相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

着々と工事進む「新国立競技場」~輪郭が見えてきた!!

2018-01-09 10:51:55 | 建造物
2020年「東京オリンピック」のメイン会場となる「新国立競技場」、当初イギリスの女性建築家「ザハ・ハディド氏」がデザインを手掛けたが莫大な建築費となることから日本政府が白紙撤回とした。代わって新デザインを日本人の「隈研吾氏」が担当することが決定。しかしザハ・ハディド氏の旧デザインと酷似していると著作権問題に発展、隈氏案に「聖火台」考えられていないとか紆余曲折があったメインスタジアム「新国立競技場」、建設も残すところ二年を切り、完成は2019年11月予定だとか。今どこまで工事が進捗しているのか興味があり訪れた。この「新国立競技場」は敷地面積11万3000平方メートル、総工費約1490億円の大規模プロジェクト。隈氏のデザイン案のコンセプトは「木と緑のスタジアム」。屋根の木材は国産のカラマツを使用、屋根のひさしの軒の部分には木材をふんだんに使用するらしい。旧国立競技場の解体から始まり昨年1月着工、土壌掘削、基礎工事も完了、ショベルカーが消え、何機も配置されたクレーンによってスタジアムの鉄骨が組み立てられ浮かび上がった楕円形の輪郭が見えてきた。また階段状の観客席を支える梁も完了、夏~秋にはスタンドが完成、すり鉢状の観客席が形になる。今日は神宮球場側、東京体育館側から建築、工事の様子を視察、工事は順調に進んでいるようで今の工事はスタンドの3階部分を着手中。今後スタンドや屋根のパーツ組み込み作業が終われば来月頃には巨大なスタジアムの骨組みが完成するようである。イメージ図どおり、あの楕円形、流線型の新競技場の姿でお披露目となるのか楽しみである。(1801)














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下鶴間のふるさと館「旧小倉家住宅の母屋」と「高札場」

2017-12-09 14:58:23 | 建造物
大和市下鶴間に「下鶴間ふるさと館」はある。この辺りは東海道の脇街道である「矢倉沢往還」の下鶴間宿があった所である。このふるさと館には江戸末期に薬など雑貨商を営んでいた「旧小倉家」の商家を復元した「旧小倉家住宅」の母屋と幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き人目の惹くように高く掲げておく場所であった「高札場」としての証「説明板」がある。高札場は神奈川県の東海道では9つの宿場にそれぞれ1ヶ所ずゝあったという名残である。母屋は江戸時代の建築遺構で「木造銅版葺き」、「入母屋造り」、「四間取り」(みせ/ざしき/なんど/おくざしき)となっている。その他に白壁の「土蔵(袖倉)」も残されている。大和市指定重要文化財(歴史的建造物)であるがいつまでも保存に努めてもらいたいものである。(1712)






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人吉の文化財の相良藩「武家屋敷」と「堀合門」

2017-11-21 09:11:48 | 建造物
人吉市土手町に人吉の文化財の一つ九州相良藩「武家屋敷」・「堀合門」がある。先ず入口の正面に人吉城跡から移築した「堀合門」がある。廃藩置県で人吉城の建物が取り壊された際、相良家の一族「新宮氏」が拝領し自宅門とした。元人吉城の御館の水の手側入口にあったもので「堀合門」と呼ばれ。この門は現存する唯一の人吉城の建造物である。また奥の「御仮屋」は球磨郡錦町二丸に建てられていたものを江戸末期に移築。西南戦争の際に「西郷隆盛」の宿舎でもあった。江戸末期に造られた「庭園」、石をくり抜いて作られた「石風呂」が残されている。城下町らしい貴重な建造物の一つである。(1711)










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中野のランドマーク「中野サンプラザ」

2017-10-04 18:27:56 | 建造物
東京都中野区=中野駅前北口に中野のランドマークと呼ばれる宿泊、ウエディング、レストラン、音楽などの複合施設、特にコンサート会場として、またアイドルの「聖地」として有名な「中野サンプラザ」通称(サンプラ)はある。優良ホール100選にも選ばれている当館はもとは「全国勤労青少年会館」である。地上21階、地下2階で大小2つの三角積木を合わせたような特徴的なデザイン、独特の建物である。高さは121m(地上高92m)。中野駅北口からも最も近い施設、若者文化のサブカルチャー発信地として「日比谷野外音楽堂」や「日本武道館」に並ぶ人気ある「コンサート会場」である。2020年から2024年を目処に最大1万人収容のアリーナを備えた集客施設を設け、賃貸オフィス・ホテル・マンションが入る複合施設となる予定である。






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明治天皇が「御小休所」として利用の「旧富沢家住宅」

2017-10-03 10:45:55 | 建造物
多摩市落合=多摩中央公園内の南端の一角に多摩市の文化財に指定されている「旧富澤家住宅」はある。冨澤家の先祖政本は今川家の家臣で桶狭間の戦いで亡ぼされ逃れてこの地に土着し、以来代々連光寺村の名主を世襲した時(18世紀後半)に建築された住宅(建物)である。冨澤家には明治天皇などがこの地に兎狩りなどに行幸、行啓した際には「御小休所」として利用された由緒ある家である。薬医問形式の「表門」より敷地内に入ると全体が芝生が敷き詰められ庭となっており右手に「道場」、「小休所碑」、左には大きな池が配されて美しい外庭となている。敷地の中央に入り母屋造りの「主屋」、その裏には「井戸」、「土蔵」、「裏門(木戸)」がある。メインの「主屋」の建築年代は18世紀中頃から後半と推定される。間取り構成は、まず「式台付玄関」、「客座敷」があり、「広間」、「中の間」、「奥の間」、「納戸」、「茶の間」、「お勝手」、「土間」となっている。今でいうと「4LDK」以上の大きさ広さで嘗ての「上層民家」特有の整った造りのとなっている。(1709)










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