静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

南東北の旅  #-4     < 福島県 : 会津若松  11/03 >

2014-11-09 15:52:47 | 旅行
 11月3日の会津は、冷たい小雨がしょぼふる1日になった。まず、南会津で人気スポットになっている「塔のへつり」と「大内宿」へ前日予約しておいたバスで向かう。
 かねてから気になっていたのは「へつり」の意味だ。現場には<方言で断崖・絶壁・急斜面を云う>との説明と、手書きで「昔ここは海だった」と書いた紙が貼りつけてあった。・・うむ、然し待てよ、「へつり」とは古語で削ることをいった「はつる」の訛りではないのかな?と。何故なら、(添付写真ご参照)吊り橋近くの巨岩は地層が細かく重なり、その巨岩を「塔」と見立て、それを削って作った吊り橋だ、というのではないだろうか?  ← 勿論、素人の気ままな連想に過ぎない。これも私には旅のちょっとした楽しみである。
  大内宿、ここは宿場の雰囲気が匂わず、コメントする気も起らないほどだった。

   若松に戻り、N氏と若松市営バスの市内観光循環1日フリー乗車券を買い、「武家屋敷」へ。武家屋敷といっても他の城下町にあるような武家の住居が並ぶ一角を指すのではなく、会津藩家老:西郷頼母(さいごうたのも)の居宅である。← NHK大河ドラマでは西田敏行が演じた人物。藩主に京都守護職の辞退を説き、また戊辰戦争前には恭順を進言するがどちらも受け入れられず、遂に戦死した非業の武士である。
  1700石取りの家柄とある。 維新直前の大坂コメ相場:1石=11両3分 X ¥3,440/両 = ¥40,420。 これで無理やり年収換算すれば、約6,870万円になる。<以上は某氏のサイトにある試算を借用したもので、サイト管理者および本稿筆者いずれも文責は負わない> 一見、藩の最上位官僚の俸給としては高いように見えるが、同じ某氏の試算にある金1両で幕末は1人が17日食べる米しか買えなかった、とある。家老・西郷が何人を養っていたか不明だが、決して楽な生活ぶりでなかっただろうと容易に想像できる。中庭は格式を維持するためにも手入れを怠るわけにはいかなかった一方、風呂場は釜で炊くのではなく必要なお湯だけ注ぐ質素な形式であるうえ、身内の食べる米は屋敷内に水車駆動式の精米設備まで備えて掛かりを始末している、と観察した。
  鶴ヶ城にせよ、藩校日新館、此の家老屋敷にしても、戊辰以後の悲運と怨念が若松には今も濃く残っており、観光で賑わうネタが郷土の悲劇であるやりきれなさを感じた。よそ者の私でさえ感じるのだから、さぞや地元の人々には、と想いをあとに翌4日、会津鉄道で日光に抜け帰京した。         ≪ おわり ≫
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