テニスをし、超肉体労働の介護職を続けられるのは、丈夫な体だからではない。テニスや仕事をしているから体が動くのだ。
このことを常に意識して、生活をしているが、病や怪我に全くたち打ちできない。今までの長い人生で、幾度となくやられてきた。その中の3例である。
その1 虫垂炎
息子たちが保育園時代、つまり人生で最も忙しかった30歳である。
お腹が張って済生会吹田病院の夜間救急を受診。胃腸炎と言われて痛み止めをもらう。
次の日の朝も痛みが続くので、今度は内科を受診。エコー検査をしたが、同様の結果で返される。
その次も日も痛みがおさまらず。またまた受診。内科の待合室で座っていると、保育園で長男と同じクラスのNさんと出会う。彼女はこの病院の看護師さん。事情を説明すると、
「それは内科でないから、私が診察券を外科に出しとくね」
とのこと。その流れで外科を受診。Nさんが先生の傍らで措置してくれた。
先生が左下腹をぐっと押し、その押した手を急に離すと、激痛が走った。
「盲腸だね」
と一言。即、入院して手術となった。
いったいこの苦しんだ数日はなんだったんだ、と叫んだ。
内科医は虫垂炎も見つけられない。しかし、外科の看護師のNさんは問診だけですぐにわかる。Nさんは命の恩人である。
その2 ギンナンかぶれ
三男が定期的に阪大病院に通院していて、吹田の我が家から大阪市内福島の阪大病院まで車で行っていた。
その通り道で、十三横の淀川堤防下にはイチョウ並木がある。
33歳の秋のある日、そのイチョウ並木の横を通ると大量のギンナンが落ちていた。「これは儲かる」と思い、休日に学童保育が同じHさん、Hさんの息子、私、長男の4人でギンナン取りに。
当時、吹田東小学校学童保育の会長をしていて、そのバザーでこのギンナンを売ろうと思ったのである。
臭いギンナンを我慢してポリバケツいっぱいに取った。
家に帰って駐車場でそのギンナンを洗い、乾かした。時間がなかったので土に埋めて種だけになるのを待てなかった。
次の日、首すじが赤くなり熱が出てきた。病院の皮膚科を受診。
「ギンナンによるアレルギー」
と診断。結局、首すじの腫れはゆっくりと全身に広がり、仕事を1週間休んだ。Hさんの息子も軽かったが同じ症状が出た。だが、Hさんと長男は全く元気だった。
バザーでギンナンはすべて売れたが、二人の診療代のほうが高かった。
その3 アキレス腱断裂
39歳のとき、我が家の近くの安威川に吹田市営の南正雀テニスコートができた。
三男も小学校に入り少し時間に余裕ができたので、夫婦でテニスを楽しもうと決めた。少しは上手くなりたいと思い、相川テニスプラザというスクールに二人で入った。
スクールでの3回目のレッスンで、前のボールを取ろうと走って1歩目。「ポーン」という音とともに左足首に激痛が走る。誰かが石を投げ、それが足首に当たったと思い、後ろを張り向いたが誰もいない。すぐにコーチ、スクール生が集まり、
「今、すごい音がしたよ」
と教えてくれた。
足首の上が大きく腫れていた。切れた筋肉が上に集まっていた。
すぐに救急車で天六の加納病院に入院となる。アキレス腱完全断裂の診断。
この日は金曜日だったが、手術は来週の木曜日と言われた。そんなに待てなかったので、敏美さんに迎えに来てもらい加納病院を脱走。日曜日に吹田市民病院の休日診療を受診。即、入院手続きをして火曜日に手術した。
加納病院では手術後3週間入院と言われたが、市民病院では手術の翌日に退院。「ギブスで固定したらその後の措置はギブスを外すときだから」とのこと。
松葉杖で退院翌日から会社に出勤した。
病院で、こんなにも対応が違うのか、よくわかった。
医者も病院もしっかり選ばなくてはならない。
元気だからこそ、こんなことが起こる。身体は弱いものなのである。