静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 2院制 vs 1院制 ≫  国民が参議院の存在価値を再考できるよう メディア/学者は論点提供を

2017-02-19 13:33:23 | 時評
◆ (毎日・社説)参院改革 70年機に一から議論を http://mainichi.jp/articles/20170219/ddm/005/070/004000c?fm=mnm
・ 最高裁は今夏以降に判断を示す見通しだ。ただし合区を決めた一昨年の改正公職選挙法の付則には、選挙制度の抜本的な見直しについて、2019年の次期
  参院選に向け「必ず結論を得る」と明記してある。どんな最高裁判断が出ようと見直しが急務であるのは言うまでもない。
・ 民進党は合区の数をさらに増やす案を中心に検討している。だが昨年の参院選では統合された選挙区での関心は高まらず、著しい投票率低下を招くなど合区の
  弊害は大きい。
・ 憲法で参院に地方代表の性格を持たせるのは、私たちも一つの考え方だと書いてきた。ところが自民党は割を食っている関係議員のための合区解消が最優先で、
  地方代表とは何か、中央と地方を含めた政治全体の中で考えているようには見えない。
    確かにベストの選挙制度は簡単に見つからない。だからこそ「参院とは」から議論すべきではないか。
⇒ <先の大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の意向は貴族院を廃止する1院制だったが、日本側の要請で2院制が残った。「参院の役割とは」は
  当時から今に続く課題である。>  
  GHQはなぜ1院制を検討したのか、連合軍の中心だった米国は大統領制にして2院制なのに不思議だ。また、当時の日本政府がどうして1院制を嫌ったのか? 
  貴族院の廃止が天皇制/華族制度廃止に直結する?という危惧だけではあるまい。1院制を良しとしない本当の理由づけを知らないので学びたいのだが、
  たぶん、<議院内閣制=2院制>との固定観念もあったのではないか? 変革をできるだけ小さくしたい保守政治家の体質もあろう。

 そもそも我々有権者は、政治学を体系的に研究した人でない限り、民を反映する仕組みとしての<2院制 vs 1院制>の優劣比較は難しい。メディア/研究者は平易な言葉で国民の理解を高める啓蒙に努めて欲しい。
★ 参院に求められるのは衆院の決定を再考し、行き過ぎがあれば正して補完することだろう。そのためにはどんな人材が必要で、どんな選挙制度がいいのか。
  この際、一から議論してみたらどうか。
⇒ この論法は従来から耳熟れたものだが、補完論が期待する「議員の良識」は政党所属である限り画餅に過ぎない。実は、議会の仕組みとは<選挙制度、
 二大政党制、中央主権vs連邦制>などと相互に関連する複雑な仕組みである。そして憲法とモロに連動する。 残念だが、今の改憲論議には、この代議制度
 そのものを広い見地から問い直そうと発議する国会議員は見当たらない。 これは、国民の無関心をいいことにサボる議員達の怠慢ではないか???
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≪ 『思想・言論の自由』維持と ”人権否定思想”の扱い ≫  大阪・森友学園が運営の「塚本幼稚園」 ヘイト文書を保護者に

2017-02-19 08:34:52 | トーク・ネットTalk Net
★ 保護者向けにヘイト文書…大阪府私学課が聴取 http://mainichi.jp/articles/20170217/k00/00m/040/061000c?fm=mnm 
・ 「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などと記載した文書を保護者向けに配布し、憎悪表現に当たる恐れがあると問題視した大阪府が法人理事長の
  籠池泰典園長らから事情を聴いていたことが16日、分かった。
・ 府私学課によると、昨年12月に元園児の保護者から情報提供を受け、1月12日、職員が園を訪れて籠池氏や妻の副園長と面会。籠池氏は文書を配布した
  ことを認めた。
⇒ 添付したサイトを開き読んでいただくとわかるが、記事には「塚本幼稚園」が保護者に配布した冊子の一部を撮影した写真がついている。
  これを視ると、街頭で今も続く<ヘイトスピーチ行為>と同じ内容であり、文字どおり≪ヘイト文書≫だ。    * ヘイト=Hate・・・憎悪する

◆ ヘイトスピーチにおいて言い立てられる口実:『思想・言論の自由』を、恐らく森友学園&塚本幼稚園幹部は用いているのであろう。然も、公立ではない
  私立学校だから、という法制上の隠れ蓑も活用している。 また、ヘイトであっても許す事こそ「自由を守ることでもある」との強弁も想像できる。
□ だが、私が何度もこの手の<人権侵害あるいは基本的人権の否定>に関して述べてきたように、<あらゆる自由の尊重は人間の尊厳を守る為にある>もので、
  尊厳の否定または抵触する行為に「自由」は与えるべきではない。 人間の尊厳を守ることに反する「無条件の自由」を認めてはならないのだ。

▼ 「〇〇国が嫌い」「XX人には反吐が出る」といった感情は誰にでもある。無い人は稀な存在だ。  然し、殺人が絶対悪であるように、民族/人種/国家を
  憎悪の対象にし、対象を否定する行為も「絶対悪」なのだ。 これだけは「~の自由」の名のもとに保護/弁護してはいけない。
   選ばれた憎悪の対象への攻撃を許すならば、いつの日か、特定の思想/信条への攻撃・弾圧も「自由」の口実で行われるようになるのだから。
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