つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

重陽記事「朝日新聞 ことばの広場」:煩瑣な知識より、天皇制がいかに処したか伝える事こそ必要

2024-02-21 14:21:44 | 皇室

 日本のパスポートの表紙には、国花である「桜花」でなく、「菊の紋」(天皇家の紋章に過ぎない)が描かれているが、この事がなぜ問題にならないのか以前から頭を傾げてきたが、その「菊花」に関連した事として、2016年9月7日の朝日新聞に載った「重陽」についての記事が載った。

 その記事内容が、訓詁学的でひじょうに煩瑣な知識の羅列に終始し、単なる「物知り」の知識欲求は満足させるであろうが、それ以外の意味はない内容であった事、また、五節句が日本の庶民国民が継承してきた伝統的な文化となっていたものであるにもかかわらず、その源流や神聖天皇主権大日本帝国政府という天皇制絶対主義政府が無価値なものと規定し否定したというひじょうに重要な歴史的事実に触れていない事や、見出しに大きく「菊の節句 めでたさ極まる」と書いている言葉の裏に、国民に対し天皇家天皇制への関心や認識を高めさせる洗脳の意図を感じさせる事と、このような体裁の記事が購読料をとる記事内容としてこれ以後まかり通ると不愉快なので一言申しておきたい。

 まず、記事は五節句の源流について触れるべきであるにもかかわらず、一言も触れていないのは、極めて悪質な意図を感じさせる。源流はもちろん中国にある。五節句は日本の年中行事の中に含まれるものであるが、日本の年中行事の源流は中国文化にある事はいうまでもなく、平安時代にその形式を整えたと考えられている。その事に触れないという行為は歴史を書き換える効果を生む行為と考えられる。

 他に悪質と思われるのは、最近、天皇が「生前譲位」の希望を発表したが、その関係でメディアが天皇家天皇制についての関心を高めようとする意図が感じられる事である。

 さらに、もっと悪質と思われるのは、重陽に限らず、それを含む「五節句」は本来、特に江戸時代においては庶民の伝統的文化となっていたものであり祝祭日であった。しかし、神聖天皇主権大日本帝国政府は、天皇制国家を確立するため、それまでの庶民の伝統的文化祝祭日を否定し、庶民を、天皇制を支える天皇崇拝思想洗脳するために、祝祭日を天皇制を中心としたものに変えてしまったのである。この重要な歴史的事実に触れなくてこの記事に何の意味が価値があるといえるだろうか。しかし、これも、意図的に歴史事実を国民に伝えず消し去り書き換える効果を生む行為と考えてよいであろう。

 神聖天皇主権大日本帝国政府は、1870(明治3)年4月に太政官布告第57号で、祝日を9日と定めた。それは、正月朔日、正月15日(小正月)、3月3日、5月5日、7月7日、7月15日(お盆)、8月朔日、9月9日、9月22日、である。それまでと比べ目新しいものは9月22日(のちに11月3日)の天長節である。

 1873(明治6)年1月4日には、太政官布告第1号で、祝祭日の大改革を実施し、従来の五節句を廃止して、天長節神武天皇即位日の2日を祝日と定めた。

 1873(明治6)年10月14日には、太政官布告第344号で、新たに元始祭新年宴会先帝(孝明天皇)祭などを加え、年間8日の祝祭日を定めた。それは、

元始祭1月3日、新年宴会1月5日、孝明天皇祭1月30日、紀元節2月11日、神武天皇祭4月3日、神嘗祭10月17日、天長節11月3日、新嘗祭11月23日

 1878(明治11)年に、春季皇霊祭秋季皇霊祭を加えた。

 1926(昭和2)年3月3日には、勅令第25号で、明治節11月3日を制定し祝祭日を次の11日とした。

元始祭新年宴会紀元節春季皇霊祭神武天皇祭天長節4月29日、秋季皇霊祭神嘗祭明治節新嘗祭大正天皇祭12月25日、

 神聖天皇主権大日本帝国政府はその確立のために、それまでの庶民の伝統的文化である五節句などの祝祭日を否定排除し、それに代えて天皇家天皇制思想洗脳する祝祭日を定めていったのである。その際も、五節句はいわれもない迷信であるとされ、天長節・紀元節合理的な祝日とされたのである。

 それに対して庶民は反発した。小川為治『開花問答』から一部紹介しよう。

「……改暦(1872(明治5)年12月3日⇒73(明治6)年1月1日)以来は五節句・盆などという大切なる物日を廃し、天長節・紀元節などというわけもわからぬ日を祝う事でござる。4月8日はお釈迦さまの誕生日、盆の16日は地獄の釜のふたの明く日というは、犬打つ童も知っております。紀元節天長節の由来は、この旧平のごとき牛鍋を食う老爺というとも知りません。かかる世間の人の心にもなき日を祝せんとて、政府よりしいて赤丸を売る看板のごとき幟(日の丸)や提灯を出さするのは、なお聞こえぬ理屈でござる。元来祝日は世間の人の祝う料簡が寄り合いて祝う日なれば、世間の人の祝う料簡もなき日をしいて祝わしむるは最も無理なる事と心得ます」

 神聖天皇主権大日本帝国政府は、祝祭日を含む他の様々な大改革により、天皇を唯一最高の権力者・神的権威としていただき、中央集権の官僚制と、国民による常備兵制とをもって、全日本を統一的に支配する新しい国家のしくみである近代天皇制を確立したのである。

(2016年9月11日投稿)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 教育勅語に関する山県有朋談話 | トップ | 名称変更や表現の言い換えの... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

皇室」カテゴリの最新記事