静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 相撲協会の隠蔽体質いずこも同じ=日本社会の癌 ≫  ≪ 中国の手玉に取られるトランプを未だ続けさせるか? ≫

2017-11-16 09:56:31 | 時評
★ 日馬富士暴行、関係者を聴取 鳥取県警が傷害容疑で捜査 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23529030V11C17A1AC8000/?n_cid=NMAIL007
・ いやはや、此の暴行事件には呆れることが多い。 まず、暴行事件が起きたのは1年も前のことなのに、今まで表にせず誰かが隠し通してきたことだ。協会ぐるみか? 
  と疑われても仕方ない。
・ 協会幹部の耳にどこまで届いていたかは今後の捜査に待つしかないが、少なくとも、加害者及び被害者の両親方、そして暴行のあった宴席に同席していた日本人含む力士達は文字通り
  ”完黙”していたわけだ、報道されるまで。 この隠蔽工作の構造は相撲協会に終わらない。上は政治家から下は町内会に至るまで、これが日本社会全体を覆いつくす
  <隠蔽体質>である。
 ⇒ スポーツ界によくある暴力事件、などと片づけては何も教訓が読み取れない。「あれは自分とは違う世界で起きたことさ」ではない。
   黙らせてしまう構造、これが国という規模で行われたらどうなるのか?  国民がモノを言えないまま敗戦に繋がった旧日本の古い体質が今も変わらず残っている、この事実こそ、
   いま我々が学ぶべき教訓である。

◇ 【毎日/木語】中国傾斜の時代か=坂東賢治 https://mainichi.jp/articles/20171116/ddm/003/070/042000c?fm=mnm
・ 論旨は引用記事をお読みいただきたい。要は、ビジネスマンとしての「駆け引き」で政治の世界もこなしてみせると大言壮語するドナルド・トランプは、商売駆け引きではユダヤ人と
  互角と目される中国人に、まんまとやられているのを指摘した内容だ。全く異論はない。 
・ 私は、何も28兆円のまやかしだけをいっているのではない。アメリカが国際政治のリーダーシップをとれない国、既にそうなっていることに 庶民がいつ気づくのか?
 
 ⇒ 問題は、国の品格を貶め、内外とも実績を上げないのにリコール/弾劾もできない統治の仕組みが続く中、共和党支持者も含め、いったいいつ、米国有権者が「この男が大統領では、
   本当にアメリカの国力は衰える一方で危ないぞ!」と本気になって辞めさせようと動くのか? だろう。  デモくらいでは誰もへこたれない。 
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≪ 人権言わないから中国はトランプ好き? ≫  『自由』『基本的人権』も 一つのイデオロギーに過ぎないというのか?

2017-11-11 09:38:48 | トーク・ネットTalk Net
★ トランプ氏をべた褒め 理由は「人権言わない」 https://mainichi.jp/articles/20171111/k00/00m/030/089000c?fm=mnm
・ <中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は10日までに、トランプ米大統領が中国の人権問題を取り上げないことなどを理由に「中国の民衆はトランプ氏が大好きだ」とべた褒め
  する社説を掲載した。>
・ <環球時報社説は、中国人がトランプ氏に好感を抱く理由として(1)気取ったクリントン元国務長官と違って率直な性格(2)西側のイデオロギーを押し付けてこない
  (3)中国の体制を尊重している--などを挙げた。>
⇒ まず、<トランプ米大統領が中国の人権問題を取り上げないことなどを理由に「中国の民衆はトランプ氏が大好きだ」>の部分。環球時報社説の原文に接していないので、記事の
  書き方に準ずるしかないが、トランプを大好きなのは「中国の民衆」でなく「中国の政権幹部」ではないか?

★ 最もひっかかるのは、『言論・思想・表現などの自由』を含む『国民の基本的人権尊重』を【西側のイデオロギー】と断じている点である。周知のとおり<イデオロギー=Ideology>の語義は、”一つの姿を理想<=Idea>と定義する価値観”であり、漢語でいう(~主義)と同義であろう。社会主義、共産主義、資本主義、国家主義などなどを想い浮かべればよい。  
  言い換えると、一つの価値観を至上のものと断定し、其の実現に努める事こそが<善>だとする生き方を指す。 ”~主義者”の生き方であり、宗教信心を支えとする生き様に近い。

間違えてはならないのは、イデオロギーの定義に、民族や歴史の違いを超越した【普遍性】の概念は含まれないことだ。何故なら、「~主義」と奉じて追求される世の仕組みが地球上の全てで成功し、支持されるものではない、との前提があり、それは何よりもソ連の失敗が証明している。

中国政権党の立場は、『様々な自由を基盤に追求・尊重される基本的人権』もこのような価値観の一つに過ぎず、普遍性などない<One of Them>だというものゆえ、【西側のイデオロギー】と言い換えるるわけだ。  完全な自由市場経済や代議制民主主義を採用しない強権統治の諸国(例:ロシア、中国など)が、決まって『自由』『基本的人権』を制限/抑圧する理由は、とっくに共産主義は捨てた主義無し国家なのに、自由や人権を己と同等の「~主義」と並置することで自己正当化する為だ。
 ぶっちゃけ、専制政治には、それらの価値観<自由&人権>が邪魔であるからだ。      知識人ではなく、中国の一般民衆はそこをどう思っているのか、私は尋ねたい。
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≪ ロシア革命から100年 ≫ 人類初の実験が夢破れ  自由市場経済型国家の傲慢だけが増長していないか?

2017-11-09 09:02:47 | 時評
★ 朝日(天声人語)ロシア革命100年 http://digital.asahi.com/articles/DA3S13219856.html?rm=150
・ <自由と平等の両立> これは人類史始まってこのかた、未だに実現できていない。共産主義革命は、個人一人ひとりの自由を犠牲にする引き換えに、集団としての国民経済と生活水準
  を引き上げる目標は一応達成した。これは否定できない事実であり、ソ連や中国は其の成功例の中でも突出した事例となった。
・ 然しながら、国家・国民とも最低水準引き上げに成功した其のあと、国家経済の活力は長続きせず、ソ連の場合は統治体制崩壊と同時に、制限的ながらも国家計画経済から自由市場型
  資本主義経済に移行した。中国も同様に国家統制が強い市場経済をロシアほどではないが使い分けて繁栄を謳歌するようになった。

★ ソヴィエト連邦の崩壊、これを資本主義の勝利と大喜びしたのは本家を自認する米国人だった。たまたま私は1992年のソ連解体時、アメリカで働いていたので鮮明な記憶を持って
  いるが、ソ連解体<Soviet Resolution!>のニュース見出しに「勝った!勝った!」の大合唱が社員食堂にコダマしたのだ。 当時を覚えていない方には信じがたい光景だろうが、
  厳然たる事実だ、誇張や嘘ではない。

 ⇒ さて、1980年代の「改革・解放」で経済成長の波を掴んだ中国。ソ連崩壊後の混乱から立ち直り、再び米国と対峙するまでの国力を回復しつつあるロシア。だが、共通するのは
  強権的な国家統制であり、西欧民主主義型の「自由」は否定したまま。 両民族ともに長い専制統治の歴史を持つ点でも共通しており、19・20世紀を経ても、結局其の専制
  体質は変わらなかった。  「きみまろ」ではないが、”あれから25年!” ・・・・政府主催ではない【ロシア革命100年記念デモ】がモスクワであったという。

◇ 何も現代史の解説が今朝の目的ではない。真に問うべき本質は『天声人語』子の語るように、ソ連や中国が自由資本主義への強烈なアンチテーゼとして名実ともに機能していた戦後から
  ソ連崩壊までの約60年間、資本主義諸国にあった一種の緊張と社会民主主義的政策の重視がソ連崩壊後、一挙に消え失せたことである。
◎ 資本主義は「自由の擁護」にはプラスとして機能するが「平等の実現」を約束しない。端的な例が米国だ。日本のような国民皆保険の精神そのもを「自助努力の否定に繋がる」
  として認めない。「機会均等」は尊重しても、「結果均等」は自由の敵だと否定するのである。<セイフティネット>は宗教団体/NPOの領分であり、国家が為すべき仕事ではない。
  オバマケアはそれを部分的ながらも修正しようとした試みだが、トランプが大統領になるや一夜で覆してしまった。 加えて、日本もそうだが、ロシアや中国の向こうを張るかのように
  アメリカや西欧でも国家主義的風潮が出始め、強権統治へのノスタルジーさえ匂い始めている。 格差拡大への不満と民族主義の結びつき、そしてテロへ。 
        この反動と傲慢の悪循環を放置するのか?  これが 今突きつけられている問いである。
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≪ 飛蚊症(ひぶんしょう)≫  『老い』の良きリマインダーよ  末永く お付き合いを!

2017-11-09 07:47:39 | トーク・ネットTalk Net
★ 此の言葉を見て、すぐお判りになった方も少なくない? いや、多いのかどうか、私には何の根拠もないけれども、知らない人の為にご説明しよう。

・ この症状は、視界の中に黒い点、又は黒い線状の幻が浮遊するものだ。 私の場合、ハッキリ自覚したのは、およそ6ヶ月前あたりだった。それは左目だけで、今もそうだが、
  青空を見上げた際、雲一つなく真っ青なはずの空に、極く微細な黒点がふわふわ。右目には何も無いので、何やら異常が起こりつつあるらしいとの予感で終わった。
・ それが、つい先日のこと。某夜、突然左目の前で黒い紐上の黒い物が一気に、沢山ハジケタ。 痛みも不快感も其の時には無かったのだが、おやッ? という衝撃が確実に走った。
・ 翌日から、其の飛散物は左視界の前を縦横無尽に踊り始めたうえ、薄く霞んだ幕のようなモノが離れなくなった。視力には変わりないが、これは一大事かも、と眼科に走った。

 ⇒ さて、2時間近く待たされた挙句、眼底検査の後、眼科医がのたもうた:「網膜裂孔や剥離、硝子体出血、ブドウ膜炎」のいずれでもないので安心下さい。年を取ると硝子体は
   ゼリー状から液状に変化し、硝子体は収縮して網膜から剥がれます。黒い点にみえるものは、この剥がれた断片で、長い時間をかけて体外に排出されますので問題有りません」 
   <早く言えば、白髪と同じ老化現象ですから気に病むことは要りません>!! <残念ですが、治療法も薬も有りません>
 ・・・・  嗚呼! シワも白髪も殆んど見えない医師の顔を見つめながら、私は心の中で吠えた。

◆ 何日間か、軽く落ち込んだのは否めない。電車で席を譲られた時の衝撃とは別のショックだった。今も左目の前を気ままに薄黒い浮遊体がウロウロしているので、鬱陶しい。
  文字通り、目を開けて起きている間中、此の厄介な連中は私に<老化現象だってよ~♫>と囁き続けるのだ。 白髪は鏡を見ない限り忘れていられるが、目の中を飛ぶ、こうるさい蚊は
  片時も消えてくれない。 唯、眠りに就いた間だけは、此の小うるさい飛蚊症から自由になれる。

* ま、何事も <Posotive Thinking>と行こうぜ!  此の浮遊体は消せないからこそ、傲慢になりがちな私へ鳴らす『老いを忘れるな!』の警鐘に違いない、と。
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≪ ”文化の日”の呼び名を消そうとする一派? ≫  明治150年:全面肯定の歴史ではない! 司馬史観の罪は 実に重い

2017-11-03 09:12:09 | 時評
◆ 【毎日社説】文化の日の改称運動 復古主義と重なる危うさ https://mainichi.jp/articles/20171103/ddm/005/070/041000c?fm=mnm
・ <戦前の11月3日は「明治節」と呼ばれる祝日だった。明治天皇の誕生日に由来する。 戦後に名称が変わったのは、新憲法制定時の首相、吉田茂がこの日を公布日に選んだためだ。
  公布から半年後の5月3日が自動的に憲法の施行日になり、両日はともに憲法を母体とする祝日になった。>  ここまでは知っている人も少なくないだろう。
・ <ところが、数年前から11月3日を「明治の日」に改称させるための政治活動が目立ち始めた。2011年に結成された明治の日推進協議会には、右派団体「日本会議」系の人びとが
  数多く名を連ねている。見過ごせないのは、安倍晋三首相と思想・信条が近い政治家が積極的に運動を後押ししていることだ。 稲田朋美元防衛相は先週末に開かれた関連の
  シンポジウムに対し「私も明治の日創設の法律化に向け、同志の皆様と手を携えて全力を尽くします」とのメッセージを寄せた。>

・ <なぜ彼らはこれほどまで明治の日の制定にこだわるのか。 推進協議会は、祝日法が文化の日の意義として示している「自由・平和・文化」について「特定の一日とあえて結びつける
  必要があるのか」と疑問を投げかけている。
   ただ、それ以上に活動を支えるのは現行憲法に対する拒絶感だ。すなわち憲法は占領軍による「押しつけ」だから、憲法と密接な文化の日も葬り去りたいのではないか。>

憲法改正による戦後レジームからの脱却を訴えてきた安倍首相らの考え方と根っこは同じであろう。明治時代への漠としたノスタルジーや戦前回帰の感覚がそこに連なる。 
衆院選で勝利した首相の最終目標が改憲であることは間違いない。しかも、来年は明治維新から150年の節目であるため、首相は「明治の精神」に学ぶ機運と改憲を絡めて盛り上げようとする可能性がある。
 ⇒ 私も社説子の推測が当たっていると感じる一人だ。安倍晋三が「日本を取り戻す」と言う時、其の日本とは<明治維新以来1945年まで80年弱続いた大日本帝国>である。現在の此の国である1946年以降の<日本国>ではあるまい。 『明治の日』創設の次は、5月3日<憲法記念日>の抹殺ではなかろうか?

  何故なら、日本会議に連なる一連の国粋主義者たちにとり、<戦後の日本国は敗戦の恥辱にまみれた情けない国>でしかないし、其の象徴が”米軍に押し付けられた憲法”であり、
  ”文化の日”と名づけられた本日11月3日が新憲法施行日であるためだ。 これは極めて明瞭な 現行憲法への反逆精神そのもの というべきだろう。
   こういう思想の持ち主たちに支えられてきたのが自民党中心の歴代政権であり、先の総選挙で再び絶対多数を彼らに与えたのが有権者である。 

”明治の人々は偉大だった。今の日本の基礎を作ってくれたのだから”・・・・此のぼんやりとしたイメージ作りに貢献したのが、かの司馬遼太郎である。 誠に司馬史観の罪は深い。 
NHKが大河番組等で「坂の上の雲」ばりの追憶ドラマを手を変え品を変え制作する意図は、まさに政権の意図に照応しているわけだ。

  私は問いたい。。。。。 あなたは、帝国主義国家としてばく進した維新以降の歴史を総論で賛美する側に立つか?? 
西欧列強による被植民地化を防いだことは維新の「光」の面だ。一方、同じ東洋人でありながら近隣諸民族を踏み台にしたその後の大日本帝国の恥ずべき歴史は「影」の部分であり、其の「影」が維新の成果と栄光を消し去ってしまったのだ。 帝国史の後半に目をつむり、維新だけを称揚する態度は単なる間違いで終わらない。 何故なら、後半の「影」の歴史は近隣諸国を巻き込んだ恥辱の歴史であるからだ。                            < 了 > 
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