まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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ポルトガル王ドゥアルテ妃 レオノール

2010-05-14 00:27:05 | ポルトガル王妃
夫の遺志に報いれず…
ドゥアルテ妃 レオノール・デ・アラゴン


1402~1446/在位 1433~1438

レオノールはアラゴン王フェルナンド1世の王女です。
母親はペドロ1世の孫にあたるレオノール・デ・アルブルケルケで
グチャグチャになるから家系図からは省きましたが
父方の曾祖父はカスティーリャ王アルフォンソ11世になります。
アルフォンソ11世の王妃はポルトガル王アフォンソ4世王女マリアでしたけど
祖父は愛妾レオノール・デ・グズマンとの庶子でした。ふうぅ…

       

26歳ぐらいでドゥアルテと結婚しています。
けっこう晩婚ですが子供は9人(4人は夭逝)生まれ
王女のうちレオノールは神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世に
ジョアナはカスティーリャ王エンリケ4世に嫁ぎました。

1438年、ドゥアルテが亡くなり王子アフォンソが王に即位しました。
でもアフォンソは6歳…レオノールはドゥアルテの遺志により摂政になります。

議会は一応承認したんだけど、レオノールはどうやら政治に不向きだったようです。
慣れない上に “ アラゴン人 ” ということで不人気、
誰もがドゥアルテの弟コインブラ公が摂政に相応しいと考えました。

遡ればポルトガルに行き着くんだから温かい目で見てあげればいいじゃないねぇ…

結局、レオノールが摂政に就いたことでリスボンでは暴動が起きます。
またまた、その暴動をアラゴンの兄ファン(後の2世)に鎮圧してもらったりして
不人気の上塗り…
その間にコインブラ公は着々と反王大后派貴族や国民の支持を集めていました。

王大后とコインブラ公の和解交渉は、レオノールを支持するバルセロス伯と
コインブラ公を支持するリスボンの大司教の横やりが入り紛糾しました。
最終的にはコインブラ公が摂政になりますが、あきらめきれないレオノールは
摂政に戻ろうと頑張っちゃいます。

で、1440年にはカスティーリャに追放されて、5年後にトレドで亡くなりました。

6歳の息子ですもの、がっちりハートを押さえておけば摂政にならずとも
背後から操れたんじゃないの? と思うのは庶民だから?
大人しくしていれば追放にもあわずにすんだでしょうに…

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント
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