科学者にとって数学は神様仏様、絶対の覆しようのない担保であり、お告げなのです。だから、理工系の論文では、数式を示し、計算し、証明することが求められる。ところが、数学は致命的な泣き所が有り、宇宙について予測することはできない。
1.数学は単位を特定しない。数学者は宇宙は有限として、対象とする宇宙をその巨大さに関係なく数を1とする。一方では、銀河の数も、恒星の数も、分子の数も、量子の数も最低数量を1とする。そこで、量子大で誕生した極小の粒が宇宙に拡大するというおとぎ話を生む。無限個数の量子を含む宇宙と量子の大きさの粒がともに1で表現される錯誤につながる。
2.数学は実態ではない。数学では形や状態を表現できる場合がある。ところが、数学はリンゴもみかんも、犬も人間も、恒星も、もっと単純な無機質の塊でさえ、具体的な組成、立体構造、性質、機能などを表現出来ない。無数の銀河で構成される宇宙が表現できるわけがない。
3.人類は宇宙の数%しか観察できていない。宇宙物理学者によれば、人類が観察できている宇宙は全体の4~6%(数字は時々更新される)であり、そのほとんどを占めるダークマターやダークエネルギーは分かっていない。これで宇宙を表現できるなどとはとても言えない。
4.宇宙が有限とは証明されていない。もし、宇宙を無限とすると数学では扱えない。そこで、宇宙を有限としているが、宇宙を有限とする根拠はない。例えば、国立天文台では宇宙空間が光の速度以上で膨張すると言っている。宇宙が光の速度以上で膨張するのであれば、観察者である人類は宇宙の端を特定できず、宇宙の有限性を担保出来ない。
5.時間は存在しない。物理学者の言う時間が存在するのであれば、時間は0になったり、マイナスになったり、複素数になる。しかし例えば、生物化学現象にはプロセスによって経路が異なる現象は山ほどある。むしろ、往復経路が一致する場合の方が少ない。物理現象でも、磁気のヒステリシス現象などが有る。中国でも古くから覆水盆に返らずとしている。
6.数学は人間が扱い機能するもの。科学者は数学を都合よく扱っているに過ぎない。当然、扱う人によって結果や評価は異なる。全く、同じ条件で、同じ数式で、同じ扱いをすれば、同じ結果になるに過ぎない。数式や数学の取り扱い条件は無限にあり、一つの例で宇宙全体を保証するものは何もない。
7.未来を予測できないし、同様に過去を正確に知ることもできない。すべての物質、全ての物質の位置関係、相互関係を把握することができない以上、どのような手法を用いても、未来を予測することはできない。実は過去を正確に知ることもできないのである。はっきりしているのは移ろいの中で、自分が観察できる範囲の状態や現象、および観察している自分の存在だけである。
つまり、科学(数学を含む)の有効性は、範囲を特定し、すべての状態や条件を完全に特定できた場合にのみ、適用し使えるものであることを、科学者自らが十分理解し、知るべきである。宇宙と言う、範囲の特定ができず、全ての状態や条件を特定出来ない対象では数学で明確な予測はできない。
数学とは、例えてみれば、囲碁や将棋の盤面で、何かを模擬する状況を作り出して、その盤面の中で起きることについては確かであると証明できるものである。そうだからと言って、囲碁や将棋の盤面が宇宙や社会などの実態を、例えマクロ的にでもあれ映し出すという保証はない。ましてや、何かを映し出したとして、その実態でないことは明らかである。
実はNHKの担当者にビッグバン宇宙論は仮説(有望かどうかも疑わしい)の一つに過ぎないこと、ビッグバン一辺倒も日本ぐらいと伝えており、NHKの取り扱いも変化してきているように思う。
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