夢華の言いたい放題

夢華の視点から見た出来事や特集

頭が痛い時・・・

2016-12-30 09:02:03 | Weblog
俗に、頭が痛いと言えば、
頭痛と様々な問題を抱えて
痛いと言う意味合いがある。

言葉は、その人の概念で
発しているので、同じ単語で
あったとしても、意味する
内容や基準、ニュアンスは
とことん話さなければ違う
点が発覚せずに変になる。

頭痛の場合は、簡単に時間が
解決する頭痛と他の病気や
何かの前兆の症状に分かれる。
同じ状態に置かれても
全く平気な人と症状が出る
人が居る様に個人差は強い。

我慢できる度合いや
訴える内容も表現方法が
違えば、同じだと思えな
かったりするだろう。
俗にオーバーな人の話は
鵜呑みしないに限る。

もし事故に遭った場合は
頭には脂肪が殆どない
為に骨が衝撃を受ける。
その結果、内出血や切れて
出血したり、コブが出来る。

本人の意識が不明瞭や痙攣
という症状が発症したら
直ぐに医者に行く方がいい。
大人と子供では判断する
基準が異なるし、子供は
自分で説明できないから。

ストレスの度合いが酷く
なれば、四六時中考えて
頭が痛くなって来る。
人間の体の中で脳が
1番エネルギーを必要
とする臓器なのである。

ストレスを軽減する
生き方を模索する事も
時には必要だと思うけど・・・

今年の問題は、今年中に
解決して、スッキリした
新年を迎えたいですね!
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人生の残り時間

2016-12-28 09:02:08 | Weblog
40代に突入すると人生の
残り時間を考えて行動する
ようになってくるのは
ごく普通の現象だと思う。

何故なら、人生80年と
言われる半分の時点に来た。
これからは人生の後半戦
という現実を迎えるから。

勢いで突っ走って来た
独身時代や30代までとは
意識も外見も肉体も格段に
衰えを自覚する事が生じる。

そして、中年という言葉
通り自分にも当てはまる
事を少なからず認めて、
更に自分を育ててくれた
社会に今度は自分が還元
しようと考えるようになる。

それが伝えられている
自然な世代交代という
姿の1つだと思うが・・・

しかし、すべての人間に
当てはまる訳ではない。
自分の事だけを考えて
生きる人も居るから。

残り時間は病気や怪我
というアクシデントに
見舞われて、それ以前に
考える機会を持つ人も
居るし、自分の意識は
何かに引っ張られて行く。

全体から見た自分の位置が
明確になれば、限りある
貴重な時間を大切に過ごす事を
意識し始めて、当たり前だ
と思っていた事に感謝や
喜びが湧き上がって来る。

あなたは人生の残り時間を
意識して生活しますか?
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心の葛藤は何故起こる?

2016-12-26 09:00:40 | Weblog
【 お知らせ 】
●夢華のHPが、リニュアルしました。 新メニューも登場!
<セラピスト夢華のHPアドレス>
    http://u-go.to/yumekakobe

●夢華の著書が、神戸新聞に紹介されました。
「セラピストは神様、仏様」  紫 夢華
1冊 税込み 500円    夢華のHPから購入可能。

●夢華が俳優 清水章吾さんと対談しました。
 雑誌に掲載され、夢華のHPに画像と対談記事も公開中。

クリスマスも終わると
後は大晦日、お正月と
行事は目白押しの時期だ。
充実する予定がびっしり
詰っていれば、楽しい
イベントになるだろう。

しかし、ほんの少しの不安や
わだかまり、アクシデントに
見舞われたら、それも
一瞬で消えてしまう。

自分が直接何かをした
訳でもないのに、責めて
心の中は葛藤が生じる。
その思考回路に陥らない
人の場合は、ストレスを
自分から、しょい込まない。

聞き流してしまうから。
表面上は深刻そうにする
かもしれないけど、それは
あくまでもポーズである。
人から、どう思われるか
考えた上での態度だから。

心の葛藤は、他の人には
見えないし、分からない。
本人が心情を吐露したら
発覚するだけで、相手から
聞き出そうと普通はしない。

では心の葛藤は何故
起こるのだろうか?
真面目に真剣に考えるから。
他に回避する方法があった
のではないかと思い悩む。

或いは、自分で決断できない
状態を先延ばしにする為の
時間や過程の現象の1つ。
相反する気持ちが起るのは
自分の本心と世間体が違う
事に対する、わだかまり。

自分に自信がなけれは
起こる場合と優し過ぎて
背負い込んでしまう
葛藤に分かれるだろう。
悩みを解決する事で人は
成長する生き物だから。
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無力と限界を知る時

2016-12-23 09:01:28 | Weblog
今までに自分の無力と限界を
感じる事が、ありましたか?
色々と出来る、知っていると
自負していても、突然自分の
知識が全くない、何かに遭遇
してしまったら、どうする?

考えられる事をピックアップ
して1つ1つ実行しても
芳しい結果が出ないor
これなら行けると思う案に
どうしてもたどり着けない。

人脈を行使しても足りない。
もう一捻りしなければ
意味がないと思うが、そこに
到達するには様々な障害が
あって不可能だと分かる時、

人は自分が1番可愛い。
保身術が働いて、或いは
多くの見返りを要求しても
後から気乗りしないと断る
場合も出て来るだろう。

メリット、デメリットを
掲げても、生きている限り
世の中の大きなしくみに
逆らう事は非常に難しい。

困難であっても、その先に
期待できる自分の姿を
描けたら進もうとするけど・・・

限界と無力は、どんな場合でも
誰かに、必ず起る事柄の1つで、
妥協と見ないふりをして
避ける人も居るだろう。

深い部分で誰も信じていない。
その言葉を発する人は居る。
それ相応の出来事を身近に
体験したり、目撃したから
生まれてくる言葉である。

通り一遍の人には話さない。
誰も信じていないとは
裏切り行為や身勝手な人を
見過ぎた結果かも知れない。

無力と限界に晒されて
死を選ぶ人間も居るから。
年間の自殺者は3万人を
超えているのが現実である。
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違う風景 & 出会わない人

2016-12-21 09:03:26 | Weblog
車や電車で日頃、自分が
居る場所とは違う所を
訪れたら、何かを感じる。

それが、単に風景だけ
ではなく、そこに住む
人々の違いや街全体の活気
或いは、同じ様な建物
場所であっても、異なる
部分を五感で捉えるだろう。

そこで出会った人は
自分の住んでいる街では
決して会う事がないから。

知らない職業、自分とは
違う価値観が根付いて
いれば、それに感化され
今後の生き方が変わる
場合も当然起こって来る。

のどかな田園風景、活気と
刺激に満ちた大都会、
それぞれ目の前に出現した
風景から自分は何を感じ、
思うか、実際にその場に
立たなければ分からない。

所属が同じ、行く場所が
重なっていない限り
大部分の人は、1度しか
会わない場合が多いだろう。
それを出会いとして
受け止められるか、どうか?

通りすがりの人として
終わってしまうのか?
全然、意味が違ってくる。

自分の印象を相手に強く
植え付けられる人であれば
歳月が経っても相手は
決して忘れていないから。

非日常的な出来事は
すぐに現実に戻って
しまうか、余韻を暫く
持って、普段の生活を
送る事が出来るか、それは
人によって全く異なる。
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