★ http://mainichi.jp/shimen/news/20150215ddm041040057000c.html
・ 産経の11日付朝刊の「労働力不足と移民」と題したコラムで、曽野綾子氏は労働力不足を緩和するための移民受け入れに言及し、
「20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」などと書いた。
・ 産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」とするコメントを掲載しました。
また曾野綾子さんの「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しいという、個人の経験を
書いているだけです」というコメントも掲載しています。
上に引用された一文「20~30年も・・・分けて住む方がいい、と思うようになった」は明白な価値判断を示した文章であり、「生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい
という、個人の経験を書いているだけです」というコメントと同じ内容ではない。「難しい」と「分けて住む方がいい」は同じことを指してない。素人の寄せる投稿広場ならいざしらず、
いやしくも文筆を生業としてきた曾野氏がこういうコメントを出すのは、すり替え・ごまかし、のいずれかであろう。
産経新聞の出したコメントもこれまた逃げ口上であり、<言論の自由だから、どんなことを主張しても許される、コラムを書いた本人の言辞がどうであれ、新聞社に責任は無い>
というなら、イスラム教の風刺漫画を掲載し、品位をわきまえぬ冒涜だと攻撃されたフランスの雑誌社と同じ手口の逃げを打っているに過ぎない。
この調子では、産経は<ヘイトスピーチ>を正当化する寄稿でも掲載するのではないか??
もとより、産経の読者は曾野氏の言説が言ってはイケない内容だ、との認識をもたない方々かもしれず、すれ違いが正されることは多分ないだろう。そう思うと、いよいよ私は
新聞社というマスメディアの守るべき倫理/価値観が益々わからなくなってきた。
・ 産経の11日付朝刊の「労働力不足と移民」と題したコラムで、曽野綾子氏は労働力不足を緩和するための移民受け入れに言及し、
「20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」などと書いた。
・ 産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」とするコメントを掲載しました。
また曾野綾子さんの「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しいという、個人の経験を
書いているだけです」というコメントも掲載しています。
上に引用された一文「20~30年も・・・分けて住む方がいい、と思うようになった」は明白な価値判断を示した文章であり、「生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい
という、個人の経験を書いているだけです」というコメントと同じ内容ではない。「難しい」と「分けて住む方がいい」は同じことを指してない。素人の寄せる投稿広場ならいざしらず、
いやしくも文筆を生業としてきた曾野氏がこういうコメントを出すのは、すり替え・ごまかし、のいずれかであろう。
産経新聞の出したコメントもこれまた逃げ口上であり、<言論の自由だから、どんなことを主張しても許される、コラムを書いた本人の言辞がどうであれ、新聞社に責任は無い>
というなら、イスラム教の風刺漫画を掲載し、品位をわきまえぬ冒涜だと攻撃されたフランスの雑誌社と同じ手口の逃げを打っているに過ぎない。
この調子では、産経は<ヘイトスピーチ>を正当化する寄稿でも掲載するのではないか??
もとより、産経の読者は曾野氏の言説が言ってはイケない内容だ、との認識をもたない方々かもしれず、すれ違いが正されることは多分ないだろう。そう思うと、いよいよ私は
新聞社というマスメディアの守るべき倫理/価値観が益々わからなくなってきた。