相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「さがみの仲良し小道」では早くも「アジサイ」が開花の序章!!

2024-05-14 09:44:37 | 道・緑道
相模原市南区大野台3丁目から南区相模台3丁目にかけて総延長5キロメートルに亘って「相模原の道・橋・花ーさがみはら百選―」の一つ「さがみの仲よし小道」がある。かつての「相模原台地」に昭和23年から16年をかけ「畑かん水路」が造られたが、その後相模原台地は現在の市街地として発展、この水路敷きを活用した緑道が現在の「仲良し小道」である。平成16年3月現在3,6kmが緑道として整備され今や地域住民のコミュニティーラインとなっている。その「仲良し小道」の遊歩道両側に花壇の随所に数百本のアジサイが植え付けられている。これからの旬の花、梅雨期の代表花、七変化の花と呼ばれている「アジサイ」「あじさい」「紫陽花」が種別蕾をつけはじめ、中にはもう半分「装飾花」を広げている個体もある。来週末頃からいよいよ「アジサイシーズン」の到来となる。(2405)
 
 
 

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「ダイナリサン」と親しまれている「大稲荷神社」

2024-05-14 07:32:10 | 神社
小田原市城山に正一位大稲荷大明神として「ダイナリサン」の愛称で親しまれている「大稲荷神社」は鎮座している。小田原城北条時代の天正18年(1590)に創建された由緒ある神社でかつては「田中稲荷」と称していた。宝永3年(1706)小田原城主大久保加賀 守忠増によって現在地谷津山に勧請され、谷津村、竹の花町、須藤町、大工町の鎮守として「大稲荷神社」と称した。小田原城北条時代に修験者が旧竹ノ花地区内に建立した修験堂、武田家の臣曲渕氏が主家滅亡後、徳川家に随身、当地を釆地として賜り「修験堂」に稲荷大明神を祀ったことが興りである。御祭神は商売繁盛と方位除けの「田中大神」と「宇迦之御魂大神」である。平成18年、江戸時代の宝永3年(1706)に鬼門除の稲荷として再興してから300年を迎え「三百年祭」が執り行われた。「福泉寺」の手前に大きい「赤い鳥居」が構えられている。境内参道右に「社務所」、左に「神輿庫」がある。直進すると左側に「大稲荷神社」、右に「愛宕神社」、その間に「錦織神社」(テニスの錦織選手も訪拝)、官位稲荷、田中稲荷がある。両社の本殿の彫刻は素晴らしく、特に「愛宕神社」の花鳥彫刻、獅子頭・波と鯉、巻物を手に馬に乗る人、龍に跨る人と施されている精緻な彫刻は「左甚五郎」作である。(2405)
 
 
 
 
 
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