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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



動物行動学の研究者「竹内久美子さん」の、一夫多妻社会での女の魅力とは何かを、夏の公園での野鳥の写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が著書からの引用

<一夫多妻社会では、女はライバルに差をつけ、自分の元へより頻繁に男を通わせるように進化する。そういう吸引力を持った女が、より多くの子孫を残すからである>

具体的には<姿かたちが美しい、心根がやさしい、頭が良い、話をして面白い、教養がある、あるいは世間や知的世界には無知であるが、何故かよく男の心情を理解することができる>

<ユーモアやウイットのセンスがある、人間自体どこかしら面白くて興味をそそられる、男に安らぎを与えられる心の余裕がある、何か不思議な才能を持っている等々>

<男を尻に敷いたり、夫の浮気をチェックするなどという行為は、一夫一婦社会でのみ通用する戦術で、この社会ではときに命取りとなる>(中略)

<しかしながら、これらの魅力には、ある一つの条件が不可欠であるように思われる。それは、その魅力がなかなか飽きの来ないものであり、不変なものであること>

<美形の女や、ちょっとばかり興味をそそられる女というのは結構どこにでもいる。一夫多妻社会で重要なことは、男の気を引くこともさることながら、その男を長年にわたって飽きさせずに通わせること。男に捨てられないために、いつまでも魅力を保ち続けること>

<そこらあたりが、男を捕まえるために若いうちは魅力的だが、捕まえたとなるや次第に馬脚を現したり、あちこちにガタが来る一夫一婦社会の女との違いなのである>中略

<美人であるには違いないが、あまり派手派手しい美人ではなく、一般的に「上品な」と表現される、ほどよく抑制が効いて飽きが来ない魅力を持っていることが、一夫多妻社会での女の魅力に行き着く>一夫多妻社会での子供は、こういう女性の遺伝子を持って生まれてくることが多いというのが竹内説でした。

参考文献:賭博と国家と男と女 竹内久美子著



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動物行動学の研究者「竹内久美子さん」の、「好色のエネルギーは政治エネルギーへ転換できる」という説を、蝶とハチの写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が著書の引用

夫一婦制を良しとするタイプは<家庭内に最高順位者(妻)がおり、家庭こそが全宇宙ということになるだろう。彼の心の大半を占めているものは、今日は妻の機嫌が良いか悪いか、こんなことを言ったら妻は怒るだろうか、どうか家庭にトラブルが起こりませんようにという、ここ一両日中の心配事である>

<当然、彼は広い視野を持っていないし、また持つ必要もない。長期的に物事を考えることもできないが、できる必要もない>

一方、一夫多妻制を実行しようとするタイプは<複数の女を操作しなければならないので、まず広い視野と物事を長いタイムスケジュールで考える能力は必要である。繊細緻密な思考力、女のこころを読む能力、そして何より女の尻に敷かれない自信と勇気>を持っている

一夫多妻制を実行しようとする<彼の周囲には複雑な人間関係が次々と展開されてゆく。それらの困難な状況に対応するためには、人と人とを調停する能力、ウソや方便なども含めた言語的能力、人を惹きつけたり納得させる話しぶりと姿勢>を備えている必要がある。

<妻の尻に敷かれていないこの男は、自由に家庭の外に出て行き、男社会の一員となる。この男社会とは、女をめぐる男同士の友好的連合で、メンバー同士がうまくやってゆくために順位ができる>そのメンバーの中の最高順位者が国家の指導者となるのが理想というのが竹内久美子説です。

<国家の指導的立場にある男が事実上の一夫多妻制を目指す男なら、まず問題はおこらない。そういう彼には、いわゆる政治的能力がある。彼本来の繁殖方法と能力とがその立場にぴったりと一致するからである>

一方<妻の尻に敷かれ、その妻との間にしか子供をつくらない男、広く社会へ出て行って男だけの順位制社会を作ることに躊躇しがちな男。そういう男がひょんなことからリーダーの座についてしまうこと>は、国家の破たんにつながる大問題となる。

<なぜなら、彼本来の政治的能力の欠如もさることながら、妻を恐れ、妻の命令通りに動くという彼の行動パターンが国家をも巻き添えにして(国家を混乱させて)しまうからである>

参考文献:賭博と国家と男と女 竹内久美子著



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標高2450mの室堂からのバスは、50分かけて山を1500mばかり下り、美女平に到着です。標高997mの美女平駅前

ここから1954年(昭和29年)に開業したという立山ケーブルカーに乗り換えです。(120人乗り)

ケーブルカーは7分間で標高差500mを下り、標高475mの立山駅に到着しました。

このケーブルカーの前方には長い荷物台がありました。

ケーブルカー立山駅前からは称名滝ゆきのバスが出ていました。

立山駅は、富山方面行きの富山地方鉄道立山線と立山ケーブルが接続する二層構造の駅となっています。

ここからの富山地方鉄道の乗降客は1日平均591人とか。・・・駅前には「熊王の水」という湧き水が

立山駅からはバスで富山駅まで移動。ちょっと時間があったのでここで夕食の弁当を調達しました。

ここから北陸新幹線「つるぎ」で金沢まで、そこからサンダーバードに乗り換え、車中で夕食を食べながら大阪に戻ります。



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14時20分発の立山高原バスに乗り、いよいよ室堂から富山・大阪に向かって下山することとなりました。

これが立山高原バス。室堂から美女平までの23kmは、マイカー規制があって一般の車は通行できないため、歩いて下山する人以外は、このバスを利用することになります。

雪の大谷ポイントを通過。室堂ターミナル(ホテル立山)が見えています。

観光パンフレットなどでよく見る、雄大な立山をバックにした室堂ターミナルの写真は、このポイントから撮影していたようです。

美女平までの途中、天狗平(標高2300m)と弥陀ヶ原(1930m)を通過します。

天狗平(標高2300m)には、天狗平山荘(70人収容、料金11000円~)、立山高原ホテル(78人収容、料金15000円~)

弥陀ヶ原には、弥陀ヶ原ホテル(52室、料金18000円~)や国民宿舎天望立山荘(89人収容、料金10600円~)などの宿泊施設があるようです。

途中、称名の滝(4段合計の落差350m)が見える場所で徐行運転してくれましたので、何とか滝を撮ることができました。

室堂からのバスは、約50分で美女平(標高977m)に到着。ここで、立山ケーブルカーに乗り換えとなります。



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少し時間があったので、ここで昼食をとり、室堂周辺をちょっと散歩してみました。

立山の手前に立山室堂山荘(収容人員200人・宿泊料金9720~・営業期間4月15日~11月25日)が見えています。徒歩10分くらいでしょう。

谷間に見えている低い建物、一の越山荘(標高2700m・収容人員150人・宿泊料金9300円~・営業期間4月下旬~10月下旬)までは、歩いて1時間くらいでしょう。

みくりが池には、雪が残って浮かんでいました。

この登山道の先には、みくりが池温泉(収容人員120人・宿泊料金9300~・営業期間4月15日~11月25日)が見えています。

室堂駅の屋上からは、弥陀ヶ原方面に向かう道の途中に雪の大谷が見えていました。

室堂の散歩道にいたイワヒバリ。本州の森林限界よりも上にある岩場に生息する野鳥です。標準レンズのカメラしか無かったのが残念でした。

左が立山(3015m)、谷間は一の越谷(2700m)、右は浄土山(2831m)遊歩道の登山客

室堂近くの遊歩道と立山



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大観望からは室堂行きの立山トンネルトロリーバスに乗り換えです。大観望のバスのりば

立山トンネルは1971年4月に開業、しばらく普通のバスが走っていましたが、1996年4月から排気ガスの出ないトロリーバスに切り替わっています。・・・トンエルの距離は3.7km、乗車時間は10分間でした。

到着した室堂駅は、標高2450mと日本最高所にある駅で、我々と同じ黒部ダム側からの客と、反対方向となる富山側からの客で大混雑していました。

したがって室堂のバス乗り場は、黒部ダム信濃大町方面と、弥陀ヶ原富山方面の2か所あります。

これが室堂駅の屋上展望広場です。7月中旬でも雪渓が残っているのは、標高が高い(2450m)せいでしょう。

富山方向に向かうバス道には、雪の大谷が一部残っていました。

外に出て振り返ってみた室堂駅です。

室堂駅の上がホテル立山。かなり古いホテルのようですが、国立公園なので改築や新しいホテルの新築には厳しい制限があるのでしょうね。

山の天気は変わりやすく、立山が見えたり隠れたりしていました。



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標高2316mの大観峰の窓から、ふと外を見ると野鳥が群れて飛行していました。

どうやら大観峰ロープウェイ駅の建物に彼らの巣があるようです。・・・巣を飛び出した野鳥

恐らく餌となる昆虫が今の時期この高地に大発生しているのでしょう。・・・標高2316mという高地に、これほど多くの野鳥がいるとは知りませんでした。

どうやらイワツバメのようです。飛びながら空中で昆虫をキャッチし、ヒナが待つ巣に持って帰っているようです。・・・右下の手前にも写っています。

環境省の調査によれば、イワツバメは中部日本から北日本に多く分布していて、大阪など西日本には少ないとか。・・・上から見ると腰の部分が白いのが特徴

また西日本にいるイワツバメの多くは、橋の下に巣を作ることが知られています。

イワツバメを見たことがない人も大観峰に来れば、必ずイワツバメを見ることができると思うので、野鳥に興味のある人にはお薦めです。

ただし、ちゃんとした写真を撮るのなら、それ相当のカメラとレンズが必要でしょう。・・・黒部湖とイワツバメ

今回の旅行では、コンパクトなミラーレスカメラと標準レンズでの撮影だったので、これが精いっぱいでした。



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黒部平(標高1828m)からは、1970年7月(今から47年前)に開業した立山ロープウェイで大観峰(標高2316m)を目指します。

長袖シャツを持参していましたが、この日は汗ばむくらいの気温だったため、シャツを脱いでしまいました。・・・黒部平駅に入ってきたロープウェイのゴンドラ

黒部平駅を出た直後、ロープウェイゴンドラからの眺望。黒部平は、小さな山の頂上にありました。

黒部平までのケーブルカーが開業した1年後に、このロープウェイが開業したようです。・・・立山ロープウェイには支柱がありません。

それ以前は、自分の足でここまで登った人しか見ることができなかった景色ということでしょう。・・・ゴンドラが上昇すると、黒部湖(標高1448m)がよく見えるようになります。

 「東一の越」標高2480mの稜線・・・右の残雪の上の黒い部分は雪崩の跡でしょうか。

黒部平から大観峰までロープウェイの所要時間はわずか7分間。・・・下に見える黒部湖の平均標高は1448m、大観峰(標高2316m)と868mもの高度差がありますが、登山ならどれだけの時間と体力が必要なのでしょうか。

大観峰の展望台です。標高2300mを超え、さすがに涼しくなりましたが、それでも半袖シャツの軽装で十分でした。

大観峰からは、立山の直下を貫通するトンネルの中を10分間、トロリーバスに乗って室堂を目指すのです。・・・大観峰展望台最上部にあるテラスの皆さんも半袖姿が多かったようです。

 つづく



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扇沢からのトロリーバス終点(黒部ダム駅)から長さ492mのダムを渡ると立山側です。・・・中央やや右の岩の中腹にある白い部分が黒部ダム展望台で、北アルプス後立山連峰の一部です。

ダムのすぐ横にある広いトンネルを通って1969年7月(48年前)に開業したケーブルカー乗り場に向かいます。・・・こちら側には破砕帯はなかったようです。

ケーブルカーの黒部湖駅もトンネルの内部にありました。この大きさの文字なら目の悪い人でもすぐ判るでしょうね。

最大傾斜31度もある黒部ケーブルカーは、すべてトンネル内を走行するので眺望を楽しむことはできません。

到着した黒部平(標高1828m)は、黒四ダムと立山との間にある小さな山の山頂部でした。

黒部平の表示石の向こうは赤沢岳2678m。黒四ダムは、この黒部平と赤沢岳の下にあります。

黒部平ロープウェイ駅の屋上から見た景色。関電トンネルは、これらの山を5.4kmも刳り貫いたトンネルです。左から赤沢岳2678m、中央がスバリ岳2752m、そのすぐ右奥が針ノ木岳2820m。

7月中旬なのに、かなりの雪が残っていました。左側の谷は標高2480mの「東一の越」、右側には立山ロープウェイの駅「大観峰」(標高2316m)が見えています。登山が好きな人は、こういう景色に癒されるのでしょうね。

ロープウェイ駅背後の山の右後方、最も高い山が立山の大汝山3015m。その右は立山の富士の折立2999m。ロープウェイ駅(大観峰)からは、立山をくり抜いたトンネルを通って室堂(標高2450m)に出ることができます。

つづく



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満員のため、立ったまま関電トロリーバスで長野県の扇沢から16分、黒部ダム駅に到着です。・・・駅のマップの赤い「現在地」とある地点

公式HPには<黒部ダムは昭和39年8月より観光が可能になり、これまでの観光客は4千万人以上、現在も毎年100万人以上が訪れています>という人気スポットでした。・・・バス駅から展望台までの220段ある階段、途中に湧き水を汲める場所がありました。

この日の黒部ダムは、汗ばむほどの陽気で、半袖シャツで十分したね。・・・展望台の混雑。左側が黒部湖

<昭和31年から始まったダム建設には当時の金額で513億の巨費が投じられ、延べ1,000万人もの人手で、7年の歳月を経て完成>・・・展望台から黒部湖と黒四ダム。この放水は6月26日から10月16日まで。

観光放水は<毎秒10トン以上の水が水煙をあげ、午前中に日が差せば、きれいな虹がかかります>・・・ダムの高さ186m、堰堤の長さは492m、貯水量2億立方m

国内第一位(186m)の高さがあるダムからの放水で、虹が右側の遠くまで伸びていますが、晴れた日の午前中に来た観光客だけが見ることができるようです。

6月26日から10月16日までの期間限定なので、それを逃すと翌年まで見ることはできません。・・・午前10時頃でしたので、ちゃんと虹を見ることができました。

ダム下流にある黒四発電所まで落差545.5mという発電用水路があり、そこを猛烈な勢いで水が流れているのでしょうね。・・・黒四発電所の出力は33万5千KW

発電所は<冬期の雪害防止と、中部山岳国立公園の自然景観維持の観点から、全施設が地下150mにつくられている>そうです。・・・ここからの黒部川は、小川のように見えますね。

つづく



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ホテルを出たバスは、7月7日の記事に書いた黒部川第四発電所(黒四)の工事のために関西電力が完成させた「関電トンネル」出発点がある扇沢を目指します。・・・途中の青木湖

鹿島川の向こう、雲に覆われているのは、鹿島槍ケ岳がある後立山連峰でしょう。天気は、まあまあのようですね。

バスは、標高1433mの扇沢に到着です。ここが黒四ダム建設時の資材輸送路(ほとんどがトンネル)の出発点です。

ちょうど夏の観光シーズン、天気も良かったので、すごい混雑でした。・・・トロリーバスの改札口

扇沢から終点の黒部ダムまでの距離は6.1km、そのうち5.4kmもあるトンネル工事は、1956年(昭和31年)夏に着手されています。・・・これが電気で走るトロリーバス、この日は6台のバスが列を作って運行されていました。

しかし、翌年5月、扇沢から1691mの地点で大量の水と土砂が噴出する大破砕帯に到達したのです。・・・トロリーバスの運行は1964年から。扇沢側のトンネル入り口

軟弱地盤から毎秒660Lの水と土砂が噴出する破砕帯突破の様子は、映画「黒部の太陽」となって紹介されました。・・・トンネル内の気温は10℃、1車線しかないので、途中にすれ違うための退避ポイントがありました。

後に、破砕帯の長さは80mだったことが判っていますが、そこを突破するのに7か月も費やしています。・・・破砕帯が、青いランプで照らされていました。

破砕帯を突破したことで1958年(昭和33年)2月にはトンネルが貫通、5月には輸送路が全面開通し、ダムの工事がスピードアップしています。・・・黒部ダム駅に到着です。

つづく



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昨日の記事からの続きです。宇奈月を後にしたバスは、糸魚川インターから宿泊先の白馬アルプスホテルに向け、姫川をさかのぼり。

白馬アルプスホテルに到着です。このホテルには、かなり前にスキー旅行で宿泊したことがあります。

広さ27㎡の客室。ベッドの幅がやや狭く、高さが低いのがちょっと気になりました。

客室窓からは、信州の高原らしい景色が

バストイレユニットは少し狭かったですが、大浴場があったのでこれを利用することはありませんでした。

ホテルの裏は、白馬乗鞍高原スキー場、冬がシーズンなので夏の宿泊料金は、比較的安く設定されているのでしょう。

ホテルフロントにあった料金表には、土日も含めて6月は1泊2食付きで一人1万1千円とありましたが、旅行会社はもっと安く仕入れているようです。・・・ズーミングすると北アルプスの雪山(乗鞍か?)が見えていました。

しかし、盆休み期間(8月11日から17日)は、1万8千円(2名宿泊なら1泊2食で36000円)となるそうです。・・・こちらもゲレンデ

白馬アルプスホテルの標高は、約800mと聞きましたが、この日は汗ばむほど暑く、日差しも強烈でした。・・・朝日は、東の高妻山方向から



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黒部峡谷の写真と一緒に小説「高熱隧道」を紹介しましょう。・・・黒部川電気記念館の展示パネルにある高熱地帯の表示(黒三のエレベーター上部)

仙人谷ダムから黒部川第三発電所(黒三)付近までの全長904mの軌道トンネルと水路の掘削工事を1936年(昭和11年)8月に着手すると、たった30m掘進しただけで岩盤の温度が65℃に上昇したのです。・・・黒部峡谷鉄道宇奈月駅(右が電気記念館)

岩盤温度は次第に高くなって遂に166℃に達し、ダイナマイトの自然発火による事故(死者8名)も発生しています。・・・岩盤温度166℃という地中でも背後から冷水を掛けることで、20分間交代で掘削作業ができたとは驚きでした。

当時の法律では、周囲温度40℃以上でのダイナマイト使用は禁止されていましたが、度重なる事故にもかかわらず工事中止命令は出ませんでした。

また、雪に閉ざされる冬季も作業を継続するため、黒部峡谷に設置した頑丈なコンクリート造の宿舎が「泡なだれ」で吹き飛ばされて一度に死者84名を出すなど、この工区を請け負った佐川組だけで233名(他社を含む工事全体では300名以上)の犠牲者を出していますが、工事は中止されることなく続行されています。

工事が始まった昭和11年は、2月に2・2・6事件が発生した年です。戦時体制に不可欠な電力の開発を急ぐ軍部の圧力があって、工事監督官庁(富山県)も工事中止を命じることができなかったようです。・・・新柳河原発電所

軍部は、現場に陸軍中将を派遣し、犠牲者に天皇からの見舞金を届けて、工事関係者を督励しています。・・・黒部川電気記念館

吉村昭は小説の中で<なぜ、人間は多くの犠牲を払いながら自然への戦いを続けるのだろう(中略)人間社会の進歩のためという答えが出てくる>・・・黒部川水力発電は全体で出力90万KW

<しかし、彼らには抑えがたい隧道貫通という単純な欲望があるだけである。発破をかけて掘り進み、そして貫通させる。そこに彼らの喜びがある。自然の力が大きければ大きいほど彼らの欲望も膨れ上がり、貫通の歓喜も深い>と結んでいました。・・・黒部川電気記念館



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昨日に続き、黒部峡谷鉄道の続きです。・・・宇奈月湖と宇奈月ダムと湖面橋

宇奈月ダムは、黒部川の抜本的な洪水調節と利水を目的として国土交通省が設置(工事は1979~2001年)したダムです。・・・ダムによってできた宇奈月湖

宇奈月ダムの建設で、水没した柳河原発電所の替わりに建設された新柳河原発電所(ヨーロッパの城のようなデザイン)発電所。最大出力は41,200キロワットで1993年(平成5年)に運転開始

黒部峡谷の発電所といえば、1956年(昭和31年)に着手した黒部川第四発電所(黒四)の難工事が有名で、その模様は「小説黒部の太陽」に詳しく描かれています。・・・黒部川発電所設置の歴史

黒四の工事の際にも、この鉄道と黒部第三発電所(1940年完成)工事のトンネル(高熱隧道)が大いに活用されたようで、小説の随所に登場しています。・・・黒部峡谷

吉村昭の小説「高熱隧道」には、166℃もある高熱岩盤をくりぬくため、掘削員の背後から黒部川の水をかけ、20分交代で作業させたことが記載したありました。・・・黒部峡谷

高熱隧道工事中にもこのトロッコ列車は活用されたようで、吉村昭の小説にも登場しています。・・・黒薙駅でのトロッコ列車のすれ違い

黒薙駅を出るとすぐ黒薙川に掛かる鉄橋、次にトンネル。英語のホースシューベンド(蹄鉄のようなまがり)

 ページが尽きたので高熱隧道のことは次の記事で紹介することにします。・・・黒部川電気記念館にあるジオラマ模型。中央V字の結合部分が黒薙駅

つづく



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バスは富山駅から約1時間で標高224mの宇奈月駅に到着。ここから1971年に関西電力から分離した黒部峡谷鉄道(関電の100%子会社)に乗車します。

黒部峡谷鉄道は、黒部峡谷の電源開発を目的として1923年(今から94年前)に工事着手され、3年後の1926年に標高358mの猫又まで開通しています。

黒部川の電力に着目したのは1917年(大正6年)高峰譲吉博士だそうです。黒部の電源開発のあゆみが黒部川電力記念館より

黒部峡谷鉄道の猫又開通は、黒部川第二発電所(1933~1936年)の建設に大いに役立ったようです。・・・宇奈月駅

黒部峡谷鉄道が猫又から標高531mの小屋平まで開通したのが5年後の1930年(昭和5年)でした。・・・黒部川に掛かる新山彦橋から見た山彦橋と宇奈月温泉街

終点の欅平(標高599m)までの開通は、それから7年後(宇奈月からの工事着手から14年後)の1937年のことなので難工事だったようです。

吉村昭の小説「高熱隧道」で有名な黒部第三発電所の工事はその直前の1936年夏に着手されていますので、黒部第三発電所建設工事用としてこの鉄道はフル稼働したようです。・・・黒部川

小説「高熱隧道」には、随所にこの鉄道が登場しています。・・・黒部峡谷の宇奈月ダム

鉄道が関西電力の100%子会社なのは、黒部峡谷の発電所維持のために欠かすことができないからでしょう。・・・黒部川電気記念館の発電所配置図(一番上に黒四、新第三、第三、新第二、第二、出し平、新柳河原と宇奈月ダム)。

つづく



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