金曜日に休みを取って「讃岐うどん・丸亀城・高松城」ツアーに1泊で出かけました。
朝7時出発、山陽道・瀬戸大橋・坂出から丸亀に行って、まず丸亀城見学。
現存12天守のひとつで、「石垣の城」というだけあって何層も続く石垣は見事です。まるで反り返るように曲線美は感動ものでした。親切な地元のオヤジさんの解説も聞けて勉強になりました。
観光案内所で聞いたうどん屋さんには11時半ごろ到着しましたが、すでに周りの会社の人でほぼ満員。ぶっかけうどん小210円を注文しましたが、その量の多いこと。となりの親父さんは大を食べていましたが、特大という感じでした。12時には店の外まで行列ができていましたが、店も広くて回転はよさそうでした。
14時から宿の休暇村讃岐五色台でテニスをしましたが、コートはボロボロで風が強く、最悪のコンディション。しかしハードに動き回りへとへとになりました。すべては晩ご飯のためです。
海鮮バイキングの晩ご飯は評判どおりのごちそうでした。
刺身やら漁師鍋やら鯛しゃぶやら、海の幸のてんこもりでうれしいひとときでした。
次の日は朝7時から宿の人の案内で朝の空気を吸う散歩。
9時に出発して途中の82番札所「根香寺」によって高松城へ。山の中のお寺で、81番の白峰寺からはかなりの厳しい道のりと思いました。バスツアーで回っているグループに遭遇しましたが、若い人もいて、少し驚きました。でもバスで回ってご利益があるのかなあ・・・
日本3大水城の高松城は、後期は徳川(松平)によっておさめられていた高松藩の城で、明治の中期までは天守があったのですが、例のごとく老朽化で解体。天守台と月見櫓だけが残されています。海に続くお堀にはなんと鯛が泳ぎ、鯛のえさやり50円なるものが設置されていました。
高松港をしばし散策して、私が行きたかった「平賀源内」のふるさとへ。
志度町(現さぬき市)に記念館と生家があり、訪れました。
平賀源内は、本草学(薬学)、物理学、小説、絵画、鉱物学、焼物などに精通した天才です。エレキテルをはじめ日本最初の油絵を描き、最後は人を斬って獄死という、波乱万丈の人です。とても面白い人物だったので、記念館でいろいろな資料に出会えてうれしかったです。
旅の終わりは立ち寄り温泉。これも観光案内所でオススメの「春日温泉」をきいて、ほっこり気分になりました。
満足旅でした。
朝7時出発、山陽道・瀬戸大橋・坂出から丸亀に行って、まず丸亀城見学。
現存12天守のひとつで、「石垣の城」というだけあって何層も続く石垣は見事です。まるで反り返るように曲線美は感動ものでした。親切な地元のオヤジさんの解説も聞けて勉強になりました。
観光案内所で聞いたうどん屋さんには11時半ごろ到着しましたが、すでに周りの会社の人でほぼ満員。ぶっかけうどん小210円を注文しましたが、その量の多いこと。となりの親父さんは大を食べていましたが、特大という感じでした。12時には店の外まで行列ができていましたが、店も広くて回転はよさそうでした。
14時から宿の休暇村讃岐五色台でテニスをしましたが、コートはボロボロで風が強く、最悪のコンディション。しかしハードに動き回りへとへとになりました。すべては晩ご飯のためです。
海鮮バイキングの晩ご飯は評判どおりのごちそうでした。
刺身やら漁師鍋やら鯛しゃぶやら、海の幸のてんこもりでうれしいひとときでした。
次の日は朝7時から宿の人の案内で朝の空気を吸う散歩。
9時に出発して途中の82番札所「根香寺」によって高松城へ。山の中のお寺で、81番の白峰寺からはかなりの厳しい道のりと思いました。バスツアーで回っているグループに遭遇しましたが、若い人もいて、少し驚きました。でもバスで回ってご利益があるのかなあ・・・
日本3大水城の高松城は、後期は徳川(松平)によっておさめられていた高松藩の城で、明治の中期までは天守があったのですが、例のごとく老朽化で解体。天守台と月見櫓だけが残されています。海に続くお堀にはなんと鯛が泳ぎ、鯛のえさやり50円なるものが設置されていました。
高松港をしばし散策して、私が行きたかった「平賀源内」のふるさとへ。
志度町(現さぬき市)に記念館と生家があり、訪れました。
平賀源内は、本草学(薬学)、物理学、小説、絵画、鉱物学、焼物などに精通した天才です。エレキテルをはじめ日本最初の油絵を描き、最後は人を斬って獄死という、波乱万丈の人です。とても面白い人物だったので、記念館でいろいろな資料に出会えてうれしかったです。
旅の終わりは立ち寄り温泉。これも観光案内所でオススメの「春日温泉」をきいて、ほっこり気分になりました。
満足旅でした。