相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

多摩ニュータウンで発掘された「縄文土器・石器」の数々!!

2017-10-01 11:26:09 | 史跡・遺跡
東京都多摩市に昭和55年(1980年)に都内の埋蔵文化財の調査、研究、収蔵を行うために設立された「東京都埋蔵文化財センター」はある。多摩ニュータウン開発時、出土した土器・石器類などの出土遺物を収蔵・展示している。常設展示場には「旧石器時代」の石器(約32,000~25,000年前)、かつて多摩ニュータウン地域では多くの縄文人が定住していたことから多数の発掘された縄文土器や石器、土偶などを「縄文時代早期」(約10,000年~6,000年前)~「縄文時代前期」(約6,000年~5,000年前)、「縄文時代中期」(約5,000年~4,000年前)を年代別に展示している。他には弥生時代、古墳時代、奈良、平安時代、中・近世の遺物、土器なども展示されている。往時の縄文人がこれらの土器を使用していた生活ぶりが伝わってくる。(1709)








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多摩ニュータウン遺跡群の中の遺跡庭園「縄文の村」

2017-09-28 11:05:59 | 史跡・遺跡
多摩ニュータウン遺跡群」は稲城、多摩、八王子、町田の4市に跨る、東西14km、南北2~4km、総面積3000haという広大な丘陵内に点在している1000ヶ所の遺跡を云う。多摩ニュータウンを開発時、昭和41年(1966)より40年という歳月をかけ770ヶ所の遺跡を発掘してきた。出土した縄文土器は東京都埋蔵文化センターに展示されている。隣接する遺跡庭園「縄文の村」は多摩ニュータウンNo.57遺跡(縄文時代集落=縄文前期の住宅跡2軒、中期の住居跡5軒、落とし穴)が発掘、その保存を目的に整備された。「縄文の村」には3棟の復元住居がある。村全体は当時の姿を再現した「縄文の森」、その森の中にひとつは「4500年前の敷石住居」、二つ目は「6500年前の竪穴住居」、3つ目は「5000年前の竪穴住居」、そして「湧水」、「竪穴住居の模型」が復元されている。しばしかつての「縄文人」の暮らしぶりに思いを馳せられる貴重なエリアである。(1709)






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尊貴な者の墓域「大宮遺跡」

2017-08-05 14:25:36 | 史跡・遺跡
杉並区大宮、和田堀公園の一角、善福寺川の南崖上に位置し昭和44年、杉並区教育委員会による発掘調査によって、弥生時代終末期の方形周溝墓3基が近接して発掘された「大宮遺跡」がある。昭和54年(1979)東京都指定遺跡となった。第一号基の主体部から軟玉製の勾玉1個とガラス小玉12個、周溝中から底部穿孔の弥生式土器10個体、第三号基の周溝中からは弥生式土器2個体が発見・出土した。本遺跡で発掘調査された方形周溝墓群は、都区内で初めての発見の事例であり、方形周溝墓の主体部から豊富な玉類が出土、「方形の四方を溝で囲んだ土器時代の古代人の墓」として同時代の「墓制」を知る上でも極めて学術的価値が高いものである。特に壺形土器の配列や底に穴をあけた形状(穿孔土器)からこの遺跡が住居跡でなく、「尊貴な者(族長=祖神)の墓域」、「祭祀遺跡」であると判明した。大宮遺跡から発掘されたものは後に埋め戻され、出土品の一部が大宮八幡宮の「清涼殿」に展示されている。古代人の暮らしに想いを馳せたひと時。(1708)


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大宮人の息吹が聞こえてきそうな「平城宮跡」

2017-04-30 13:37:28 | 史跡・遺跡
奈良市登大路町に平城京の宮城である大内裏があった「平城宮跡」はある。平城宮跡は唐の長安を模して造営された平城京の中枢施設があった所で、佐紀路の南側に広がる東西1.3km、南北1kmの広大な跡地には「大極殿基壇」、「南面大垣」、「朱雀門」、「東院庭園」等が復元されている。中でも一際目を惹くのが平城京の正門となる高さ22mもある「朱雀門」である。朱色の大きな柱に囲まれた「大極殿」には天皇の着座する玉座が再現されている。まるで奈良時代にタイムスリップしたかのような雅な空間には大宮人の息吹が聞こえてきそうである。(1704)










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約4000年前の縄文時代の居住跡「高ヶ坂石器時代遺跡」

2017-03-25 20:18:12 | 史跡・遺跡
東京都町田市高ヶ坂に縄文式時代中期の敷石住居跡「高ヶ坂石器時代遺跡」はある。鶴見川上流の恩田川沿いの低段丘上にあり「牢場」・「稲荷山」・「八幡平」の3遺跡からなる。高ヶ坂石器時代遺跡の調査以降、「敷石住居跡」といい、その「第1号遺跡」として大正15年(1926)に国史跡に指定された。覆屋が造られた牢場遺跡のみ唯一保存公開されている。都内では最初に「敷石住居跡」には住居跡は扁平な円形プランで、長径は西南5m、短径が3.5mある。他の「稲荷山遺跡」は南西部が道路で切られており、断面に土器片や礫が見られたが複雑で不整形な配石遺跡が確認されただけで遺構の状況は定かでない。また「八幡平遺跡」では直径3.45mの円形プランの敷石住居跡が発掘されている。いにしえの縄文人の生活跡だけに感慨深いものがある。(1703)








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