private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over11.1

2019-05-12 06:18:47 | 連続小説

 翌日、スタンドに来なかったのは、ツヨシだけではなく、永島さんも、、、 だった。
 そんな言い方をすれば、ツヨシが来ないのが正しくて、自分の意に反した結果に不満があるように聞えるかもしれないけど、もともとおれには永島さんが来ないって選択肢はなかったからそういう言いかたになっただけだ。
 今日は日曜日。永島さんはレースの練習走行があり、もともとスタンドに来ない日だった。最初からそのつもりでツヨシが来ないって賭けをしたんだろうか。つまり、たとえツヨシが来たとしても、永島さん的には来なかったことになり、賭けはおれの負けになる、、、 なんて、笑い話ができたらよかったんだけど、その悲報が届いたのは昼すぎのいちばん熱いさなかだった。
 事務所の中でオチアイさんとマサトが、なにやら深刻な顔で話してる。おれはひとりでバタバタと働いていた、、、 いつもの日曜だ、、、 働けマサト。
 おれがガソリンを入れ、窓ガラスを拭いているとマサトが近寄ってきて、永島さんが事故を起こして病院に担ぎこまれたと、キョーコさんから連絡があったと告げてきた。そしてずいぶんと深刻な状況であると、やけにマサトが真面目な顔してるもんだから、こんな真剣な顔見たの久しぶりだなあと、別の感情が先に立った。
 だいたい接客中にそんなこと言われても、お客さんの手前、驚くことも、動揺することも、そして状況をくわしく訊くわけにもいかず、そうか、早く良くなるといいな。なんて、その場をやり過ごす言葉を吐くしかなかった。
 おれはその後もふだんと変わらず黙々と仕事をこなすなか、誰もが永島さんの動揺を隠せないまま、無駄口をたたくこともサボることもなく、スタンドを右往左往して駆け回り、仕事に従事しはじめちゃって、ふだん永島さんはそれほど業務にかかわっていないから、みんながそんなに頑張っちゃたら、おれに仕事がまわってこず、なんだかずいぶんラクになるなあなんて、こっそりとニヤケてしまった、、、 かくゆうおれだって、普段じゃなくなっていたんだ。
 みんな永島さんが心配ではあっても、ただその続報を望んではいないようだ。電話が鳴るのが怖くて、事務所に近づかず、時間を忘れようと仕事に没頭している、、、 ふりをしている、、、 それでも昨日してたことを、今日一日やらなければならないのが社会の時間の回り方なんだ。
 クルマの出入りが多い一日で、忙しさもあった。みんながそんな状態だったから、カラダは動いていても、いつものように立ち回れていなかったこともある。なにかとバタバタとして、そのくせ誰も口を開こうとせず、日頃の雰囲気とは程遠い、重苦しい状況だった、、、 あたりまえだ。
 事務所で仕事のある女性大生のおねえさんは、ひとりで心細そうだった。電話が鳴れば自分が出なきゃいけないんだから、いやな役回りを押しつけられたと感じているだろう。
 普段なら二階の個室にこもりぱなしで、顔を見せることはないオーナーまで出て来て、なんだか陣頭指揮を取りはじめようと勇ん出てきたが、なにを言っていいのかわからないので腕を組んで唸っていたから、女子大生のおねえさんに椅子に座らされ、電話当番をおしつけられたようだ、、、 いい役どころだ。
 クルマが途切れたタイミングでマサトが声をかけてくる。
「オマエ昨日、永島さんとめずらしく話しこんでたろ。あのボウズがかーちゃんに連れてかれたあとで。何か言ってたか。ほら、なんか心配事でもあって、それが影響したとか」
 ツヨシはもう二度とここへは来ないと断言していた。来たらガレージでかくまってていいって。そんな話しをしていた、、、 だいたいおれに悩みごとを話す仲だとでも思ってるのか、、、 自分の明日がどうなるかなんて誰もわからないんだ。自分がこうしようと思っていたってそうなるわけじゃないだろ。
「なんだよ。そんなの理由にならないじゃないか」
 永島さんが事故した理由をどれだけ考えたって、なにか前ぶれがあったとか、なかったとか、それはコチら側の勝手な憶測にしか過ぎない。わざわざ何かことを起こそうとするとき、あえてそれをニオわせるならば、それなりの含みがあるときだけだ。サーキットに行く前の日にクルマもイジらず、子どもの寝床に提供したってことがすべてなんじゃないのかって、おれだってそんなことぐらいわかる。
 見ようによっちゃあ、そんなのは日頃から感じてたはずだ。例えばキョーコさん、、、いや、キョーコさんのことしかないだろ。だからふたりは疲れていった。そしてどちらも降りられなくなったゲームを終わらせるには、どちらかがその場を去るしかなく、それがたまたま、今日であっただけの話しで、そいつに理由付けしなきゃならないのは、本人達以外のその他大勢のやりたがることだ。
「キョーコさんに原因があるってのか? なに言ってんだよ。あのふたりにそんなわけないだろ。あいかわらずだな。おまえも少しは心配したらどうなんだ」
 ということで、どうやらおれは、大切な先輩の状態を心配することもない、冷たい人間だって正面切って言い張られた。まあいいさ、そう思われたってどうってことはない。これまでだって、知らないあいだに悪者にされてたことは何度でもある、、、 夏休みまえの一件だってそうだ。人と差別化することで自分の存在を確かめているヤツラもいる。いちいち相手をしてる暇はない。自分のためにやることはいやになるほどあるんだから。
 葬式だって悲しそうに見えなくても傷ついている人はいるだろうし、大泣きしていても早く帰りたいと思っている人もいるはずで、、、 おっと、それは、いまは例えが直接的すぎだ、、、 驚かないから人間味がないとか、悲しまないから情けがないとか、分量で量れるのなら、一人一人にそのメーターでも付いてりゃ、わかりやすくていいんだろうけど、そうじゃないのが人間のいいところでもある。
 そして、その日の仕事終わりを見計らったようにして、キョーコさんは現れた。
「タツヤ、死んだって」
 抑揚のない言葉だった。あまりにも普通すぎてマサトは、言葉の内容と意味が一致しておらず、『そうだったんだ。よかった、じゃあおれも帰るか』と言って、ひとり帰りの歩を進めはじめ、二、三歩進んだところで、絶望の顔で振り返り、声もなく大きく口を開いた。マサトを止めようとしたみんなは、伸ばしかけた手をおろして、こうべを垂れ、肩を落としていた。
 マサトは泣いていた。オチアイさんはアタマをかかえて椅子に堕ちた。オーナーも悲痛な表情をみせた。女子大生のオネーさんはキョーコさんに抱きつき泣き崩れた。キョーコさんは神妙な顔をしているが、なにかを量ったようにおれを見ている。オーナーは、、、 オーナーはいなくなっていた、、、
 そんな中でもうひとり、おれと同じように、、、 たぶん、無表情の中に深い思いをしまい込んで、、、 冷静でいる人がキョーコさんだった。最初から、そうではないかと思っていた。理由はないけど彼女もまた、こういった状況を冷静に捉えてしまうタイプの人間なのではないかと。
 『死んだって』と言うなら、キョーコも誰かから聞かされただけで、自分では確認していないってことだ。おかしいじゃないか、その場に立ち会っていないなんて。それがいろんな意味で、キョーコさんと永島さんの関係を物語っているんじゃないかって。
 おれもあきれるほど落ち着いてその事実を冷静に読み取って、あいかわらず自分の感情が大きく動くこともなく、ただ、ああそうなんだと。縦割りにすべての物事を二分化できれば、効率とか能率を考えて、統計的にそう判断して生きていければいくらか要領よくなれるのかもしれない。
 そして、おれはそのどちらにもなれず、まわりが自分の感情を表に出すことをいとわない姿をただ漠然と眺めていた。近い人が事故をして重傷となり、そして死んでいった、、、 それなのに感情が振れないのはどうしてかなんて説明できないけど、どこかでヒトの不幸や悪事を想定していたり、望んでいたりもして、自分でも恐ろしくなるほど冷酷になっているときがある。
 自分がそんな無関心でいられるのに満足してるわけではなく、できれば悲しむ気持ちが湧き出て欲しいと思っていた、、、 思って出てくるわけもない、、、 だからって、表面上で悲しむポーズをするのにはもっと抵抗があった、、、 そうして、おれができることといえば無表情でいるだけだ、、、 それが一番、当り障りのない態度だからだと思えたんだけど、無表情はイコール無関心で、冷たいヤツってことになるわけだ。
 おれがそんな態度でいるのは、昨日の朝比奈との別れ際の言葉も一役かっていて。なぜか少し悲しげな表情の朝比奈は『ナガシマさんと、話しができて良かったんじゃない。彼もよかったと思ってるわよ。 …きっと』なんて、いま思えば今日の日を示唆しているようにも思え、それに気づいたときよけいに冷めてしまった。
 朝比奈が預言者であるわけじゃないだろうけど、おれが勝手にその言葉を利用しているだけにすぎない。こうしてひとの言葉は、本人の想いとはべつに誰かの慰めモノになっていくこともある。
 キョーコさんはおねえさんを落ち着かせてイスに座らせ、そしてひとりひとりの肩をたたき、慰めの言葉をかけていた。一番慰められたい立場のはずなのに、その行為をすることによって気丈に振る舞えているのだろうか、、、 それがみんなの涙をよけいに誘うことになる、、、
 あの日、ガレージの中でかわされた言葉は知るよしもないし、永遠に語られることもないだろう。だけど、この結果だけを知ってしまえば、ふたりは納得しているんだろうと、、、 そう思いたい、、、 でなきゃ、あまりにも悲しすぎるじゃないか。
 こうして、いなくなってから、思いを馳せるおれは、きっとうまく人生を過ごしていないなによりの証拠であると、、、 満足する結果なんて永遠に得ることはない。