岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「運河の会:東京歌会」2015年9月

2015年09月15日 08時06分44秒 | 歌会の記録(かまくら歌会・星座・星座α・運河)
「運河の会:東京歌会」2015年9月 於)早稲田奉仕園


 9月13日に開催。時期が時期だけに、戦争・夏の終わりを素材とした作品が多かった。短歌は5・7・5・7・7の定形だが、全体のなかに言葉が馴染んでいるかなどの課題が多い。漢語と和語、和語と洋語のバランスも、気になる。助詞一つで一首が活きもする死にもする。


 課題として指摘されたのは漢語ひとつで心情が表現され得ているか。情感が読者に伝わるか。説明や感想文になっていないか、把握の仕方が大雑把ではないか、言葉足らずになっていないか、主題を深く掘り下げられているか、捉え方が読者の共感を呼ぶようになっているか、などだった。


 ここで問題となったのは、1945年8月15日を「終戦の日」と呼ぶか、「敗戦の日」と呼ぶかだった。僕は「敗戦の日」と呼ぶべきだと発言した。「終戦」では戦前と戦後との質的違いを表現できないと思うからだ。


 佐瀬本雄代表は

「8月15日は軍国主義の破れた日だから『敗戦の日』と呼ぶべきだろう。そうでないから安倍晋三のような人間が出てくる。」


 1945年の8月15日を個人の思い出としてだけでなく、歴史的に意義あるものと捉えるには、「敗戦」と明確に呼ぶのが妥当だろう。戦争は自然発生的に始まるものではないし、自然に終結するものでもない。作者の捉え方が問われる。


 倒置法を使うだけで、説明的な表現が回避できるのも発見だった。表現に違和感があるときに、まずは倒置法を試みるのがいいと感じた。いきなり言葉を入れ替えると原作の把握の特徴が失われる場合がある。あとでこねくりまわすより、最初の直観が心情を言い当てている場合もあるからだ。


 歌会の終了後、懇親会があったが、夏の疲れが出て、風邪をひいていたので失礼した。




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