昭和の全日本プロレス

全日の旗揚げからG馬場三回忌追悼興行までの記録です。当ブログの記事や画像を、ブログ等にそのまま転載する行為は禁止します。

ドリー・ファンク・シニア・メモリアルナイト

2011年07月02日 20時00分47秒 | '74全日本プロレス

12月26日テキサス州アマリロ・スポーツアリーナ 観衆4500人(超満員)
インターナショナル・タッグ選手権 60分3本勝負
ザ・ファンクス(2-1)馬場&鶴田
①馬場(20分47秒体固め)ドリー
ドリーは馬場がスリーパーホールドにきたところを切り返してバックドロップを狙ったが、馬場が先に河津落しを決めフォール。
②テリー(12分20秒体固め)馬場
馬場へドリーのバックドロップに続き、テリーがダブルアーム・スープレックスを決めフォール。
③ドリー(12分12秒後方回転エビ固め)鶴田
ドリーは鶴田のタックルをかわしてバックを取り、ロープに押し込んで後方回転エビ固めを決めフォール。
※ファンクスがタイトル防衛に成功。
馬場のコメント
「やはり会場の雰囲気もすごかったし、いささかカーッとなった。必ずまた挑戦する。今日の試合でかえって自信を深めた。」
鶴田のコメント
「かなりいいところまで攻め込んでいたのに、ちょっとした気のゆるみをつけこまれた。やっぱり自分はまだ甘いです。」
ドリーのコメント
「馬場と鶴田は良く攻めてきた。チャレンジャーらしいファイトがあって、いい試合だった。」
テリーのコメント
「親父のメモリアルデーだし、負けてたまるかという気持ちだった。」

NWA世界ジュニア・ヘビー級選手権
ケン・マンテル(12分55秒1-0)エディ・グラハム
※マンテルがタイトル防衛に成功。

タッグマッチ
ジ・アウトローズ(1-0)ブラックジャック・マリガン&レイ・スチーブンス
①アウトローズ(14分57秒反則勝ち)マリガン組

ブラスナックル選手権
キラー・カール・コックス(9分40秒1-0)レッド・バスチェン
※コックスがタイトル防衛。

パット・オコーナー(11分14秒1-0)ミスター大熊
※ボブ・ガイゲルの会場入りが遅れた為、急遽パット・オコーナーが出場。

ジョー・ブランチャード(7分15秒1-0)スタン・ハンセン
ニック・コザック(7分11秒1-0)クラブフット・インフェルノ

10分1本勝負
佐藤昭夫(時間切れ)ゴージャス・ジョージ・ジュニア

(試合開始20時30分)

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・この大会は、テキサス州立ウエスト・テキサス大学育英資金設立試合として行われ、収益金は全額寄付された。
・ウエスト・テキサス大学の学生、テッド・デビアス(アウトローズ対マリガン&スチーブンス戦)とタリー・ブランチャード(NWAジュニア戦)が、特別レフリーとして試合を裁いた。
・試合前にセレモニーが行われ、サム・マソニックNWA会長、フリッツ・フォン・エリック、ボブ・ガイゲルら各地のプロモーターも駆けつけ、ドリー・ファンク・シニアを偲んだ。
・会場には遠征に同行しているジョー樋口、海外遠征中の百田光雄、羽田光男も姿を見せた。

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アントニオ猪木

12月12日蔵前国技館でストロング小林に勝ちNWFヘビー級王座を防衛したアントニオ猪木が、試合後の記者会見で「小林に勝って、大木に勝った。そして小林に勝った。ここではっきり言わせてもらうが、私の目標は日本統一ですよ。その為には誰とでも戦う。ここまできたら、やっぱり馬場さんでしょう。今日テレビを通じて挑戦しようと思ったが、チャンスがなくてやめた。あした内容証明付きの公開挑戦状を出します。」と発言。

14日公開挑戦状が全日本プロレス事務所に届く。
「全日本プロレスリング ジャイアント馬場殿
本日、茲に全日本プロレスの代表者でありPWFヘビー級チャンピオンの貴殿に対し、新日本プロレスの代表としてNWF世界ヘビー級チャンピオンの立場に於いて私は、貴殿との対戦を公式に要請、その回答を求める次第であります。
(中略)
対戦の実現には、貴殿側に於いては諸々の事情がある事は想像に難しくありません。依って私はこの際、あらゆる条件を貴殿側に寄託する所存であります。つまりテレビの放送権、興行権を貴殿に譲渡。開催の日時、場所、試合に関する一切の問題に於いて貴殿の意思を尊重し、私個人はフリーの立場で対戦を申し入れる次第であります。既に、この件に関しては私側の関係者の了承は得ております。
(中略)
私は私の出来る限りの最大限の、この譲歩による対戦申し入れに対して貴殿の誠意ある回答を望んで止みません。
貴殿がもし、対戦をあくまで回避されるなら私を、さらに世間のファンを納得さすに足る充分な明確な理由の表明のあることを、ここに加えて申し入れます。
昭和49年12月13日
新日本プロレスリング株式会社 アントニオ猪木」
※東京スポーツ紙面より

29日アメリカから帰国したジャイアント馬場は、東京スポーツのインタビューに答え「逃げているわけじゃないし、やれないとは言いません。しかしもっと根本的な気持ちの接点がなくては難しいですね。猪木君も私も日本のプロレスをより良くしようと努力しているのは共通しているのですが、互いに所有している団体も違うし、手段、方法も違う訳です。私自身はあくまでも自分自身が考える理想のプロレスの実現、そしてプロレスを日本に根強く残すために努力していきます。」と語った。

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1974年度プロレス大賞

2011年07月02日 18時50分03秒 | '74全日本プロレス
12月25日東京・銀座のキャピタルホテルで、東京スポーツ新聞社制定・昭和49年度プロレス東京スポーツ賞の選考委員会が開かれ各賞が決定。

昭和49年度プロレス東京スポーツ賞
年間最高試合賞 3月19日蔵前国技館 猪木対小林戦
最優秀選手賞 アントニオ猪木
最高殊勲選手賞 ジャイアント馬場
技能賞 ジャンボ鶴田
敢闘賞 ストロング小林
特別賞 マイティ井上
努力賞 マシオ駒
努力賞 山本小鉄
努力賞 寺西勇
新人賞 藤波辰巳

選考委員会出席者
選考委員長
井上博東京スポーツ社長
選考委員
針ヶ谷良一東京スポーツ編集局長
高橋典義東京スポーツ事業局長
猪狩晋東京スポーツ編集局次長
山田隆東京スポーツ運動部長
桜井康雄東京スポーツ第二運動部長
門馬忠雄東京スポーツ運動部主任
長田基東京スポーツ第二運動部員
白石孝次東京スポーツ第二運動部員

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1975年(昭和50年)
1月5日午後1時から東京・芝の東京プリンスホテル・カメリアホールで、東京スポーツ新聞社制定昭和49年度プロレス東京スポーツ賞の授賞式が来賓・関係者・報道陣など200人を集めて行われた。
受賞選手には記念のトロフィーと賞状、副賞として賞金が贈られた。

馬場のコメント
「最高殊勲選手に選ばれて大変名誉に思ってる。今年もまたプロレスの発展の為に一層の努力をします。」
鶴田のコメント
「まさかもらえるとは思っていなかったので驚いた。今年は優秀選手をもらえるように頑張ります。」
駒のコメント
「ありがとうございました。これからも頑張ります。」

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