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真実の中国史を知って日本の未来を開こうⅤ

2012年11月10日 | 歴史
 朝鮮の話
 大院君、閔妃の舅に当たる人物です。高宗の父に当たります。当時李氏朝鮮の実力者でした。王様ではありません。朝鮮は王様の位までしか存在しません。
日本は天皇が皇帝に当たります。朝鮮やベトナムは清朝皇帝から位をもらうので王様止まりです。王様の息子は世嗣世継ぎの子供としか書かれません。
皇太子とは言われません。この舅が政治をしていて、高宗は閔妃の夫に当たります。日清戦争で日本が清に勝ちました。
その講和条約である下関条約第1条は「朝鮮を独立の国と認める」とあります。歴史上初めて朝鮮半島が中国から独立したのです。
この後ごたごたがあり、閔妃が暗殺され高宗はロシア大使館に逃げ込んで韓国皇帝を名乗ります。清朝も嫌いだけど日本はもっと嫌いなのです。
金玉均という人物は、福沢諭吉が後押しした下層の親日派で、近代化を目指していましたが、高宗に追われて日本に亡命し、伊豆大島に流されていました。
ある時、自ら清朝の領内に赴いて朝鮮から派遣された暗殺者に殺されてしまいました。
日清戦争の原因になったできごとに東学党の乱があります。東学とは、西の学問つまり欧米思想に対抗した土着の学問です。
当時下層階級の運動もあったのです。閔妃を写したとされて日本で広まっている写真はある写真館で写されていることが背景から判明しました。
その写真館はキーセンの写真も多く撮られていることが分かっています。そんなところにわざわざ王妃が行って写真を撮るとは考えにくいでしょう。
おそらくこの人物は閔妃ではないだろうと考えられます。イザベラバード女史の旅行記によると、彼女は王妃に会っています。
それによれば頭の上に髷などはありません。また華奢な人だったとしています。そもそも写真のような髷は王妃はしません。
それまで日本ヤクザまがいの乱暴な奴らが王宮に忍び込んで閔妃を殺したとされ、
これが反日感情の始まりですが、みんな手に写真を持って侵入したと記録されています。
日本の写真家がわざわざ王宮で閔妃の写真を撮って、それを手に閔妃を探したと歴史書はなっています。王宮は100人以上の女性がいます。
おそらく大院君以外に本当の閔妃の顔を知っている人はいなかったのではないでしょうか。大院君は閔妃とずっと仲が悪くて政権争いをし続けていました。
閔妃が殺されて大変喜んでいたそうです。閔妃自身も良い評判はありません。日清戦争で日本が勝ったにもかかわらず遼東半島をロシアが取りました。
するとすぐに閔妃はロシアに付きます。それに対して日本は怒ります。
お金も人も費やして、渋沢栄一が約束した鉄道を反故にしてロシアの鉄道を引く約束をしてしまったのです。釜山までロシア軍が来てしまうことになります。
当時の鉄道は大きく安全保障に関わっていました。軌道幅がロシアは大きく、日本の規格と違っていました。
どの国境でもすぐには列車が乗り入れないようになっていたのです。明治維新の直前には対馬はロシアに占領されています。
日本は追い払えないのでイギリス艦隊が追い払っています。閔妃はなぜそれほどまでに日本がいやだったのでしょうか。
それは両班階級が特権を守りたかったからです。平等がいやだったのです。今の韓国人は親日派の財産を没取してしまい過去を消し去ろうとしています。
お金のある人はアメリカ国籍を取っています。自分の国を信用していないのです。台湾は10年間だけ清朝の省だったのを日本がもらって近代化しました。
日本が行ったときは近代化の始まる前でした。中国語も無く原住民がたくさんいたのです。日本は近代化したときに下級武士が新しい日本を作りました。
日本は武士階級は非常に尊敬されている階級でした。身を捨てて国のために動いたのです。ところが儒教では武士は最低レベルです。
武は軽蔑の感情が強いのです。李氏朝鮮はモンゴルが引き上げた後から始まります。
朝鮮半島は1割にも満たない両班と言われる貴族階級がそれ以外を支配していました。「」、チャングムの誓いにも少し出てきましたが、最下級層のことです。
人権などない奴隷がたくさんいました。殺されても文句は言えない階層です。13世紀には高麗はモンゴルでした。
フビライの娘が高麗王の息子と結婚します。その息子はモンゴル宮廷に婿入りします。
そこで育った娘は高麗に嫁に行き、生まれた息子はまたモンゴルへ婿入りします。高麗の王家は母方が皆モンゴル人です。
高麗はモンゴル帝国の一介になったのです。パクパ文字も使われるようになっていきます。
チベット文字、パクパ文字、そしてハングル文字。ハングルは大変チベット文字に似ている形があります。しかし文法は全く違います。
朝鮮半島にアルファベットの文化が入ったのはモンゴル時代です。漢字以外に発音が書ける文字が入って便利になりました。
羊もいて世界貿易の一環となるはずでしたが、李氏朝鮮になると、まず羊がいなくなります。木を曲げる技術が退化します。
樽ができません。車ができません。水を運ぶのに土瓶に入れて背負うしかありません。なぜこんなに退化したのでしょうか。
北朝鮮と同じで中国に飲み込まれないためです。物々経済に戻って貨幣も無くなりました。モンゴル時代は貨幣がありました。
世界最初の不換紙幣を作った国がモンゴルです。それもなくなりました。染料を買う金がないので皆白い服です。
1890年日清戦争が終わった後のソウルの写真を見ると、泥の道、屋根も瓦が無く、人の服は全て白、それでも李氏朝鮮は明の朝貢国でした。
貢物を差し出さなければいけません。宦官と女官を差し出しました。清宮廷の宦官はほとんど朝鮮出身です。美人は女官にして持って行きました。
国営妓生(キーセン)と同じです。「ファンジニ」というドラマで柄のチマチョゴリはフィクションです。朝鮮人は柄が嫌いだから身につけません。
なぜ柄が嫌いなのでしょうか。日本人みたいだからです。倭寇の時代から日本の男は柄の着物を着ています。柄の着物は日本人みたいで大嫌いなのです。
日清戦争以後日本が安い化学染料を持ち込んで、みな色物を着るようになります。
日本でチマチョゴリを見ると上がピンクで下が赤とか、緑と黄色とか、色彩は派手な物が好まれるようになりました。ところが柄物は一切着ませんでした。
日本人のようでいやだったのです。日韓併合後の写真を見ると日本人と朝鮮人が仲良く並んで写っています。
日本から行った女性が柄の生地でチマチョゴリを着ています。柄物は日本人の特徴でした。朝鮮人は柄物を嫌ったのです。キーセンは貧乏でした。
ドラマ「ファンジニ」の髪飾りは日本の花魁の真似だろうと思われます。
日本は安土桃山時代から洛中洛外屏風が残っていて、それを見ると実に派手な色彩の衣装であることがわかります。
それがうらやましくて歴史を作り替えようと韓国はがんばっているのです。ドラマでは男が刺繍の服を着て、女がレースのチマチョゴリ。
何にも無いところから捏造するのが儒教文化です。中国も韓国も同様です。とても誇らしく強調して乳房を露出している婦人の写真があります。
日本人のカメラマンが撮影したものです。「跡継ぎの男を生んだ女性は面前で乳房を見せる権利がある」という但し書きが付いています。
李氏朝鮮時代に描かれた絵では、楽隊がほとんど色のない着物を着ています。踊っているキーセンは赤いスカートをはいている。
彼女らは上流階級両班の慰み者です。そんなに酷い格好はしていません。北朝の喜び組と同じです。今でも李氏朝鮮の伝統が生きているのは北朝鮮です。
別の絵では輿に乗っているのが大臣で、薄いピンクの服を着ています。その前を歩いているのが武官の両班で、後ろを歩くのは文官の両班です。
大臣は車に乗っていません。樽もありません。真っ白な生成りの服しかありませんでした。これが日清戦争のころの朝鮮です。大変貧乏でした。
それが日本が行くことで大変な発展を遂げたのです。

☆お知らせ
営業日の午後12時~午後4時は、手術、治療業務のため留守番電話にしている場合があります。
フィラリアの予防を開始しましょう。

~11月の予定~
11月16日(金)午前 通常業務、午後 獣医師不在
  17日(土)全日 獣医師不在
  22日(木)午後 獣医師18時30分より不在
スタッフは常駐しております。業務内容はお尋ねください。ご迷惑おかけします。



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