アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

35年前の夏

2011-09-09 22:27:54 | Weblog
 台風12号によって、大きな被害が出てしまった。
 和歌山県の新宮市も多くの人命が失われた。この地区の被害状況を新聞、ニュースで見るたびに学生時代の夏が鮮明に蘇る・・・


 東京からひとり出てきて大阪で学生生活。
 寮に入って、親の仕送りをあてにしないと決めて、バイト・バイトを覚悟していた。
 たまたま寮で同じ部屋になった先輩から「一度、わしらのクラブを見に来いや」と、強引に誘われていったクラブが人形劇のサークルだった。
 「週2回、水と土の活動だから楽なもんだよ」と言われた。
 高校は男子ばかりであったので女子の多さに目がくらんだためか、「楽」の一言で入部してしまった。

 おもな活動は、小学生主体のイベント、関西の大学の合同公演、3月の定期公演、それに加えて夏休みの巡回公演である。
 春から夏休みまでは、この巡回公演の準備と練習である。巡回公演とは、僻地の学校に行ってそこの子どもたちに人形劇を見せ、合間にダンスやコントでつなぐという約1時間半の舞台である。

 1回生のときは若狭湾に面した僻地に行ったが、2回生のときに新宮から熊野川町(今は新宮市)、十津川という山の中を巡回した。
 鎌塚、敷屋、九重、小口という名前の小学校をそれぞれ回って、体育館で公演させていただいた。(調べると今はそのすべてが廃校になっていた。)

 1つの公演を終えて次の小学校に行き、そこで泊めてもらう。大道具、小道具、けこみ(人形劇の舞台)を部員で分担してかついで路線バスと徒歩での移動である。何回、吊橋を渡っただろうか、水はこれでもかというくらいにきれいで、山は深く、深く。
 でも、学校はしっかりと地元に根付いてあるのだ。そのほとんどが創立100年を超えている。学制発布によって生まれた学校ばかりであった。明治政府の教育改革を実感できた感じである。交通網の発達と過疎という現実で、その多くが廃校になってしまった。

 小学校には家庭科室や作法室があって、当番を決めて食事の準備と男女おかまいなくの雑魚寝ができる。

 ひとつの小学校での公演の前には、集落中に聞こえるほどの有線放送で、「本日、夕方6時より○○小学校講堂で、大阪教育大学『こぐま』さんによる人形劇があります。」連絡していただき、公演前から多くの人が見に来てくれた。
 また、移動日で時間があるときは、小学校児童&先生とのソフトボールの試合など、大阪から来たお兄ちゃん、お姉ちゃんと遊んでくれた。(モチロン試合は児童の勝ち)

 1週間から10日の巡回であったが、充実していた。みんなが協力しなければできない作業である。学生時代のいい思い出である。


 今回の台風で被害の多かったのが、この地区である。
 熊野川町という地名はわずかに残っていたので、思い出した。
 今は行きたくて仕方がない。少しでも復興に協力したい。
 ボランティアではなく、学生時代の恩返しがしたくてしょうがない。
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