前回は伊方3号の着工に向け、最後に残った難問を解決したことを紹介した。原子力の負荷平準化に欠かせない新型温水器開発は、途中から入り独自のスケジュール管理で大幅な遅れを改善した。
僕は生まれ故郷でもない電力会社への入社に際して、地域の発展に貢献したかった(*)。目標が欲しかった。僕は純粋にそう思ったが信用する人はいなかった。
* 企画室から営業部を希望。実現すると、1か月で冷凍機械3種、半年で1種に合格。講習会以外で1種をとるのは極めて困難だったがそれぐらい燃えていた(1種の試験は4県で2名しか合格しなかった)。
電力利用の実際も装置も何も知らなかったから、地元のニーズが高い冷風乾燥メーカーを支援しながら展開した。各営業所で冷風乾燥(除湿機能を使った電気乾燥)を試したい希望者を見つけたら、簡単な申込書を作って提出してもらい、招待して試験した。毎日試験に明け暮れることになった。
更に、高周波の乾燥器や真空フライヤー(低温の新鮮味あるフライが可能)など電気加熱試験機も含め各種を開発し、電力有効利用試験センター(自分で名前を付けて忘れた)に置いた。思い出すと10台ぐらいは有ったか。
シイタケ栽培は、菌に温度ショックを与えて目を覚ますよう促し、適正な環境(温度湿度など)を与え、育成するものだ。当初、お客様が坂出の山の中へ1台設置した。次に、訪れた時には数十台になっていて、驚いた。なんかお役に立てている気になった。
カツオのカビつけについては、研究所が実績を作り発表していたが宗田節は開発が進まなかった。そこで、現地に出向き課題を洗い直した。宗田カツオは小さいのと、天井まで積み上げるので庫内密度が高い。風を均一に通す事が最も重要だった。かなり時間はかかったが、何とか成功した。
成功と共に、地域の業者が一気に採用し、あっという間にカビつけ装置が普及した(皆さんは状況を注意深く見ていた)。最終的にはその地域だけで35台ぐらいになったかな。この情報は鹿児島にも流れ、大型のカビつけ装置が設置されたと聞いた。
大型乾麺製造ラインは出向する前の最後の仕事になった。うどんの乾燥は従来、ガス熱風で、その日の天候、乾燥ラインの温度や湿度などから職人がガスバーナーのバルブの開け方を調節する。これが難しい上に次世代にノウハウを引き継ぐことができない。社長から制御容易で引継ぎ可能な電気方式を開発して欲しいと強く頼まれた。
この開発はメーカーの技術者がずっと現場で座り込んで観察し、改良を重ねたことが功を奏した。でっかい工場のような設備で、6件ぐらい採用されたかな。
A型以上の営業所に1件づつの実績を持てるよう努力し、事例のパンフレットを作製した。僕が手掛ける前からわかめ乾燥、青のり乾燥のような実績を持つ営業所も有った。出向する前に事例が30になった。
深夜に温熱や冷熱を蓄熱する製造設備には積極的に「産業用蓄熱調整契約」を適用し、電気代を下げた。全国に先駆けて実施したのは、豆腐製造の冷熱蓄熱、ブロイラーや食肉処理場の温熱蓄熱で、電力業界では実績が有ると日本中で契約可能になるので、この面でも貢献できた。
このほかに、メーカーの協力により新しい氷蓄熱、床暖房などの開発を進め、多い年では年に4回ぐらいプレスリリースした。産業系の全国紙を中心に掲載された。当時はこれで株価が上がるかもしれないなとも思った。社内の新聞には毎回の様に、事例などを発表した。
科学が高度に発達した現代と思われているが、電気を利用した加熱はまだまだ遅れていてね、開発や普及の余地が山ほどある。
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