想い出すのは「新自由クラブ」や「新生党」のブームだ。特に新生党の勢いは破壊的で、立候補すれば誰でも当選した。新自由クラブで衆議院議員を目指していた仲間の多くが新生党から立候補し当選した。私もチャンスが全く無かった訳ではないが、相談した人から政治家の方向は止めるようアドバイスが有り、断念した。
新潟から出たS氏も国会議員としてはどうかなと思っていたものの、見事当選した。新自由クラブ時代に新潟料理をごちそうになったことを想い出す。しかし、その後は落選続き、刑事事件など色々問題を起こした。
ちょっと脱線したが、ブームの大きさは新生党、前回の民主党、新自由クラブの順で国民の期待も大きく、マスコミも当選へのハードルは低かった。しかし、今回の日本維新の会に対しては必ずしも追い風ばかりではない。マスコミの熱も感じられない。維新の会の支持者の中には私のように何度も失望しながら、性懲りも無く気持ちを奮い起こしている人も多いだろう。
新自由クラブの河野洋平は我慢が足りなかった。サラブレッドでいつも輝いているところに身を置きたかったのではないか。自民党を出た途端、官僚がそっぽを向き情報が入らなくなったとぼやいておられた。演説が上手で、一緒にテーブルを囲んで食事した時、眩しすぎてまともに顔を見られなかった。
西岡武夫議員(新自由クラブ時代に県知事選の推薦獲得で世話になった)に広島に戻って後、連絡し、何度か電話を頂いた。参議院議長で活躍されたが先頃亡くなられて残念だった。
新生党は凄かったね。全国的に支持が広がった。私は時々マイクを持って喋りまくったが反応が非常に良かった。もし、小沢一郎が官僚改革を実行していたら、日本の歴史が変わり、向かうところ敵なしの政党ができた。今頃、日本中に銅像が100以上立っていたかもしれない。社会党を追い詰めすぎて下野することになった。彼は本当の実力者で何でもできた。
小沢一郎が民主党の党首になり問題が浮上した時、すぐに辞めるべきだと切々と文章を書き党にメールを送った。貸しは有るが借りはない。今に至るも小沢一郎が政治家として何を目指したのかがよく分からない。多分、彼は首相になることが目標ではなく、常に強大な権力を行使し得る立場にいたかったのだろう。
橋下は日本人としては珍しい人種だろう。単に頭が切れるだけではない。常に問題を正面に捉え、積極的に解決を図る。当然、反発を買うが、その反発を跳ね返してゆく知恵と機敏性が有る。ただ若さゆえか、自信が有りすぎたか、橋下ほどのキレの無い一般の人々は表面的なことに影響される。つまり、東京代表として松野をあてたことにより特に関東以北の支持率は急速に落ちたと思う。
株でもそうだが、見えない、よく分からない新しいものが熱狂的なブームを呼びやすい。大変失礼だが、民主党からの鞍替えで表情が暗く冴えない松野が東京代表になり、喋りだした途端、冷水を浴びたように人気が落ちてきた。支持率低下で焦った橋下が石原慎太郎の誘いに乗ったと考えるむきは多いだろう。この二人には大いに期待します。
広島3区から中丸ひろむ氏が立候補する事になった。応援を申し込み連絡が無いのですっかり忘れていたところ、電話が入り駆けつけた。事務所は安佐南区西原4丁目33-41 第2森下ビルの2階だ。11月30日現在、まだ、部屋の鍵を受け取った段階で、がらんどう。12月4日9時からの旗揚げに向けて準備を進めている。
この広島3区は自民党が強いところで、先の地方選でも自民党が全員当選、民主党は全滅した。河合氏の優勢は変わらないがどひっくり返せるように頑張らなくてはならない。中丸ひろむ氏は初めての選挙、新人のフレッシュさを前面に出して、官僚機構改革の実現などを訴えてもらいたい。
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