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朝日新聞の映画「東アジア反日武装戦線 その後」の記事が書かなかった事

2024-03-10 23:23:54 | 皇室

 2024年3月8日付朝日新聞記事は、「東アジア反日武装戦線」による「連続企業爆破事件」のうちの1974年8月13日に起きた「三菱重工ビル爆破事件」について8人が死亡、約380人が負傷したと書いていたが、「武装戦線」の元々の計画は、「昭和天皇」の「お召列車」を爆破し暗殺する計画であった。それは未遂に終わったが。

 1974年8月14日に、「東アジア反日武装戦線」グループは、「お召列車爆破」を計画した。「武装戦線」は「紅作戦」と呼び、昭和天皇について「天皇ヒロヒトは、特に東アジア人民の生殺与奪の権限を掌握し、幾千万のアジア人民を殺害した『皇軍』の最高指導者である」とみなし、「お召列車」爆破による暗殺を企てたのであるが未遂に終わった。その経緯について、『鉄道ひとつばなし 2』(原武史)より以下に紹介しよう。

「彼らは、那須御用邸に滞在している天皇が、毎年8月15日に日本武道館で行われる全国戦没者追悼式に出席するため、その前日に東北本線と山手貨物線(現・湘南新宿ライン)を走るお召列車に乗り、黒磯から原宿宮廷駅まで帰ってくるという事実を突き止め、川口━赤羽間に架かる荒川鉄橋爆弾を仕掛けようとした。過去に同区間を走ったお召列車のダイヤをひそかに入手したり、実際に現場を見学したりするなど下調べを重ねた結果、お召列車は1974年8月14日、青森発上野ゆき夜行列車「八甲田」に続いて黒磯を発車し、午前10時58分から11時2分の間に荒川鉄橋を通過するものと狙いを定めた。この狙いは、外れてはいなかった。ダイヤさえわかれば時刻を計算することはできたし、お召列車に関する限り、遅延はあり得なかった。しかし荒川鉄橋爆弾仕掛け、電線を接続しようとした8月13日の深夜になって、周囲に人影が迫ってくるのを察した彼らは、作業を続けることができなくなり、結局その計画を中止した。お召列車は、彼らが計算した時刻通りに、何事もなく荒川鉄橋を通過した。」

 以上が「お召列車爆破=昭和天皇暗殺」は未遂に終わった理由である。しかし、この計画で使用しなかった爆弾は、冒頭に触れたように、1974年8月30日に東京丸の内で起きた「三菱重工ビル爆破事件」に使用されたのである。

(2024年3月10日投稿)

 

 

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