただいて、このクルマを譲ってやってもいいかなぐらいで、、、 そんなバチあたりなこと考えて、キョーコさんにバレたら立つ瀬がない。でも、おれが持っていたって正にネコに小判、、、 ブタに真珠のほうがいいか、、、
 おれがふざけたことを考えているあいだに、キョーコさんはポケットから取り出した、いくつかのカギがついたキーホルダーの中から、クルマのカギであろうひとつを段取り良く外して指でつまんでいる。おれが手を伸ばすのを待っているのだ。
 何も言わず、その姿勢も変えないキョーコさんは、おれから目を離さない。おれが手を出しそびれているのは、そこに多くの責任が一緒にぶら下がっているのが見て取れるからだ。おれだってまだ高校三年生なんだから、まだ知らぬ人生の重みなんてものを背負い込みたくはない。
 キョーコさんは、態度を決めかねているおれの心理状態を見透かしているように、そしてどこか楽しんでいるようにキーを揺り動かしている。催眠術にでもかけようというように。そしておれは手を伸ばす。
 それはある種の決まりごとを遂行しているのと同じだった。決められた時間に決められた電車に乗り込むのとなんら変わりのない、自分の意志が介在することもなく、そうしなければ地球は回転をやめ、太陽が東から昇ることもなくなるぐらいに不自然になってしまいそうで。
 おれの行動が原因で太陽が西から昇るなんて、これまでも何度も言ってきた自己中心理論の最たるもんだけど、しばしば人はそうやって、あっけなく責任を背負ってしまう愚かな面もあるんだ。
 子ネコがおれのことをバカにして、鳴いている光景が目に浮かぶ。“なにやってんだ、ミルクをもらうのにそんなに苦労してちゃ、この先ろくな生き方はできないぞ”そうなんだ、そんなに単純に物事を考えられたら、もっと要領よく人生を謳歌できるはずなのに。
 そうしておれは、自分で行き先を決める手段を手に入れた。他人から促され決めたこと。自分で選んだようで他人に支配されていこと。そんなものは、はじめからなかったと同じで、乗っかった道で自分にとって良い結果を出せるかどうかだけが、人生の最良を決めてくれる。
 キョーコさんは、さまざまな重い荷物を手放して身軽になったみたいで、軽快にベンチから立ち上がり颯爽と去っていった。このやりとりが彼女にとっての最良になればいい。
 逆に、重い荷物を背負わされたおれは、ベンチに沈み込んだ重い腰を上げられずにいた。重たいのは気持ちだけじゃなかった。身体にのしかかる、そうあるべき人の目が四方八方からおれの身体を押さえつけていた。
 自分の成長というものは、自分の意志とは関係なく、勝手に進んで行くんだ。産毛が濃くなったかと思ったら、あっという間に黒々としてきたチン毛も、それと時を同じくして、夢の中で勝手に精通をしてしまったり。自分がどれほど目を背けていても、身体は成長していくし、重ねた月日の数だけ世間が人並みの行動を求めていく。
 おれは常々思っていた。だれかに委ねて自分をどこか別の場所へ移動するって、なんだかそこに自分の意志は介入していないんじゃないかって。それが、通学で電車やバスに乗るときでも、親のクルマで一緒に買い物に出かけたときも、ましてや旅行にでかけたときなんて、予定と時間消化の流れの中で、自分の身だけが意識と切り離され、決められた工程を進んでいるだけにしか思えなかったから。
 女性の感触だけをおれのからだに残して、キョーコさんは去っていった。永島さんと共に、もう二度と逢うことはないんだ。結婚式に涙しても不思議ではないが、葬式で笑えば常識外れになり、実際の理由は悲喜こもごも、ひとそれぞれであったって、誰も表面上しか見ることはできない。