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アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

弱いということの自覚

2021-09-23 07:35:00 | Weblog
 テニスをし、超肉体労働の介護職を続けられるのは、丈夫な体だからではない。テニスや仕事をしているから体が動くのだ。
 このことを常に意識して、生活をしているが、病や怪我に全くたち打ちできない。今までの長い人生で、幾度となくやられてきた。その中の3例である。

その1 虫垂炎
 息子たちが保育園時代、つまり人生で最も忙しかった30歳である。
 お腹が張って済生会吹田病院の夜間救急を受診。胃腸炎と言われて痛み止めをもらう。
 次の日の朝も痛みが続くので、今度は内科を受診。エコー検査をしたが、同様の結果で返される。
 その次も日も痛みがおさまらず。またまた受診。内科の待合室で座っていると、保育園で長男と同じクラスのNさんと出会う。彼女はこの病院の看護師さん。事情を説明すると、
「それは内科でないから、私が診察券を外科に出しとくね」
とのこと。その流れで外科を受診。Nさんが先生の傍らで措置してくれた。
 先生が左下腹をぐっと押し、その押した手を急に離すと、激痛が走った。
「盲腸だね」
と一言。即、入院して手術となった。
 いったいこの苦しんだ数日はなんだったんだ、と叫んだ。
 内科医は虫垂炎も見つけられない。しかし、外科の看護師のNさんは問診だけですぐにわかる。Nさんは命の恩人である。


その2 ギンナンかぶれ
 三男が定期的に阪大病院に通院していて、吹田の我が家から大阪市内福島の阪大病院まで車で行っていた。
 その通り道で、十三横の淀川堤防下にはイチョウ並木がある。
 33歳の秋のある日、そのイチョウ並木の横を通ると大量のギンナンが落ちていた。「これは儲かる」と思い、休日に学童保育が同じHさん、Hさんの息子、私、長男の4人でギンナン取りに。
当時、吹田東小学校学童保育の会長をしていて、そのバザーでこのギンナンを売ろうと思ったのである。
 臭いギンナンを我慢してポリバケツいっぱいに取った。
 家に帰って駐車場でそのギンナンを洗い、乾かした。時間がなかったので土に埋めて種だけになるのを待てなかった。
 次の日、首すじが赤くなり熱が出てきた。病院の皮膚科を受診。
「ギンナンによるアレルギー」
と診断。結局、首すじの腫れはゆっくりと全身に広がり、仕事を1週間休んだ。Hさんの息子も軽かったが同じ症状が出た。だが、Hさんと長男は全く元気だった。
 バザーでギンナンはすべて売れたが、二人の診療代のほうが高かった。


その3 アキレス腱断裂
 39歳のとき、我が家の近くの安威川に吹田市営の南正雀テニスコートができた。
 三男も小学校に入り少し時間に余裕ができたので、夫婦でテニスを楽しもうと決めた。少しは上手くなりたいと思い、相川テニスプラザというスクールに二人で入った。
 スクールでの3回目のレッスンで、前のボールを取ろうと走って1歩目。「ポーン」という音とともに左足首に激痛が走る。誰かが石を投げ、それが足首に当たったと思い、後ろを張り向いたが誰もいない。すぐにコーチ、スクール生が集まり、
「今、すごい音がしたよ」
と教えてくれた。
 足首の上が大きく腫れていた。切れた筋肉が上に集まっていた。
 すぐに救急車で天六の加納病院に入院となる。アキレス腱完全断裂の診断。
 この日は金曜日だったが、手術は来週の木曜日と言われた。そんなに待てなかったので、敏美さんに迎えに来てもらい加納病院を脱走。日曜日に吹田市民病院の休日診療を受診。即、入院手続きをして火曜日に手術した。
 加納病院では手術後3週間入院と言われたが、市民病院では手術の翌日に退院。「ギブスで固定したらその後の措置はギブスを外すときだから」とのこと。
 松葉杖で退院翌日から会社に出勤した。
 病院で、こんなにも対応が違うのか、よくわかった。

 医者も病院もしっかり選ばなくてはならない。
 元気だからこそ、こんなことが起こる。身体は弱いものなのである。