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教育勅語に関する山県有朋談話

2024-02-20 12:11:07 | 教育

 教育勅語は1890年10月30日、神聖天皇主権大日本帝国第1次山県有朋内閣が、第1回帝国議会開会の直前に発布した「忠君愛国」を基本とした敗戦までの学校教育の原則である。アジア太平洋戦争敗戦後の1947年3月31日公布施行(教育勅語は1948年6月19日、衆院で排除に関する決議、参院で失効確認に関する決議)の、「個人の尊厳を重視し真理と平和を希求する人間を育成し、普遍的で個性豊かな文化の創造を目指す」事を基本とする教育基本法にとって変わった(2006年12月22日安倍内閣により「改正教基法」公布施行)。

 さて、2023年12月11日、松井一実広島市長が2012年度から毎年、市の新規採用職員研修資料生きていく上での心の持ち方」と題して、「我々の先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、また、後輩に繋ぐ事が重要」と記載し、「教育勅語」の一部「爾臣民 兄弟に 友に 博愛 衆に及ぼし 学を修め 業を習い 知能を啓発し 進んで公益を広め 世務を開き」との文言を恣意的に取捨選択し繋ぎ合わせて引用し英訳と共に掲載している事が明らかになった。

 松井氏は「教育勅語を再評価すべきとは考えていないが、その中に評価してもよい部分があったという事実を知っておく事は大切だ。今後も使用を続ける事にしております。全体を画一的に捉えて良い悪いを判断するのではなく、中身をよく見て多面的に捉える事が重要である事を説明する中で、一例として教育勅語を紹介した」という。

 憲法第99条「憲法尊重擁護義務」には、「……その他の公務員は、この憲法を尊重擁護する義務を負う」と定めている。松井市長は「再評価すべきとは考えていない」というが、これまで研修で一例として紹介使用してきたという経緯や「今後も使用を続ける事にしている」との発言からは、松井氏が認めなくとも松井氏が教育勅語を「再評価」し「復権」を目論んでおり、憲法を意図的に「否定蹂躙」していると見做されても仕方ないだろう。市長(公務員)失格である。直ちに辞職すべきである。以下に教育勅語がどのような意図で作られたのか、「教育勅語発布に関する山県有朋談話抜粋」(1916年11月26日)を紹介しよう。

「1890年の事(同年2月の地方官=知事会議)と記憶す、地方官中に教育の目的を一定する必要ありとの要求起れり。内閣の中にも同様の意見を懐くものもありしが、如何にすべきかの案なし。……而して余は軍人勅諭の事が頭にある故に教育にも同様のものを得ん事を望めり。時の法制局長官井上毅なども同論なりしが、……芳川顕正(元田永孚)に至りて案が出来たり。此には芳川井上毅とが内閣を代表せる形にて立案に当たれり。案成りて内閣より陛下に差し出せり。……」

 教育勅語発布は、第1次山県有朋内閣の軍国主義的国家主義に基づいた施策であった。徳目を貫いているものは、神聖天皇主権を支える総合家族主義国家観である。日本社会に伝統的に存在してきた村落共同体秩序を重んじる考え方と、儒教的な封建主義の考え方を、日本にあった家族主義の考え方とヨーロッパから取り入れた社会有機体論とで理論づけたものである。国家における君臣関係は、家における父母と子孫の関係と同じであり、天皇の臣民に対する指揮命令は、一家の父母が慈悲の心をもって子孫に物事を言いつける事と同じであるとし、富国強兵という国家目的を遂行していくためには、天皇の命令を心とし、国民全員=億兆が四肢百体のようにそれに服従し、一つの総合家族・有機体とならねばならないとするのである。個々の人間は、ここでは一個の主体的人格などは問われず、臣民として国家目的を遂行する有機体の一細胞とならなければならない。このような考えに基づく教育勅語を具体化したものが「修身科」であった。

(2023年12月12日投稿)

 

 

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