まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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モスクワ大公ヴァシーリー3世妃 エレーナ

2009-06-17 00:31:30 | ロシア皇妃
初代ロシア女帝といってもいいかもね…
ヴァシーリー3世妃 エレーナ・グリンスカヤ


1503?~1538/在位 1526~1533

ヴァシーリー3世はソロモニアと離婚した後
セルビア王女アンとタタールの血を引く貴族ワシーリー・グリンスキーの娘
エレーナと再婚しました。
46歳のヴァシーリーは23歳のエレーナに夢中で、ロシア正教の決まり事を破って
髭をそり落としちゃったそうな! エレーナは髭嫌いだったんでしょうかね?

        

教会の反対を押し切った(エルサレムの総主教は呪いまでかけたらしい)この結婚は
吉と出てイヴァン(後の4世)とユーリという公子が生まれました。
安心したのかヴァシーリ-は敗血症に罹り、3歳のイヴァンを遺して亡くなりました。
その際、息子が一人前になるまでの間大公の全権をエレーナに移譲したのです。
ヴァシーリー3世が亡くなってからエレーナが亡くなるまでの5年間は
“ エレーナ時代 ” と呼ばれるほど権勢をふるったみたいです。

権力を手にしたエレーナのみならず、グリンスキー一族も力を持ちました。
ヴァシーリー3世の兄弟たちと争い、イヴァン4世そっちのけで政治を行いました。
また、エレーナはハンサムな高官イヴァン・オボレンスキーと大司教ダニエルの
ふたりと政治を動かして敵をつくっていきます。
イヴァン・オボレンスキーは愛人だったという説もあります。

イヴァン4世は幼年時代に高官たちにないがしろにされたトラウマから
後年彼らへの拷問や処刑を濫用したとも言われています。

              
                  こちら胸像です
                  お美しいですね。貫禄もありそうです


しかしエレーナはただ権力をふりかざしたわけではなくて
通貨統一に繋がる通貨の改正を行っているし、戦争を続けていたリトアニアと
休戦協定を結ぶことに成功するなど、成果もあげています。

王母の摂政ってさじ加減がものすごく難しいですよね。
成果をだせばでしゃばっているように見えるし、何もしなきゃつけこまれるでしょ?
役に立つブレーンを頼りにすれば浮気よばわりされるわ、バカの言うこと聞きゃ
国が傾くわ…しかもたいていの母親摂政は若いわけよね。
円形脱毛症になった母親摂政がいましたが、むべなるかな…

エレーナは1538年に亡くなりました。
彼女の死後実権を握ったシェイスキーに毒殺されたと言われていますが
犯人が誰かはともかく、調査の結果は毒殺の可能性が高いらしいです。

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』 Wikipedia英語版)
コメント
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