静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

☆ 2015.03.13    ≪ ジャッキー・チェンよ 政治思想検閲に基準などない  日本も同じだよ ≫  

2015-03-13 02:21:05 | トーク・ネットTalk Net
 ☆  ジャッキー・チェンさん:中国の映画審査に苦言  http://mainichi.jp/shimen/news/20150312ddm007030094000c.html
  ・ 国政助言機関・中国人民政治協商会議(政協)の委員を務めるジャッキー・チェン=中国名・成龍=さん(60)が11日、北京市内で開かれた政協の小会合で発言を求められ、
    自らが日本で撮影した映画「新宿インシデント」が中国で公開できなかったことを挙げ、「どんな表現がOKなのかはっきりと法律で示してほしい」と訴えた。       
                                               
  およそ検閲制度をもつ国で、対象が何であれ其の判断基準を明解かつ合理的に言葉で定義し、真面目に運用している国家は有るか? といえば、即答は難しい。
  日本の「映倫」また「刑法・猥褻物陳列罪」は、専ら<性器描写・性的行為を含む/連想させる>表現・示威行為、或は映像を取り締まるもの、といえばいいのだろうか。 
 法曹の専門家でない私が解釈すると、そうなる。  日本は今のところ、<ワイセツ>取り締まりはやるが、極右・極左どちらも政治思想表現そのものは弾圧は無い。  では、性的表現以外での「検閲」は日本にあるか?  表面的には「無い」のだが、では例えば天皇制に係る侮辱・否定・揶揄の表現が出た場合どうだろうか? 

  嘗ては中央公論社を巡る<嶋中社長事件~風流夢潭事件~1961年>があった。これは国家或は警察の取り締まりではなく、右翼勢力が其の意を汲んでテロ行為で言論を萎縮させるものだ。もっと近い年代では<長崎市長銃撃事件 1990年>があった。 これは元長崎市長が「昭和天皇に太平洋戦争の開戦責任あり」と市議会で発言したのが原因であった。だが、この発言に続く「然し、国民多数の賛意と占領軍により天皇制が維持されたことに自分は従う」と元市長が述べた部分は削られ、このテロは、センセーショナルに前半部分だけを報じた新聞マスコミの自業自得でもあった。 ああ、何と愚かなことよ。
これまた、右翼が公権力を表には出さず、その代役を務めた点で<嶋中事件>と同じ構造を踏襲した。この俗に”菊タブー”と呼ばれる右翼・天皇制護持派の暴力は2015年も現存する。 こういう間接的な<タブー>は日本だけかといえば、厳密にいうなら「タブーの無い国はない」かもしれない。  然し、だから言論封殺が黙認されてよい、のでは決してない。
  
 皇室が話題になるたび私が素朴に思うのは”日本の天皇制/皇室の在り方が英国王室のように国民に開かれた存在になれば、この言論封殺というデモクラシーに逆行する愚かな根拠はなくなるであろうし、日本はもっと明るい民主的な国家へ近づけるだろうに”である。
 ・・・日本の場合<天皇制と国家神道が日本文化の中核>と恰も当然のようにセットされ、それが戦後も不可分の如く喧伝されてきた。この少数派に過ぎない単純な情緒が、神社を取り巻く特殊な宗教法人利権構造に支えられ”菊タブー”を今も守っているのだ。    このグループが英国王室スタイルを肯定するか?  すまい。  
   残念だが、私の目の黒いうちに 此の国の支配構造は変わりそうにない。 
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