キ上の空論

小説もどきや日常などの雑文・覚え書きです。

夜なべして直す言葉の多かりけり

2020年10月09日 | 日常
 文章を打っていると、ときに直してる量の方が多いような気がしてくることがあります。元の文章を打ったときより成長したからだったなら良いのだけれど、上手くなるわけじゃないなあ。だいたい見落としか、気まぐれに直して不自然になったやつをさらに直すか。修正が一度で済めば良いのですけどね。

 不意に『カッタリーナ三世』を思い出したのでちょっと語る。
 講評では山場があっさり片付いたのがマイナスって感じで書かれていたけれど、私はその山場の、危険を感じていつも近くで助けてくれる従者に連絡→即座に過ぎる従者のレスポンスが好きだったので、自分の感性がちょっとずれていることに気づいたきっかけでもありました。
 当時のジャンプは努力・友情・勝利の時代でしたので、うんと想像しないと見えない努力や、属性の違いすぎる相手との信頼とかは、それを主眼としないなら横に置かれたのよね。坊ちゃんと従者じゃ友情じゃないしね。子供向けの漫画だからわかりやすくないとってことだったのかも。当時から普通に大人も読んでたけど。
 あそこで自分で頑張っちゃったら従者立場ないじゃん。これまでずっと声をかければ届くところで守ってくれてた人なのにさ。って思ってました。余計なことを考えすぎるところは相変わらずです。
 もうコミックスは手元にないけど、思い出せる場面があるくらいは好きだったし、手放しちゃったのは惜しかったな。「ぼくだ 助けろ!」「はい」そういえば、携帯電話の形が子機だったな。子供が持てるくらい小さかったです。すごい! 技術の粋! お金持ち!
 ジャンプのメインテーマの一つである友情が添え物だったのが、当時にしてはいかんかったのかな。でもあのページ数で語れる友情って何だかわからないわ。友人になったはずの二人(それなりに見栄えのする少年少女)が私の中で完全にモブだったわ(読者として色々とひどい)。テンプレにのせられてる感があってね。でもテンプレをちゃんと踏んでるのは大事なとこというか、話とキャラの配置を把握させやすいから、そこがしっかりしていたのは良かったんじゃないかしら。

 書く分量をあらかじめ決めておかないと、際限なく直して結果最初からやり直しなんてなりがちなので、このくらいと決めておいた方が書きやすいけど、あんまり短いと表現が端的になりやすいし一次として読むには耐えられない文章になるからちゃぶ台返したくなるんだよう。結局直すんか。
コメント
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