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「武士による日本初の固有法・貞永式目」

2019-05-25 05:03:48 | 日本

ほそかわかずひこさんが「武士による日本初の固有法・貞永式目」について掲載している。
非常に参考になるため、以下、要約し記す。



承久の乱の後、三代執権・北条泰時は、実直な姿勢で仁政に努め、厳正な裁判を行いました。朝廷を軽んずることもありませんでした。それにより、世の中は平和を保つことができました。北畠親房は、『神皇正統記』に次のように書いています。「凡(およ)そ保元平治より以来の乱(みだ)りがはしきに、頼朝と云ふ人もなく、泰時と云ふものもなからましかば、日本国の人民いかがなりなまし」と。彼の後、北条氏が長く政権を維持できたのも、泰時の余徳によるところ大といわれます。

泰時の最も重大な功績は、武士が守るべきことを文書化し、武士に規範を与えたことです。その文書とは、関東御成敗式目(貞永式目)です。幕府には当初、成文法がなく、頼朝以来の先例と武士社会の道理に基づいて裁判を行っていました。しかし、承久の乱の後、御家人と荘園領主・農民との紛争が絶えず、裁判の公正のために法典をつくる必要性が高まりました。そこで、制定されたのが貞永式目なのです。 

貞永式目は貞永元年(1232)に制定されました。式目の式は法式、目は条目を意味します。全文は51箇条。聖徳太子の十七条憲法の3倍で51箇条にしたといわれます。内容は、武士の日常を規制する道徳、御家人の所領に関すること、守護・地頭の権利と義務、裁判、家族制度などを定めています。

意外なことに式目は、宗教に関することで始まります。第1条は、神社を崇敬することです。「神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によって運を添う。然れば則ち、恒例の祭祀陵夷(りょうい)を致さず、如在の礼奠怠慢せしむることなかれ……」。第2条は、仏寺を興隆することです。「寺社異なりと雖(いえど)も、崇敬は之れ同じ。……」。即ち、式目は、武士に信仰の大切さを示すことから始まっています。武士は戦士であり、戦いの場にあることが主であって、日常は従であるというような生活をしていました。こうした武士にとって、宗教は心のより所だったのです。 

以下の条項には、法律と道徳が一体になっているような規定が多くみられます。たとえば、式目は悪口を禁じています。重大な問題をふくむ悪口は流罪。軽い者でも牢に入れるというのですから、相当に厳格な規則でした。また、人をなぐることも禁じています。なぐった場合は、侍は所領の没収、財産を持たない者は流罪でした。また讒訴(ざんそ)をすること、つまり嘘をついて人を陥れるような訴えをすることについても、所領のある者は没収、所領のない者は流罪、官途に関する者ならば永久に召し使うな、と規定しています。こうした規定は、当時武士の間に、私闘が多く、つまらない意地の張り合いで殺し合いになったり、武士間の団結にひびが入ることがあったためです。

泰時は、式目が定める究極のところは、「従者主に忠をいたし、子親に孝あり、妻は夫に従」うことにより、人の心の曲がったところを捨て、真っ直ぐな心を賞して、人民が安らかな生活をできるようにすることだ、と言います。忠・孝・和が強調されているところに、武士道の道徳がよく表われています。

貞永式目は、武士を対象とする、武士のための法律でした。しかし天皇を中心とした法制
度を変えるものではありませんでした。その制度の下に、武士社会にのみ当てはまることを補足したものでした。泰時は式目について朝廷の理解を得られるように書いた手紙に、次のように記しています。「この式目は仮名しか知らない者が世間に多いので、広く人々に納得させやすいように、武家の人たちへの配慮のために作ったのです。これによって京都の朝廷での取り決めや律令の規定が変わることは少しもありません」と。

貞永式目は、武士が納得できるものでしたから全国に徹底しました。そこが形の上では立派でも、ほとんど浸透しない律令とは違っていました。また、律令が外国(シナ)から継受した法にすぎなかったのに対し、式目はわが国独自のものでした。武士という戦士の階級が政権を担った歴史は、シナや朝鮮には見られない日本独自のものです。その武士が初めて日本の固有法をつくったのです。

貞永式目は、鎌倉幕府だけでなく室町幕府にも基本法典として用いられ、戦国大名の分国法にも影響を与えました。庶民には、読み書きの手本として、数世紀にわたって活用されました。それにより、日本人全体に親しまれたのです。こうして貞永式目の普及は、武士道が国民道徳となる基盤の一つを成したといえます。

武士道とは江戸時代にはじめて作られた武士の道徳であって、それ以前には存在しなかったという見方が通説になっています。私は、「平家物語」や源頼朝の治世、北条泰時と明恵上人、貞永式目等を自分で読み、検討を行った結果通説は安易であり、もののふの道、さむらひの心を深く解しないものと考えています。
















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