野菜の中でトマトをよく食べる。身体がしんどい時でもトマトは身体が吸収してくれる。一切れか二切れ毎朝食べている。食べると心落ち着くから不思議な食べ物だ。つい先日、フルーツトマトをご馳走になった。フルーツトマトは初体験。緊張して口に含んだ。特に甘くないが、やさしい感覚が心を癒してくれた。日常に食べるのはもったいない気がするので、今度何かの晴れの日にいただこうと心にしまった。
紫陽花は庭の隅にあった。どぶに面した場所でほとんど誰も気づかない。ましてや
水を撒こうという人は誰もいない。もちろん肥料などやった例めしがない。それでも毎年花を咲かす。野の花は一人で育っていく。濃いピンクの花をつけているので多分アルカリ性の土壌だろう。手の行き届いた庭もいいが、思わぬところで可憐に咲いている花に出会える方がうれしい気分にさせられる。
水を撒こうという人は誰もいない。もちろん肥料などやった例めしがない。それでも毎年花を咲かす。野の花は一人で育っていく。濃いピンクの花をつけているので多分アルカリ性の土壌だろう。手の行き届いた庭もいいが、思わぬところで可憐に咲いている花に出会える方がうれしい気分にさせられる。
車の多い大通りを右折するとこの道にでる。この季節は黄色い花がタンポポと一緒に咲いている。もうこの季節のタンポポは丸い綿毛が今にも飛び出しそうに咲いている。暑い夏は汗をかきながら登る。秋の季節は団栗をポケットに詰め込みながら登る。不思議と冬の季節の思い出が無い。もうすぐ夏が来る。今度はいつこの坂を登るのかと自分に問いかけて見た。
昨日は無断でお休みしました。ごめんなさい。今朝は、早めに出かけ、田舎の光景の中で身を休めることができました。市街地から少し入ったら、光景が一変し、棚田に出会えました。今が田植えの最中で、まだ畝を耕して田植えを待っている場所もありました。棚田を見ているうちに気持ちが軽くなりました。「ありがとう」と心の中でつぶやきました。
相当昔、アメリカ人と思しき人がペットボトルの水を持って歩いているのを見たとき、水をお金を出して買うことに驚いた。今は、水やお茶のペットボトルを持ち歩くのは日常的な光景になったが、当時は、お金を出して買う感覚が分からなかった。子どもの頃、水道の蛇口に口をつけて生ぬるい水道水を飲んだ記憶が心に残っている。今も、お茶は買うが、水を買うのに心理的な迷いが残っている。
「今朝、紫陽花を見た。」新聞紙にくるまれていた。「薄い青色の紫陽花だった。」植えられた土壌が青い紫陽花に染めたのだろう。急に紫陽花は英語名はと気になった。「hydranger」だった。そういえば昔も調べた気がする。もっとおもしろい名前かと思ったが。語源を調べればおもしろいかも知れない。どなたか教えてください。残念なことに紫陽花の写真は準備が無い。お許しください。
何だか悠長な書き出しになったが。湖畔の木陰でコーヒーでも飲みながら好きな本を広げている自分を想像した。もう少し下拙な話になると乾きものの烏賊かピーナツに冷たいビール。時間に制約されず夕陽が落ちるまで過したい。「静かな湖畔の森の影から・・・。」
日曜が週のスタートの考えがあるが。私は月曜からスタートと考え方が、ぴったり来そうだ。そうなれば「しゃきっと」してスタートしたいが、日曜日の疲れが残っていると、そうも行かない。「よいしょ」と身体に命令し起き上がる。とりあえず無理に食事を流し込む。どうかこの一週間が無事に過せますように・・・。