静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

☆ 2015.02.01 白鵬、審判批判を謝罪    ≪ 何故 ヴィデオ映像を直後に公開せず 理由説明も遅らせる? ≫

2015-02-01 11:46:39 | トーク・ネットTalk Net
  ☆  何ともはや、実に後味の悪い展開だった。 http://mainichi.jp/shimen/news/20150201ddm041050135000c.html
     白鵬自身が幕引きをはかり”一件落着”としたが、冷静に振り返れば、白鵬の批判を招いた最初の引き金は審判部長にあった。 そのわけは、こうだ。
   あの放送を私はTVで視ていた。物言いのあと審判たちが協議したあと、マイクで場内の観客に説明が行われた。無論、観客は声をあげず、静寂そのものだったので
   審判部長の言葉を聞き取れなかった者はいまい。放送でもアナウンス音声は明瞭に伝わったが、「白鵬の右足甲が土俵に接した」とのフレーズは聞いた記憶が無い。
   
   若し私だけが聞き漏らしたなら、これ以上コメントする資格はない。然し、その放送だけでなく白鵬の批判が出た直後も暫くヴィデオ映像がメディアには公開されておらず、
   ようやく昨日の新聞で元関脇寺尾による説明が報道されたのだ。私が理解するところでは、この寺尾自身の明快な説明が昨日より前に出たとは思わない。 若し、あの取組
   直後、寺尾自身によるマイク説明で「右足甲の接地」が言及されていたならば同体と見做しての撮り直し判断が当を得ていることは明白であり、白鵬とて批判には至らなかった
   だろう、と類推するが如何であろうか?

 私が本件を、文化摩擦或は日本文化への固執が招いたトラブル事象だと以前から指摘する根拠はおわかりいただけるだろう。 上に述べた審判部あるいは相撲協会が即座に
 映像公開も明瞭な説明もせず、黙っておれ!といわぬばかりに<横綱の品格>や<スポーツにおける審判の不可侵>などで議論を捻じ曲げたからこそ、白鵬は理解も納得もできずぬまま批判を引っ込めることができなかったのである。 それは彼が外国文化で育った所為ではなく、合理性を求める人間なら国籍に関係なく納得できないやり口なのだ。 
キチンと真正面から理路整然と反論することは喧嘩腰になることではなく、何ら憚るべき対応ではないのに、日本人は何故か真正面からの反論をその場で避けたがる。この態度こそがトラブルの原因であり、要らざる不信を招く行動である。散々、この種のことは文化比較で大衆レベルでも指摘されてきた筈だが、権威や沽券が邪魔をするのか、どうしてもここが変えられないらしい。
     ”この態度で良い、それが日本文化の美点だ”と本気で信じる人も依然居るだろうが、そういう態度は狭量であるばかりか、論理性に背を向ける日本民族の弱点である。 
    とりわけ「国技」だと讃美する方々にはお考え戴きたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする