とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

臨済宗について・・・4

2006-09-25 22:03:04 | 宗教
今回は日本の禅三宗について学習します。

禅は白凰時代に伝来し、平安時代は天台教学のひとつにもなっているが、独立した宗派として花開くのは鎌倉時代。栄西の臨済宗、道元の曹洞宗が興り、ついで江戸時代、明僧隠元により黄檗宗が開かれた。

・・・禅が日本に伝えられたのは・・・

653年(白雉4年)に入唐し、法相宗を伝えた道昭が、玄奘三蔵のすすめで達磨の弟子慧満について禅を学び、帰国して飛鳥(奈良県)の元興寺に禅院を建て終日坐禅をしていたと「続日本紀」にある。
次に736年(天平8年)に来日した唐僧道璿が律宗・華厳宗とともに禅を伝えた。
その後、天台宗の開祖最澄や円仁らが入唐し、円(法華)・密・戒とともに禅を天台教学のひとつにとりいれたが、それらはまだ独立した一宗としてではなかった。
また能忍も禅を伝え、日本達磨宗と称した。

・・・栄西とは・・・

栄西は備中国(岡山県)吉備津宮の神官の子。11歳で天台教学を学び、14歳で比叡山にのぼった。28歳で宋に渡り、天台の経典を持ち帰ったが、宋で知った禅をきわめようと47歳で再入宋。
臨済宗黄竜派の虚庵懐敞に師事し、五年目に印可を得て帰国。博多にわが国最初の禅寺聖福寺を開くが、天台宗僧徒の激しい非難をあび、日本達磨宗の能忍とともに朝廷から禅停止の命を受ける。
栄西は「興禅護国論」を書いて「自分の禅は最澄が伝えたものと同じで、比叡山仏教を再興するものである」と主張し、一生を天台密教の僧として終えるが、一方で著書の最後に必ず禅は再興すると予言していた。そのため、日本臨済宗の開祖と仰がれる。ちなみに臨済宗では明庵栄西と読むのが正式だ。

ちょっと時間が無いので今日はここまで・・・。
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