日本人は江戸時代を変遷して、大きく変わった。江戸以前の日本人は、多分、もっとおおらかで、屈託が無く、自然な笑いができた。江戸時代以降は、日本人はあまり笑わなくなった。笑う場合にも周囲の目を意識し、ぎこちちないものとなった。笑いが管理されるようになった。大雑把には、江戸以前が自然体でポジティブとすれば、江戸以降は規制管理されネガティブと言える。何故こんなことになったか?徳川家康という天才が徳川家だけの安泰を目指したがちがちの管理体制を敷き、300年もその体制が続いたからだ。
徳川家康だったか、農民は活かさず殺さずと言っている。過酷な環境、徹底した管理にさらされ当時の人口の85%を占めていた農民は人為的にそれまでと異なる性格や意識を形成されたのだ。過酷だったのは農民だけではない。身分が最上級の武士でさえ、経済的にも、精神的にも相当追い詰められていたものだった。何か事あれば命を投げ出し、主君を守り、命令一つで切腹を強いられる。侍は死ぬことと見つけたりという言葉がある。侍の毎日の精神的・肉体的な鍛錬の行き着くところが、見事な切腹である。
ニュースでは全国の公立高校が必修の世界史を教えなかったことで問題になっている。高校生に是非、分かっていて欲しいのは、日本史では徳川体制を封建制度としているが、同じ名称ながらヨーロッパの封建制度とは本質的に異なることだ。ヨーロッパでは、君主と家来が契約関係にあった。契約は平等な立場に立って成立するし、その関係は保証されている。日本の封建制度では、家来は心の中まで君主、あるいは上司に完全従属しなければならない。従属が道徳や倫理の常識でもあるのだ。日本でも契約が常識化しつつあるが、それでも契約は対等ではない。どんな契約を交わしても上位にいるものがわがままを通せる。
黒船は江戸幕府を大きく揺さぶり、薩長連合の侵攻が江戸幕府を倒すことになり、日本の歴史上かつて無い大きな変革がもたらされることになる。これは、下級武士が中心となった革命であったがために、精神や文化の基本構造までを変革させることは無かった。第二次世界大戦後にマッカーサーが従来の日本をことごとく壊し、自由を持ち込んだが、やはりそれは表面的な変化に留まった。つまり、日本の日本的な精神や文化の構造は激変の波をかぶりながらも、その時々の環境や条件を反映させつつ、実は継続されてきたのだ。
何度も言うが、江戸時代は徳川家の繁栄と継続のみを目的とした体制が築かれ、徳川家以外の人々はそのための多大な犠牲を強いられてきたのだ。江戸時代は強度の管理体制が敷かれた。今の日本も江戸時代とは異なる時代背景・環境ながら管理社会であることに変わりない。日本は社会主義と揶揄されるが私に言わせれば中央の管理という形が社会主義との共通点であるに過ぎない。
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