マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

都心の発見・・・『市立花の公園横の教会』 そして 『悔い改めなさい。めいめいイエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい。』

2018-04-03 13:00:00 | 娘と娘家族
今日は4月3日。 東京2日目。

穏やかな一日…今日もグリーンロードを一人で走る

   ほっとします・・・   『キリスト改革派教会』
   
 『心をいやす風景』     市立・『花の公園』横に立つ教会。


教会が市民に果たす役割とは何だろう。
聖霊に満たされた教会の席に座る時、心に平安が訪れる。そんな『席』を用意することではなかろうか?
大きな活動もいらない。楽しみの場所である必要もない。それらはどれも『世の場所』であろう。

都心の中…午後の散歩をする母子が、大変な一日を終えた仕事帰りの働き人が、いやされる席が用意された教会がありました。


そして。

今日は、復活の火曜日。

『今日の集会祈願』

『聖なる父よ、
あなたは、御ひとり子の復活によって、私たちに救いをもたらしてくださいました。
あなたの民にいつも恵みを注ぎ、神の子の自由と喜びのうちに歩ませてください。』


そして。

『今日の第一朗読 使徒ペトロの言葉』

『五旬祭の日にペトロはユダヤア人たちに言った。
 
 『話しをするペトロ』

「イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。
あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」


人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの弟子たちに、
  「兄弟たち、わたしたちはどうしたら良いのですか」と言った。


すると、ペテロは彼らに言った。
「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。
   そうすれば、賜物して聖霊を受けます。


この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、
つまり、
私たちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられている者なのです。」


ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。』
              使徒言行録 2章36-41節


ユダヤ人ほど、『救い主・メシア』を待ち望む国民はいなかった、ことでしょう。
ペテロと弟子たちは、そんなメシアを待ち望む人々やその場にいる人々に向かって、『イエス・メシア』を証ししました。

『実に信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。』
          ローマの信徒への手紙 10章14~21節 

信仰というのは、
まず信じることから始まるものではないのです。信じるためには、まず聞かなくてはならないというのです。

     『信仰は聞くことから始まる』
  信仰は、自分からではなく、他者の声を聞くことから始まるということです。



 私たちは、他者の声に耳を傾けているだろうか? 自分の思いを消して、他者の思いを聞いているだろうか?


他者の声を聞くということは、
なんと言っても自分を超えた方の声、人間を超えたかたの声、を聞くということであります。
つまり、『神の言葉』を聞くということであります。
  
  
     今を生きる私たちは、『聖書』から『神の言葉』を聞くのです。


『今日の拝領唱』

『あなた方は、キリストとともに復活したのであるから、上にあるものをもとめよ。そこには、キリストが神の右の座に着いておられる。』
   コロサイの信徒への手紙 3-1~2

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
新年度のスタートがうまく始まったことと存じ、お喜び申し上げます。
更に、良き継続のために、一人静かな席に座って、癒されて新たなエネルギーに満たされるお時間がありますように! お元気で!

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