2016年10月14日。19時14分26秒に撮影。
漆黒の夜空・・・ 『満月二日前の今日の月』 畏敬の念に駆られ・・・
満月が巡りくるサイクル。花々が咲くサイクル。胎児が10か月すると赤ちゃんになる事実。等等。神のサイクル。
考える程に・・・万物の造り主なる神への畏敬の念に駆られて、頭が下がります
『主なる神はこう言われる。
わたしは公平をもって彼らを養う。そのとき、彼らはわたしが彼らと共にいる主なる神であることを知るようになる。
「お前たちは人間であり、わたしはお前たちの神である。」』 エゼキエル書 34章
万物の造り主なる神。 神の被造物にすぎない人間。
漆黒の空に『輝く月・主の栄光』を見ながら・・・『普遍の存在』 『超越した存在』なる主なる神を、改めて知ります。 思い知らされます。
今日は聖書通読会・聖書00週間の会。
『エゼキエルの書』 の完読でした。
『苦悩するエゼキエル』
エゼキエルは、捕囚の地・バビロンの地で、
捕囚になったイスラエルの人々を支え、過去を反省させ、未来に希望を持つように励ましました。
『エゼキエル書』を完読した私達も、エゼキエルの言葉に、未来に希望を持つように励まされました。
そして。
今日は10月14日。年間第二十八金曜日。
今朝も、早朝ランニングの途中、プロテスタント教会の『掲示板・今週の一言』チェックです。
『今週の一言』 は 『捕らわれている』
『捕らわれている』 の『一言』で思い出すのは 『使徒パウロの言葉』
『執筆中の聖パウロ』
『兄弟たち、
わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。
主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、
わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。
わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのです。』
使徒パウロのエフェソの教会への手紙 1章11-14
使徒パウロは、
『わたしが捕らわれたことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。』と、断言するのです。
パウロの『断言』を聞く私は、
パウロが捕らわれたのは、『神の時』であった、と確信しています。
『何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
泣く時、笑う時 保つ時、放つ時 黙する時、語る時』 コヘレトの手紙 3章1~8節
パウロは、
捕らわれの身になり、殉教するまでの長い間・・・
牢獄の中で、沢山の『書簡や手紙』等、書き残しました。
捕らわれることがなければ・・・
捕らわれ前のように、忙しく世界を巡り宣教の日々で、『新約聖書の数々』を書くことはなかったのではないかしら?
『パウロの捕らわれ』 は 『神の定めた時』ではなかったのではないかしら?
人々が、『キリスト教の真髄』の理解を深めるために、諸書物を書き残す『時』ではなかったか?
・・・・と考える私です。間違っているかな
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
土、日は秋晴れだそうです。 秋をお楽しみ下さい。 お元気で!
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今日・14日のランニング:5㎞。 10月の走行距離合計:55Km
6時。1週間ぶりはまずい ”少しだけでも!”と走りました。
早々に切り上げ、高速を吹っ飛ばして、聖書講義に参加でした
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