阪神・淡路大震災から29年。

能登半島地震が起こり、当時の記憶を昨日のことのように思い出した。
このときの様子は、このブログ2022年1月17日「1995年からのこと」で書いたが、同じことが今も能登の地震で繰り返されている。心が痛い。
今すぐにでも現地に行って、助けてあげたい。ボランティアをしたい。
ボランティア活動に誘ってくれた先輩(当ブログ2020年1月23日「悲しい知らせ」)
といっしょに能登に行きたい。
先週のテニスのとき、テニス仲間たちと阪神の震災のときの様子を話したのだが、話が尽きない。
息子さんと参加していたYさんは当時芦屋に住んでいて、奥さんは4か月の身重だった。そして生まれたのが今、テニスしている息子だよと教えてくれた。生きて生まれてこれたことに感謝したそうだ。みんな昨日のことのように、すべてが自分ごととして話し合った。そして最後は
「テニスしている私たちは幸せだ」
で終わった。みんな、能登の人を心配しているのだ。
昨日のニュースに

の記事があった。介護士の自分として、少し驚いたし、とても複雑な気持ちになった。
介護士、看護士は慢性的な人手不足の世界である。国からの要請とは言え、これほどの人数が集められるとは、、
人員不足の原因は職場環境にある。厳しい現実がある。
私はボランティアに参加したいが、介護士としては参加したいとは思わない。現場の多くの介護士は私と同じ気持ちのはずだ。
自分さえよければいいと考える日本人はいない。少なくとも集団の組織では、苦しみ、悩みは共有していかないと進歩はない。テニス仲間だけでなく、国、学校、会社、町会、そのすべての組織でである。
このジレンマ、なんとかならないのだろうか‼️