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≪ 日本社会における”家族”意識とは何か? ≫  長女の結婚をめぐる秋篠宮殿下発言   男性は個人(私)になれない特殊身分制度たる皇族   夫婦別姓の選択 vs イエ意識 への固執

2021-11-30 09:32:36 | トーク・ネットTalk Net
 誕生日を前に開いた記者会見で秋篠宮殿下(以下、殿下)が述べた内容は率直・誠実なもので、私は心地よい驚きで読んだ。小室氏を「夫」と呼ぶ点、一方的な二人の会見スタイルを「記者発表」と
表現したこと、メディア報道やSNS への苦言などの話題もあるが、長女の結婚にまつわる殿下の見解披歴から、「家父長制」の頂点ともいえる天皇制の中に生まれ落ちた運命を持たされ<皇族>となった
自分自身を含め、長女が女性に生まれたがゆえ選択できた「私」と「公」へ暗に触れている事に私は注目した。

<(皇族に生まれた人間の)結婚は「公」「私」の当てはまらない事ではないか?>との言葉。関連して「与えられた公務を果たす」と殿下が言う時の「公務」とは?
 これらの言葉は皇族に生まれた人でなければ出てこない疑問だ。『国民に寄り添い、苦楽を共にするのが皇室の責務』との認識は平成天皇時代から継承した自己認識だが、立ち止まって此の表現を
噛み締めると極めて抽象的・精神論的であり、非皇族に生まれた日本人にはわからない。

日本の皇族と言う特殊な家族の在り方から滲み出てくるのは、英国王室のように皇子であれ王女であれ、自分の意思で結婚も離脱も選べる家族形態との対比だ。「私」を否定しない「公」との両立
日本国憲法24条では「婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立する」とある。殿下の長女が小室氏と結婚し皇族離脱したのは憲法に即した「私」としての選択である。一方、皇族に生まれた男性は
幾ら自分が選ぶ女性と婚姻しても皇族と言う名の「イエ」から、英国王室のように出られない。
 ここで、此の制約が<家族・家系の絆>意識の擁護を支持する人たちの根拠にもなっている点を忘れてはならない。 そして、この<家族・家系の絆>意識の擁護が、同時に『夫婦別姓選択制』への
反対根拠とされている事を考えると、天皇制こそ家父長的イエ意識の基盤である。

何度か私は『夫婦別姓選択制』論議に触れてきたが、其の争いの根元にある<イエ意識・家族観における「私」「個人」の否認>は奇しくも日本皇室における不自由さ・男女性差と通底している。
 周知のとおり、此の男系偏重は明治に創られ、戦後も手着かずな【皇室典範】が根拠になっている。 若し改憲を論じるなら【皇室典範】をどうするのかを含めなければ片手落ちになる。

「個」が集団より先に来る外国での家族とは、自分の一生の間に記憶できる範囲内で接触が有った近しい人々であり、何代も前の「先祖」を家族とは認識しない。だが、大多数の日本人が生きるのも、
産まれた土地から死ぬまで動かない昔のような社会じゃない。墓守不在、檀家消滅、故郷意識の死滅、既に多くの国民にとり「家系」も何もありゃしない。「本籍」概念は既に意味をなさないので、
戸籍制度自体が有名無実だ。人別把握は現住所登録で十分なのに、形骸化した「本籍」制度が今や「イエ意識」の砦とされている。
(現住所登録制度は徹底できないけれども戸籍制度を同じく残す中国における意味合いは、国家による労働力管理・個人監視のツールでしかない。・・中国人にイエ意識は何処まで遺っているのか?)

貴族制度の残る社会では未だに日本と似た「家系・血族」意識は残っているだろうが、世界全体では少数派である。多くの国で夫婦別姓が続くなか、子供自身がどう受け取るのか?を案ずる声は有る。
未体験の日本人がそこを気に掛けるのも理解できるが、それについては様々な書籍もあるので参照されたい。・・・「イエ」論者に尋ねるが、別姓採用のクニ/社会で『家族の絆』は破損しているか? 
 民族が違うとか、伝統が違うとかは、何ら道理の通る説明を導かない事にお気づきか??? <伝統だから理屈抜きに守る>のではなく(現状に適した伝統か否か)が守るうえでの基準なのだ。

個人と家族:この概念での核心は『家族の絆』とは何をいうのか?である。 それは「同姓の家系・血族・血統」とセットでなければ守れないモノか? 何故そこに「イエの氏姓」が絡むのか?
両親・兄弟姉妹・親族との悲喜こもごもな記憶こそが『家族の絆』ではないのか? 不幸にも離れ離れで生活することになっても、其の人にとっての『家族の絆』は記憶であり「氏姓」ではあるまい
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