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財務省と国民の歴史健忘症ⅩⅤ

2012年07月26日 | 政治経済
 石油ショックの頃というと、白川日銀総裁をはじめ今の日銀幹部が入行した頃になります。
白川総裁がよく言う台詞に「お札を刷ってはいけない」、「これ以上国債を発行して借金を増やしてはいけない」、
「国債を日銀に引き受けさせるのはとんでもない」、「今の経済不況を脱却するには生産力を上げなければいけない」等々・・・。
これらはインフレの時に言う台詞です。
白川さんは最初、デフレであることすら認めなかった人です。
なぜこんなことを言うのでしょうか?。

 昭和48年、白川さんたちが入行した頃の経済状況に当てはめると、彼の発言は全て正しいことが分かります。
あのときは田中内閣、昭和47年7月、角福戦争で田中総理になりました。彼は大蔵省でやりたい放題します。
この時の48年の予算は空前絶後の予算です。
この時の大蔵省主計局は、後の田中派参議になる相澤英之さんが局長、鳩山威一郎さんが次官、主税局長が高木文雄さん、この人は田中角栄のおかげで橋口主計局長を飛ばして次官になった人物、この3人が作った予算です。
大蔵省は本来他の省庁の経費をいかに削減するかが仕事なのに
「防衛費以外何でも請求してきなさい。角栄さんは何でも予算付けるので好きなだけ請求してきなさい」
主計局課長吉野良彦さん、その下の主査の斉藤次郎さんらは苦々しく思いながら、課長係長級なので発言権がありません。
ニクソンショックから脱却して、インフレ傾向にあるところでそんな予算を組んでしまったのです。
「日本列島改造論で日本の土建屋さん儲けてください」そして土地の高騰、インフレ率16%の所で石油ショック、地獄絵図となります。
当時の日銀に対して田中総理が間違ったリーダーシップを発揮しました。

 国債をどんどん発行して「いくら借金増やしてもいいんだ、日銀に引き受けさせればいいんだ」そんな状況なら
今、白川さんの言っていることは全部正しいと考えられます。今の日銀は幼児体験を未だに引きずっているようです。
「田中内閣に苦しめられた」、それを今のデフレという全く逆の状況で発言するからおかしくなるのです。
財務省出身者の代表例で藤井裕久さん、昭和10年代の歴史を彼なりの戦後民主主義史観で語られています。
「当時軍部の独走に大蔵省は対抗できなかった。その反省で・・・」
まさに白川さんも同様です。

 しかし大蔵省でも、一夜にして過去の誤りを変えた例があります。
昭和6年12月12日犬養内閣ができて高橋是清大蔵大臣、その前日まで民政党の井上準之助大蔵大臣が金解禁政策をやっていました。
高橋に変わった途端、その日のうちに金解禁を止めてしまいました。
金解禁の誤りは誰もが認める失敗ですが、大蔵省は当時の慣例で内閣交代すると河田烈次官はやめるけれど、局長は全員残ります。
井上財政の中心人物であった藤井主計局長は残りました。彼は是清が後の大蔵大臣に育てた人物です。
こうして大蔵省は組織としての永続性を保っているのです。
「井上財政は2年やってダメなんだからこれはおかしいんじゃないか」という話が上がってきているです。
是清が大蔵大臣になった瞬間に間違いを改めるが、組織としての継続性は保つ。こうして大蔵省が過去の誤りを認めることができた例となりました。
消費税増税の話も同じです。デフレを延々と続けてきた事に関しても大蔵省の伝統を財務省が持っているとしたら脱却できるはずです。
日銀に言うこと聞かせられるのは財務省だけです。財務省は覚醒すべきです。
G20で消費税増税を外国に公約してくる暴挙を本来真っ先に止めることができるのは大蔵官僚です。
大蔵官僚は外務省と同等以上、「一番英語のできる人は外務省より大蔵省で探せ」と言われていたのです。
野田首相に「そんな恥ずかしいこと止めてくれ」と言うのが大蔵省の役割なのです。
ところが非常に嘆かわしいことに、今の財務省の中にも、国際公約してから中でまとめようという人もいます。

 昭和48年の日銀において、当時の佐々木総裁は、戦前の総力戦研究所出身、大変優秀な人でしたが、
田中角栄という力だけの政治家の間違った政治主導に屈してしまいました。
その後大蔵事務次官出身のドン中のドンである森永貞一郎総裁に収集してもらうことになりました。
石油ショック以降の金融政策、政治との関係は日銀にとって屈辱の限りです。そこから日銀はゆがんでいったのです。
しかし彼らは優秀なので間違ったことに気づけば改めることはできるはずです。

昭和49年田中角栄以降以降、その系譜は竹下さん、小渕さん、橋本龍太郎さん、今日の小沢さんまでつながっている人脈的系図があります。
昭和63年竹下首相は創世会を作り、目白の田中角栄邸に御説明に出向きます。
「同心円で行こう」という表現が角栄氏の逆鱗に触れて、角栄はオールドパーをあおって倒れてしまいます。非常に厳しい政治闘争の時代です。
 
竹下さん、危険な香りの全くしない人です。優しいおじいさんのような外観、しかし、本当のマフィアは優しい外観をしているものです。
竹下さんは田中角栄の陰に隠れています。日本で田中角栄人気があるのは判官贔屓の伝統のせいでしょう。
「ロッキード裁判は明らかにおかしい裁判だ、彼は引っかけられてしまった。
自分たちで持ち上げて引きずり下ろしてしまったけどやっぱり角さんおもしろかったな。ばらまきもやってくれたし・・・」。
それに対して竹下さん、田中角栄のミニコピーのように言われますが、
実は全く逆で手法も角栄が飴であるならば竹下さんはひたすら鞭の恐怖政治だったのです。竹下内閣はとんでもないことをいっぱいやっています。
リクルート事件があっても内閣が1年間潰れませんでした。今の内閣で汚職スキャンダルが発覚して1年間内閣がびくともしないなどありえません。
支持率が消費税3%を下回るのかと言われるほど粘れるだけ粘って、一番都合のよいときに辞めて宇野宗佑という傀儡政権を据えます。
リクルート事件でもめているさなかに消費税増税をやります。
今、消費税増税だけでもこれだけ反対があり、仙石さん、輿石さんなど、1年生議員すら押さえられない幹部が仕切っており、
それすら倒せない情けない自民党という現状。当時の竹下派は竹下さんが通達出したらそれで終わりです。
永田町、共産党含めて誰も逆らいません。宇野内閣が参議院選挙で負けてねじれ国会の原点になります。当時自民党は参議院で過半数持てませんでした。
与党第一党が衆議院の多数派でありながら参議院で過半数取れなかったのです。これは大変なことです。
平成政治はそれで苦しんでいます。竹下さんが健在だった時代、自公民路線、つまり野党第1党の社会党を外して、
第2党公明+第3党民社と話を付けたら法案は何の問題もなく通るのです。竹下内閣はいかにすごい権力を持っていたか、
竹下さんの個性、段取り力がいかにすごいか、単なる田中角栄のミニコピーではありません。平成は竹下内閣から始まります。
竹下さんを過小評価すると今の政治が分からなくなります。竹下さんは細川内閣の8ヶ月間を除いて死ぬまで、
羽田内閣でも小沢一郎の対抗のため羽田総理は竹下さんと通じます。
党首ですらない野党の実力者が時の総理大臣と通じるというとんでもない院政を引きます。
田中角栄さんは竹下さんのような自分の子飼いに裏切られたら困るので総裁候補を出しませんでした。
平成になると竹下派は他の派閥に総理を渡しません。村山内閣を担ぐ、橋本龍太郎を据える、小渕恵三を据える、
田中角栄ができなかったことを竹下さんは病気で倒れるまでやっていきます。
竹下政治の負の遺産がいかに大きいか、
それを相当引きずっていると言うことが財政においても外交においても存在すると言うことを認識すべきでしょう。
竹下派出身で優秀な人として小渕恵三という人がいます。江沢民との外交で日本の国益を守った人です。
竹下派はその後10年間小渕さんの体制で行くことになります。後継者がいなくなったので派閥がばらばらになっていきました。
小渕さんの特徴は超親中派の竹下さんの一の側近でありながら日本の国益を最大限守るようなことをやったことです。
一方、歴代の政治家の中でも小沢さんの評価は一格落ちます。小沢さんは豪腕で、困ったときは小沢しかいないという幻想があります。
まず彼は首相になったことがありません。成果にしてもただ壊し屋以上の物はありません。小沢さんに変な期待をして、
「増税が間違っているなら反増税は小沢だ」と言った矮小化した議論があまりにひどいようです。
小沢さんはいきなり藤井寛久さんという増税派の筆頭を代表選挙で担ごうとする人です。結局政策は何もない政争の人ということです。

☆お知らせ
営業日の午後12時~午後4時は、手術、治療業務のため留守番電話にしている場合があります。
フィラリアの予防を開始しましょう。

7月の予定
8月の予定
13日(月)、14日(火)全日お休み。ホテルのお預かりお返しは午前9時と夕方7時の2回。
15日(水)午前のみ営業、午後お休み。
16日(木)以降は通常営業。



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