野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



大阪屈指の桜の名所、大阪城の桜が3月の第3週にどうなっているのか興味があったので行ってきました。

大阪城でもう開花しているヨウコウザクラ(陽光桜)



南外堀にあるソメイヨシノの並木の蕾は、まだ固かったようですが、西側に開花しているサクラの株がいくつかありました。



近くでみると、花の小さなジュウガツザクラ(十月桜)という種類で、ソメイヨシノのような豪華さはありません。



南外堀の西側にある庭園の池の前にも開花したサクラの株があり、こちらの花はジュウガツザクラより大きいようです。



桜の支柱にはヨウコウザクラと書いてあり、これから間もなく満開を迎えるようです。



近づいて拡大した写真も撮ってみましたが、蕾はカンヒザクラに似ていますが、開花した花は大輪の豪華な姿をしています。



さて、庭園の中には、そのカンヒザクラの大きな株があり、この株は既に満開を過ぎているようです。



カンヒザクラの花は、赤に近い濃いピンク色をした釣鐘型で、枝先に点々と密集して咲く特徴があります。



カンヒザクラの直下には、風に吹かれて落ちた花が一杯転がっていましたが、釣鐘型の花全体がポトリと落ちるようで、濃いピンク色が印象的でした。



その近くにはヒガンザクラ(彼岸桜)と表示されたサクラの株もあり、こちらも彼岸前から既に開花していました。



折角なので、大手門から二の丸に入り、西の丸庭園入り口に来ると、しだれ桜の株がもう開花しているではありませんか。



大阪城では、3月の3週目から5種類もの桜の花を楽しめることが判ったので、これからチョクチョク覗いてみようと思います。

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鶴町と対岸の新千歳町を結ぶ初代の千歳橋は、尻無川河口に大正内港ができる以前の1922年にすでに架けられ、橋の上を市電が走行していました。

1933年の地図にある千歳橋



戦後、この千歳町の殆どが掘削されて大正内港となり、鶴町と北恩加島との距離が長くなった関係で市営渡船の運航が始まっています。



上空から見るとS字を描く2代目千歳橋は、2003年に完成した長さ365mのブレースドリブアーチ橋です。



新千歳橋は、海面からの高さが28メートルもあり、歩行者や自転車の利用には不便なことから、橋脚の下に見えるように渡船は現在も運航を続けています。



さて、その千歳橋を歩いて渡るためには、橋に向かう車道の1本南側にある道路を先に進み、ほどなく見えてくる階段を上ります。



高さ28m近くまで一気に上ると見晴らしが良くなり、かつて北恩加島町と千歳町だった土地を掘削した大正内港の全体を見渡すことができるようになります。



歩道は橋の東側に取り付けてあるので、大阪市内も見はらすことができますが、すぐ近くにある高層マンションによって一部目隠し状態になっていました。



途中に橋げたの下から対岸にある鶴町のイケアが見えていますので、イケアまでは意外と近いようです。



また千歳橋の東側には、鉄骨アーチの下に「なみはや大橋」と「港大橋」が重なって見えています。



この新千歳橋は、アーチの鉄骨から吊り下がった両側のワイヤーが支えているようです。



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大阪市中心部は、淀川の三角州を埋め立ててできているために、高低差が無く、市民の散歩にはもってこいです。

国道43号線の花園北交差点



しかし、川や運河に架かった高い橋があるので、川を越えて散歩するときだけ、高低差を克服する必要があります。

木津川橋



今回は浪速区の地下鉄大国町駅から南に歩き、花園北交差点を右に折れて国道43号線を西に進むルートを取りました。

木津川橋の歩道



国道43号線は、木津川橋で木津川を渡り、そのまま西にある元三軒家川だった運河を越えて大正区泉尾に入ります。

木津川



この木津川橋に取り付けられた歩道は、橋の南側にあるために、中之島、梅田地区の超高層ビル群を眺めることができないのが残念です。

元三軒家川だった運河



大正区は、江戸時代初期からの埋立地で、明治15年頃の地図には東の三軒家地区を除き一面がすべて新田だったように記載されています。



その後、明治後半から大正、昭和にかけて急速に都市としての発展を遂げ、市電が縦横に走るようになっています。

赤い市電のルートが記載された地図(昭和8年)



さて、かつてその市電のルートであった大正通りを横断して先に進むと、かなりの広さがある泉尾公園が見えてきます。



公園の西、浪速鶴町線との交差点を左(南)に曲がると、とたんに交通量が減り、大阪市内とは思えないのどかな北恩加島町と北村町となります。



北恩加島町は、かつて現在の倍の面積がありましたが、戦後土地の半分を掘削して内港とし、その土砂で残った土地をかさ上げしています。



さて、さらに先に進むと大阪市内屈指の規模を誇る北村テニスコートが見えてきて、先にはこれから歩いて渡る千歳橋の巨大なアーチも見えてきます。




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平城遷都1300年祭(4月24日~11月7日)が近づいてきましたので、再建された大極殿の様子を見てきました。



近鉄大和西大寺駅から東に歩いて10分、平城宮跡公園から見ると、第一次大極殿の再建工事は、ほぼ終わっているようです。



さらに近くまで寄ってみると、大極殿の周囲にいままで無かった板塀のようなものが出来上がりつつあります。



本来の第一次大極殿の周囲は、板塀ではなく内部を人が歩ける広い回廊で囲まれていたようで、その材料はどうやら藤原京から移築されたようです。



この回廊で囲まれた区域は、大極殿院と呼ばれ、その中央にある前庭から1段高い位置に大極殿が建設されていました。



その大極殿院の再建には、回廊の再建も必要となる訳ですが、今回は予算の関係で板塀に変更されたのでしょう。




さらに東に進むと、東南部の板塀はほぼ完成しているようで、板塀の外には、平城遷都1300年祭イベント用の仮設建物もできるようです。



大極殿の東に回ると、こちらの板塀もほぼ完成していて、自転車の学生がいなければ奈良時代にタイムスリップしたようです。



少し離れた場所から東側の塀を見てみると、大極殿と色彩とデザインがうまく調和していてなかなか奇麗です。



最後に、第二次大極殿(平城京には2つの大極殿があったのです)のあった場所から、再建された第一次大極殿を見てみました。



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今年の梅もそろそろ終わりとなりそうですが、その締めくくりとして前から行ってみたいと思っていた賀名生(あのう)梅林を訪ねてみました。



大阪からJR大和路線の王寺駅で和歌山線に乗り換え、約1時間で五條に到着、そこからバスで約20分、賀名生和田北口で下りると、そこが賀名生梅林入り口となっています。



入り口に掲示してある案内図を見ると、1周が5,5キロもある広大な梅林のようです。



とりあえず行けるところまでと思い、「口の千本」と表示のある場所から梅林の中の小道を先に進みます。



梅の花は、満開が終わってそろそろ散りはじめていましたが、まだかなりの花が残っていて、山全体に梅特有の香りが漂っています。



「見返り千本」の標識のある場所から遠くを見ると、2万本という梅の木で山に霞みがかかっているようにも見え、なかなかの景色です。



先を急ぎ、「東雲千本」まできましたが、次の千本へはさらにキツイ登り道が続いているようです。



最初の案内図によれば、ここから奥の千本までは登り、そこから西の千本を下って入り口に戻れるようでした。



12時を過ぎていたので、先に進むことを諦め、賀名生梅林を眺めながらの昼食を摂ることにします。



昼食後は、来た道をゆっくりと引き返しましたが、下りの風景もなかなかのものでした。



賀名生梅林入り口に農産物直売所があったので、お土産に干し柿を調達しておきました。



今の季節に、干し柿が販売されていたのはちょっとした驚きでした。


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3月も2週目に入り、寒の戻りがありましたが、長居公園のサクラの開花が気になったので出かけてみました。

遊歩道にあるハクモクレンの花



長居植物園ゲート前にあるカンヒザクラの濃いピンクの花が開花していました。



植物園に入り、開花情報を見ると、大池の北にあるオオヤマザクラが咲いていると出ています。



オオヤマザクラ(大山桜)は、桜の野生種の一種で、エゾヤマザクラ(蝦夷山桜) ベニヤマザクラ(紅山桜)ともいい、ソメイヨシノと違ってかなり大きな株に成長するようです。



オオヤマザクラは、4月上旬頃に満開となるのが普通ですが、長居植物園のこの株だけは、3月2週に満開となっていました。



また、サクラと同じバラ科の「ボケ」も、ピンクの花を開花させていました。



さて、植物園を出て、長居公園の遊歩道を散歩していると、カワヅ(川津)ザクラが満開となっていました。



この季節に満開となる花が少ないせいか、メジロが4羽やってきて懸命に蜜を吸っていましたが、動きがすばやいのでなかなかうまく写せません。



カワヅザクラのすぐそばには、満開を過ぎ、もう散り始めているサクラの株もありましたが、標識が無かったのでその種類は良く判りません。



高知県では、ソメイヨシノが開花したようなので、花見の季節はすぐそこまで来ているようです。


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「咲くやこの花館」の3月3日に更新された「みごろの花たち」というパンフには、ロータスガーデンの熱帯スイレンが最初に紹介されていました。



ヨーロッパでは、似た花をつけるハスとスイレンを総称してロータスと呼び、アメリカではハスをロータス、スイレンをウォーターリリーと呼んで区別しているので、「咲くやこの花館」はヨーロッパ風の呼称を採用しているようです。



さて、スイレンの仲間は、屋外での栽培ができる温帯スイレンと、耐寒性が無く越冬が難しい熱帯スイレンの二つに大きく分かれ、熱帯スイレンの花は水面から高く伸びる特徴があります。



通常日本の屋外で見かけるのは温帯スイレンで、花の色は白、黄色、ピンク、赤などで青や紫のものが無いことが知られ、花は水面に咲く特徴があります。



四季のある日本で熱帯スイレンを育成するためには、寒季に高水温を保てる設備等が必要となるために、どこでも見ることができるとはいかないようです。



しかし、この設備がある「咲くやこの花館」のロータスガーデンでは、熱帯スイレンを今の季節に見ることができます。



通常、(温帯)スイレンの花と言えば白や赤、ピンク色を連想するので、「咲くやこの花館」のロータスガーデンで見られる(熱帯)スイレンのトロピカルな色は綺麗でした。



その熱帯スイレンには、昼咲きと夜咲きがあり、昼咲きは赤、黄、ピンク、白、青、紫など豊富な花色があることで知られています。



一方、夜咲きの花色には黄と紫が無いといわれ、夜9時頃から深夜に開花して朝には花弁が閉じるために花を楽しめる時間が限られるようです。

夜咲きの株



スイレンやハスには、良く似た品種が多く、また栽培条件による個体差が大きいため花を見て品種を判別するのは一部の品種を除いて非常に難しいそうです。



江戸時代、ハスマニアとして知られていた老中「松平定信」(1759~1829年)のところには、当時の大名が競って地元の珍しいハスを贈ったために、何と100種類もの株があったとか。

(水生植物ホームページより)


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昨日、シーサイドコスモの沖を通過して天保山埠頭に停泊したプリンセス・クルーズ社(米国)の客船「オーシャン・プリンセス」について同社のHPで調べてみました。



この船は、当初「タヒチアン・プリンセス」の船名で1999年に就航していますが、2002年12月にプリンセス・クルーズ社の所有となり、その際に名称を変更したようです。



今回は、3月6日に東京、3月8日大阪、その後広島、博多に寄港して日本海を北上、ロシアのウラジオストック、韓国、中国の2港を経て上海で下船する15日間クルーズです。

天保山埠頭



その料金は、最高グレードのスイートルームが二人で124万円、最も安い内側ツインが二人で44万円、このほかにチップとして別途約3万円が必要ですとありました。



料金には15日間の船内でのすべての飲食費用が含まれているので、最も安い部屋なら1日当たり二人で3万円強の支払いですが、アルコールには別途サービス料が必要とか。



これを安いと考える人が乗船されているのでしょうが、毎日豪華料理ばかりでは健康に悪い、健康を考えて折角の料理をパスするのも勿体ない、この問題に悩む人は参加する資格が無いのでしょう。



また、HPには<日中の船内、寄港地での観光はカジュアルな服装でお寛ぎください。夕方6時以降の服装は「スマート・カジュアル」「フォーマル」の2つのカテゴリーがあり、毎日ドレス・コードをご案内しています>



<スマート・カジュアルの目安は、男性スラックスにエリ付きシャツ、ジャケットまたはブレザーなど、女性はワンピース、ブラウスとスカートなど>



<フォーマルの目安は、男性タキシード、ディナー・ジャケットまたはダーク・スーツにネクタイ着用、女性はイブニング・ドレスやカクテル・ドレス、着物をお召しになる方もいらっしゃいます>とありました。



20日間以内のクルーズ期間中には、フォーマルが2回~3回程度あるようなので、それなりの準備が必要ですが、これを面倒と考える人は参加しないほうが良さそうです。


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プリンセス・クルーズ社(米国)の客船「オーシャン・プリンセス」が大阪港天保山ふ頭に入港しました。



大阪市港湾局のHPに、大阪港大関門を7時20分通過とあったので、曇り空でしたが7時10分頃シーサイドコスモまで行ってみました。



日の射さない寒い中を待っていると、予定よりも少し遅れてオーシャン・プリンセスが見えてきました。



次第に近づいてくるオーシャン・プリンセスは、総トン数3万200トン、乗客定員670人、乗員370人、巡航速度17ノット(30キロ)、全長178m、幅25mの豪華クルーズ船です。



オーシャン・プリンセスが大関門から大阪港に入ると、シーサイドコスの沖に停泊していた消防艇「まいしま」から歓迎の一斉放水が始まりました。



オーシャン・プリンセスの乗客もデッキに出て、暫くこの盛大な歓迎放水を見ていたようです。



プリンセス・クルーズ社が所有する別の大型客船、サファイヤ・プリンセス(全長290m、総トン数11.6万トン)は、海面からの高さが54mもあるようですが、オーシャン・プリンセスも海面からかなりの高さがありました。



写真に見えている天保山大橋は海面から橋下まで52m、これは設計当時の世界最大客船クイーン・エリザベスⅡ世号(7万トン)の高さを想定して決定したようですが、大型のサファイヤ・プリンセスにはくぐることができないようです。



さて、天保山埠頭の沖に止まったオーシャン・プリンセスは、自力で横に移動しはじめています。



並走していたタグボートの力を借りることなく、わずか5分くらいで埠頭に接岸できたようでした。



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鶴見緑地のカワヅザクラを見た後で、「咲くやこの花館」に立ち寄って世界の珍しい花を観賞してきました。



熱帯雨林室にある黄色いツバキ「キンカチャ」(金花茶、中国広西省で1965年に発見された)、この花は露地でも栽培できるようで、奈良の万葉植物園でも見ることができます。



次の熱帯花木室にあるインドの3大聖樹のひとつ「ムユウジュ」の花、インドでは聖木として寺院に植え、花を儀式に用いるようです。



赤いパウダーパフのような「カリアンドラ」、中央・南アメリカ原産で、日本のネムノキも良く似た花をつけることで知られています。



その次の多肉植物室では、白いパウダーパフのようなバオバブの花を見ることができました。



バオバブの横にあった、砂漠のバラとも呼ばれる「アデニウム・オベスム」の花



最後に入った高山植物室では、日本、中国、台湾に原生するラン科の高山植物「タイワンクマガイソウ」が満開となっていました。



またヨーロッパに少ない青い花を追い求めたプラントハンターが、かつて必死で探していたヒマラヤ原産のケシ「メコノプシス・グランディス」がひっそりと開花していました。



温室の外には、オーストラリア原産の「ギンヨウアカシア」がボリュームのある黄色い花を開花させていました。



最後に、温室の中心にあるフラワーホールで開催されていた春蘭展(3月2日~7日まで)も見てきました。



65歳以上の大阪市民は、こうした世界の植物を集めた「咲くやこの花館」に無料入場できるので、元気なうちにその特典を大いに活用してもらいたいものです。

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3月1日に靱公園のカンヒザクラの開花を紹介し、2月に開花するカワヅザクラという種があることも紹介しました。

鶴見緑地公園のカワヅ(川津)ザクラ



その際<大阪でカワヅザクラを見ることができる場所があるのでしょうか?>と書きましたが、先日の朝日新聞に「鶴見緑地のカワヅザクラが満開」という記事が出ていました。



そこで、地下鉄鶴見緑地で下り、公園のHPに記載されていた場所を探すと、濃いピンク色をした花が満開となっているサクラ並木が見えてきました。



満開となっている手前の株には「オカメザクラ」と書いていあり、このサクラはイギリスの桜研究家がカンヒザクラとマメザクラを交配して作ったものだそうです。



オカメザクラもカンヒザクラと同様に早咲きで、花期は2月下旬から3月上旬頃とされていて、花は釣鐘型でカンヒザクラとよく似ています。



オカメザクラの先にある株がカワヅザクラで、こちらの花の形はソメイヨシノによく似ていて、ピンク色が強い特徴があります。



この日は雨上がりだったのですが、雨に濡れたサクラも風情がありますね。



また、蕾から開花したばかりの雄しべの付け根が、日数の経過とともにピンク色に変化し、満開の時期になると花の中心が濃いピンク色に変化するようです。



カワヅザクラとオカメザクラがこの時期に満開となることを知っている人は、3月第1週だというのに満開の桜の下にシートを敷いて花見の先駆けをしていました。



さて、地下鉄鶴見緑地公園から移動して大阪城公園に入り、入り口にあるベニバスモモの開花も見てきました。



大阪城公園のベニバスモモは、例年ソメイヨシノより少し早い時期に満開となりますが、今年ももう開花していましたので、春はもうすぐそこです。


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盆梅展を見た後で会場を出ると、会場の外に置かれた大きな盆梅が見事に開花していました。



青空と梅の花のコントラストが奇麗でしたが、会場で貰った「盆梅の育て方」というチラシをご紹介しましょう。



<盆梅は、花が終わったらすぐに植え替え、2~3芽だけ残して枝を切り詰める>



<植え替えした鉢には2~3週間後に肥料をやり、梅は肥料を好むので梅雨と盛夏を除き固形油粕を毎月1~2回与える>



<5~6月に新芽が伸び始め、葉が10枚ほど伸びた時期に芽の先を摘み、新芽の伸びを止める>



<盆梅は、鉢土が乾いてから水をやり、花芽が形成される7月には水やりの回数を少し減らし、8月中旬からは再び普通の水やりに戻す>



<暖かくなると病害虫が発生するので、発芽前後にはマラソン剤、梅雨期にはマラソン剤とスプラサイド剤で駆除>



<11月に落葉したら不要な枝を切り落とし、形を整え、12月~2月には、石灰硫黄剤を散布して殺虫>



こうした手入れを毎年欠かさずに50年くらい実行すると、やっと盆梅展に出品することのできる見事な作品ができ上がるようです。



江戸時代から明治維新後(1724年~1871年)まで長期に渡って藩主の交代が無かった柳沢藩だからこそ続いてきた伝統なのでしょう。



ところで樹齢200年の盆梅には、200年間に渡ってこの作業を続けてきたのでしょうか。(第7回大和郡山盆梅展は、3月12日まで開催されています)


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今年は、大阪城梅林、万博公園梅林、京都北野天満宮と3か所の梅の花を見たので、奈良にある梅の名所も訪ねることとしました。

大和郡山の盆梅



近鉄奈良線大和西大寺駅で橿原神宮行きに乗り換えて5分、到着した近鉄郡山駅から徒歩7分の場所にある大和郡山城では、今年第7回となる盆梅展をやっています。



ここには、以前一度来たことがありますが、そのときには少し時期が早かったせいで、開花した盆梅は少なかった記憶があります。



そこで、2月6日から開催されている会期も終盤に入り、もう満開となっているのではと想定して行ってみることにしたのです。



この盆梅展の会場は、徳川綱吉の側用人から抜擢されて大名となった柳沢吉保の子孫が明治維新まで城主だった大和郡山城です。



その城内で通常は非公開となっている追手門、追手向櫓、多門櫓の内部を使って常時100点の盆梅を楽しめるようです。



城の櫓を利用した会場のため、太陽の光が入りにくい場所に盆梅が展示されていて、写真を撮るのに苦労しました。



さて、この盆梅展では、郡山市内の有志が育てた梅の盆栽(200点)を開花の状況に応じて順次展示替えしているようです。



さて、梅特有の甘い香りが漂っている会場に入ると、白梅は満開を過ぎていましたが、紅梅はまさに満開でした。



また長浜盆梅展のような混雑が無く、ゆっくりと梅の花を観賞することができるのが郡山盆梅展の良さでしょう。



展示された盆梅の樹齢は50~120年のものが多いようですが、中には樹齢200年、高さ3メートルを超える古木(大納言)もありました。


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昨日、高島屋難波店の増床部分がオープンしたそうですが、昨年の末ほとんど建物が完成していたH&M大阪戎橋店も3月6日土曜日の昼12時にオープンするようです。

高島屋難波店



同社のHPによれば、H&Mは1947年、スウェーデンで創業され、現在では、世界各地の2000店舗でレディス、メンズ、キッズの衣料品などを販売しているとのこと。



また同社は、自社工場を所有せず、アジアとヨーロッパを中心とした約700社の独立サプライヤーから商品を買い付ける経営方針を取っているようです。



また世界で約6万8千人の社員を擁し、 その2009年の売上高は、118,697百万スウェーデン・クローナ(3月2日現在のレートで1兆5千億円)、ユニクロを遥かにしのぐ規模となっています。

ユニクロ心斎橋店



同社のHPにH&Mプロダクトポリシーを説明したページがあり、その一部を紹介すると、<本物の毛皮を販売しません、 蛇、ワニ、トカゲ、ダチョウを含む珍しい動物の本物の皮を販売しません。>

心斎橋筋のH&M垂れ幕



<残酷な動物輸送が行われているため、インドで生産される皮革を認めません、インドのシルク産業における労働条件が劣悪であるため、インドで生産されるシルクを認めません。>

大丸心斎橋店前H&M垂れ幕



<すべての商品に生産国を表示し、商品に施されるプリントは、人種差別的、性差別的、政治的、あるいは宗教的な不快感を与えるものであってはなりません。>

心斎橋筋H&M垂れ幕



<新たなサステナブル素材を商品に使用しており、新素材の試用にも継続的に取り組み、2007年に発効した化学物質に関するEU法律、REACH規則に対応する万全の体制が整っています>
 などと記載されていました。

大丸北館前H&M垂れ幕



H&Mのファッションは、デザインだけでなく、この企業コンプライアンスが世界の消費者から評価され、先に挙げた売上高となっているのだと思います。

ロフトの向いにはユニクロの新店舗?



なお、世界2000店目となる大阪戎橋店のオープン記念として、最初の客2000名にキャンバスバックとTシャツをプレゼントがあるようですが、当日は相当混雑するでしょうね。


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いまから672年前の西暦1338年の春、弱冠21歳の北畠顕家率いる軍勢は、奥州(宮城県多賀城市)から足利の勢力下にある関東、東海、奈良と苦戦しながら大坂の天王寺に入っています。

天王寺にある四天王寺



天王寺付近では足利方の細川顕氏軍を一度破りますが、援軍として繰り出してきた足利尊氏の執事(ナンバー2)高師直の率いる大軍と戦い北畠軍は敗北、堺の石津川まで後退を余儀なくされています。

石津川



2年前には破竹の勢いで足利尊氏を破った北畠勢ですが、この2年間で南朝(後醍醐天皇)の政治への民衆の支持が急速に萎んでいたのが敗因でしょう。

橋の南側、樹木の下に北畠顕家石碑がある



北畠顕家は、陸奥からここまでの転戦の途中、南朝の政治へ失望した民衆をつぶさに見て、亡くなる直前に後醍醐天皇(当時51歳)へ上奏文を提出しています。

石津の北畠顕家石碑



その内容は、地方行政組織を整備すること、租税を免除して民の負担を減らすこと、官職への登用を慎重に行うこと、高級公務員(公家や高僧)への恩賞は慎重にすること、天皇の宴遊を中止すること、法を厳格にすること、国政に害のある人を免職することの7件です。

五輪塔



当初、民衆は北条政権に代わる後醍醐天皇の「建武の中興」に期待し、後醍醐天皇側の北畠軍は、そのバックアップによって足利軍を破ったのですが、それから2年間の政治で完全に裏切られたと感じていたのです。

五輪塔の名



自民党を破った民主党への期待が急速に萎んでいる今日と実によく似た状況が672年前にあったことに驚かされます。

石津の北畠顕家石碑前の由緒書き



数え年で僅か21歳(満年齢なら20歳)の若者が、30歳も年長の後醍醐天皇に諫言をしなければならないほど新しい政治(建武の中興)は乱れていた訳ですが、はたして自民党に代わった民主党は大丈夫でしょうか。

北畠顕家石碑前の紀州街道(大阪方向)



さて、天王寺から圧倒され続けた北畠軍は、紀州街道に沿って南に後退、主従僅か12名が最後の地となった堺の石津浜で切腹したと地元の古老が語っていました。

大阪阿倍野区にある北畠顕家の墓石



切腹した北畠顕家の首は、阿倍野にある高師直の本陣に運ばれて首実検され(石津浜での伝承)、その地は今も北畠顕家の墓所とされています。

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