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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



安井道頓・安井道卜らが私財を投じ、東横堀川の南から西に向けて開削した道頓堀は、大阪夏の陣が終わった1615年、今から393年前に完成した堀川である。

解体前のキリンプラザ大阪(2007年9月)



今の道頓堀の周辺は、大阪のど真ん中に位置し、毎年のように古いビルが取り壊され、新しいビルが誕生するダイナミックな場所となっている。

解体中のキリンプラザ大阪(2008年10月)



去年まであったキリンプラザ大阪の跡地には、2010年春のオープンを目指し、スウェーデンのアパレルメーカー、H&M(ヘネス・アンド・マウリッツ)の日本5号店が入るビルができるという。

解体されたキリンプラザ大阪跡地(08年12月)



戎橋の名前の由来は諸説あるが、ここから1,5キロ南にある商売繁盛の神様・今宮戎にお参りするために渡る橋であったので戎橋とされたという説が有力である。

1842年の道頓堀と今宮戎へのルート



心斎橋筋商店街は、戎橋の北詰で終わり橋の南から高島屋の前までが戎橋筋商店街となっている。

戎橋筋商店街アーケードの入り口



この橋は、2004年から架け替え工事が始まり、永く片道通行を余儀なくされていたが、去年11月にやっと工事が完成、広々とした橋は歩きやすい。

工事完了した戎橋(2008年8月)



新しい戎橋は、両側が半円形に膨らみ、さらにその外側から道頓堀の両岸にある遊歩道「とんぼりリバーウォーク」へ下りるスロープがついたので、以前とは全く違う橋に生まれ変わっている。

とんぼりウオークから見た戎橋とキリンプラザ大阪跡地(08年12月)



ブログ読者の皆さん、今年も大変お世話になりました。

どうか良いお年を! 




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年末の休みに入ったので、久しぶりに「TOHOシネマズなんば」に映画「K-20 怪人二十面相・伝」を見に行ってきた。



怪人二十面相といえば、江戸川乱歩(1894~1965年)の推理小説に出てくる怪人で、1936年から1962年まで、乱歩の31の作品に登場している。



子供の頃に見た映画「少年探偵団」(1956~1959年に9作品)にも敵役として出ていたので、あれから50年という懐かしい存在で、当時の少年であれば誰でも知っている有名なキャラクターであった。



今回の作品の原作は、乱歩の怪人二十面相ではなく、北村想氏(1952年~)の「怪人二十面相・伝」なので、乱歩のおどろおどろしいテイストとは一味違う内容となっている。

タイトルを「K-20 怪人二十面相・伝」としたのは「ミッションインポッシブル2」を「MIー2」としたのと同じ発想であろう。



映画のストーリーは、日米開戦が避けられた!1949年の帝都が舞台で、帝都の風景をコンピューターグラフィックで見せる最初のシーンは、素晴らしい出来映えであった。

メインキャストの3人(松、金城、仲村)



戦争を回避した帝都では、極端な貧富の差が生まれ、特権階級が富を独占する社会となっていて、その頂点に羽柴公爵家(令嬢役に松たか子)が君臨、名探偵明智小五郎(仲村トオル)も男爵として登場している。



主役となるサーカス団の貧しい曲芸師、遠藤平吉役の金城武がダイナミックなアクションで熱演しているが、何でもできることが「良家の子女の嗜み」と言う、松たか子のコミカルな演技が面白い。



また、遠藤平吉をサポートするからくり師、源治役の國村隼(サントリーオールドのコマーシャルでお馴染み)が実に良い味を出している。



「TOHOシネマズなんば」の客席は、若い女性が8割以上を占めていたが、金城武の人気がそうさせるのであろうか。



監督が女性の佐藤嗣麻子(1964年~)ということであまり期待していなかったが、アメリカ映画バットマンシリーズを見ているような荒唐無稽な早い展開が面白い。

右端が監督



久々に見たスケールの大きな日本映画であったが、昭和30年代を描いて大ヒットした映画、『ALWAYS 三丁目の夕日』のスタッフが制作に携わっているので、大ヒットすれば続編が制作される可能性が大きいと思う。


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高速バスが灘区に入ると、左手に神戸製鋼所の工場が延々と続き、神鋼が巨大な会社であることが良く判る。



同社は、この敷地の中に発電所を持っていて、発電した電力を関西電力に販売しており、上の写真右から3つめ、2本束となっている白い煙突が発電所のものである。

神鋼の岸壁には、船が横付けされていたが、外国から輸入した発電用燃料を降ろしているのかも知れない。



さて、湾岸線は、灘浜大橋を通ってコンテナヤードが広がる摩耶埠頭に入るが、ここを通過するといよいよ神戸市の中心部、中央区小野浜町である。



摩耶埠頭から小野浜町に通じる第二摩耶大橋から見たポートアイランド



神戸市では、ポートアイランドへ架かる橋が阪神大震災の際に通れなくなったことを反省、小野浜町からポートアイランドに通じる海底トンネル「神戸港港島トンネル」が完成している。



バスが、ポートライナーの軌道の下を通ると、すぐ海側に2階建ての浜手バイパスとメリケン波止場が見えてくる。



このメリケンパークには、針金細工のような外観の神戸海洋博物館もあるが、ホテルオークラの後ろに位置するために一瞬しか見ることができない。



メリケンパークを過ぎると、阪神高速の両側には防音壁が設置されるため、神戸市内の景観は望めなくなる。



仕方が無いのですこしウトウトしていると、高速バスは明石海峡大橋にさしかかっていた。



淡路島に入ったバスの窓からは、島の単調な風景が広がっていたので再び休んでいると、「鳴門公園口バス停です」との車内放送で起こされる。



窓の下を見ると、早い海流が引き起こしている鳴門名物の渦潮を見ることができ、ラッキーであった。


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尼崎市東海岸町の工場群の先には尼崎港が広がっていて、右手にはパナソニックのプラズマテレビ工場が見えてくる。



西行きの阪神高速湾岸線から見て左手に2棟、右手にはさらに巨大な工場が1棟、合計3棟もの大型工場が完成していたが、この工場がフル稼働となる景気の良い時代が早く来て欲しいものである。

パナソニック工場の先にある西堀運河の水島水門



西堀運河を渡り、武庫川工業団地を過ぎると、いよいよ武庫川河口、そこを過ぎると鳴尾浜の埋立地が見えてくるが、湾岸線は神戸まで続く新しい埋立地の上を、飛び石を渡るように伸びてゆく。

武庫川河口



飛び石と飛び石の間は、海の上を高架となって伸びる海上ハイウエイ状態なので、両側に防音壁が無く眺望は非常に良い。

鳴尾浜



甲子園浜埋立地の先には、西宮浜の埋立地があり、この埋立地の南側は新西宮ヨットハーバーという多数のヨットが繋留されるおしゃれな地区となっている。

西宮浜



そこから先は芦屋浜の埋立地であるが、この地区だけ住宅地に近いために防音壁があり、残念ながら景観を望むことができないのである。

芦屋浜の先にある深江浜



芦屋を過ぎた高速バスは、神戸市東灘区に入り、深江浜町から魚崎浜町と飛ばしてゆく。

魚崎浜



魚崎浜町から住吉浜町に渡る途中からは、JR住吉駅を始発とする六甲ライナーが通る六甲大橋が良く見える。



さて、湾岸線は住吉浜町、御影浜町と通過してゆくが、バスの左手には神戸製鋼ラグビー部の巨大なグランドが見えてくる。



名門、神鋼ラグビー部は、かつて何度も全国制覇を成し遂げているが、グランドなどの練習環境も恐らく全国トップレベルなのではなかろうか。



さて、高速バスはさらに西に進み、いよいよ灘区に入ることになるが、話しが長くなるのでこれから先は次回としておこう。


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先日、なんば高速バスターミナルから四国行きのバスの記事を紹介したが、今回はOCATからの四国行き高速バスについて紹介したい。



OCATへは、地下鉄難波駅から続く地下の通路を歩き到着するが、空の見える吹き抜け広場には、巨大なパチンコ玉のような彫刻が置いてある。



OCATの隣にあって朝日を遮っている建築中の建物は、ホテルモントレ グラスミア大阪が入る巨大なビルである。



さて、1階からOCATの中に入り、奥にあるエスカレーターで2階に上がるとそこがバスターミナルで、バス出発時刻の電光掲示板まで完備しているではないか。



バスターミナルの待合室は、騒音対策のためであろうか、窓が無いので地下にいるような錯覚に落ちてしまう。



OCATの2階から出発した四国行きバスは、一旦中央大通りまで出てから阪神高速湾岸線に乗り、天保山大橋を渡るルートを通っている。



湾岸線には、一部防音壁のある区間もあるが、住宅地から遠く離れた海上ルートを通過する際にはそれが無いので眺望が素晴らしい。



高速バスは、阪神高速の天保山大橋を渡り、桜島の倉庫群を見下ろしながら、北港運河の上を通り、常吉地区の生コン工場群と、その先にある北港ヨットハーバーを見ながら西に向かう。



この辺りは、大阪市の西の果てとなる地域で、正連寺川の上に来ると、舞洲にある清掃工場のデザイン煙突が良く見えている。



高速バスは、明治時代に切り開かれた淀川本流の上を通過するが、淀川の両岸は海に向かって次々と埋め立てられたため河口は遥かかなたに見えるだけである。



広大な淀川を渡っていると、左に大阪市、右には兵庫県尼崎市から西宮、芦屋、神戸に続く海岸線が展望できて綺麗である。



淀川を渡り切った先には、尼崎市東海岸町の工場群が見えてくるが、湾岸線を走る高速バスからの景観は素晴らしい。




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クリスタルベンツ(SL600)については、以前ブログで紹介したことがあり、その際に見たベンツはシルバーエディションであった。



今日、心斎橋そごう本店の前を歩いていると、人だかりがしていたのでちょっと寄ってみると、そこには豪華なゴールドエディションのクリスタルベンツが鎮座しているではないか。



そごう心斎橋本店は、このベンツの助手席に乗って御堂筋を走る権利を、2009円の福袋として販売するというので凄い。



ちなみに、このベンツは非売品だが、スワロフスキーのゴールドクリスタル5200万円を含めて7000万円の価値があるという。

このベンツで御堂筋を走る権利は、3人だけの限定なので、12月26日から1月3日までの期間に応募した人の中から抽選で選ばれるらしい。



3人の当選者は、1月18日(日)の16時30分、17時15分、18時の時間帯に分かれ、そごうの前からスタートして約8キロを走るという。



当然、屋根の無いオープンな状態で、大勢の人に見られながらの走行となるのであろうが、かなり勇気のある人でないと落ち着かないのではなかろうか。

さて、このベンツを詳細に見てみると、ベンツのロゴマークの部分が特に入念に仕上げられていることが判る。



ボンネット部分の両側は、一部分シルバークリスタルが貼り付けられ、ゴールドとシルバーのツートンカラーが綺麗である。



また、暖かそうなムートンが敷かれた運転席、助手席の内装にもクリスタルガラスが散りばめられ、ゴージャスそのものであった。



1月中旬の夕方、御堂筋をオープンカーで走るためには万全な防寒対策が必要と思われるが、暖かい豪華な洋服は、そごう心斎橋でというプレッシャーがあるのかも知れない。


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バスの出発時間が近づいたので、スイスホテル南海大阪のロビーから1階下、なんば高速バスターミナルに戻るともうバスが到着している。



バスの乗客は、たった3人だけだったので、これで採算が取れるのかと心配したが、すぐに杞憂であったことが判った。

意外と広いバスのトイレ



バスは、ターミナル近くの「なんばハッチ」の入り口から阪神高速に乗り、一路四国へ向かうものと思っていると、何と梅田で下りるではないか。

バスから見た道頓堀川



車内放送によれば、このバスは阪急三番街のバス停に一旦停車し、さらにハービスのバス停にも停車するという。

JR梅田駅北ヤード敷地の横を通って阪急三番街のバス停へ



通常、阪急三番街を出発したバスは、難波にあるOCATのバス停を経由してまっすぐ四国へ走ることになっているので、今回も同じと思い込んでいたのが間違っていたのである。

バスから見た土佐堀川



高速バスは、30分かけて梅田の2箇所の停留所から乗客を積み、ほぼ満員の状態で出発したので、さきほどの私の心配は見事に杞憂に終わったことになる。

なんば高速バスターミナル出発時の車内



OCATを出発する四国行きバスは、湾岸線を通るのであるが、梅田から出発したバスは、阪神高速神戸線に乗って明石海峡大橋を目指すようである。

阪神高速神戸線から土佐堀川と堂島川の合流を見る



OCATから乗ったバスから見える湾岸線の景観はすばらしいが、今回の阪神高速神戸線を通るルートは、両側の防音壁のせいで景観が台無しとなっている。



これならOCAT発四国行きバスに乗る方が、時間、景観共に遥かに快適であると思う。

明石海峡大橋



バスは、明石海峡大橋を渡り、意外と広い淡路島を縦貫して鳴門海峡大橋に向けてノンストップで走り続けている。

鳴門海峡大橋が近い



鳴門公園バス停ですというアナウンスで目を覚ますと、バスは鳴門海峡大橋のすぐ近くまで来ているではないか。

渦潮



鳴門の渦潮を眺めながら、大橋を渡るともう四国であるが、巨大な2つの大橋のお陰で四国と大阪は僅か2時間でアクセスできるのである。


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仕事で四国に行くことになったので高速バスのチケットを買うと、スイスホテル南海大阪の5階にある「なんば高速バスターミナル」から出発すると書いてある。



そこで、地下鉄難波駅からスイスホテル南海大阪のエントランスに入り、豪華なエレベーターロビーからエレベーターに乗る。



5階に上がってみると、そこはショッピングアーケード「タワープラザ」と「なんば高速バスターミナル」という表示が出ている。



営業前のブランドショップの先に外に出る自動扉があり、その外側がどうやら「なんば高速バスターミナル」らしい。



少し時間があったのでエスカレーターで6階に上がり、スイスホテル南海大阪のロビーを見ることにした。



四国への高速バスの乗り場は、OCATの2階にもあるが、バス待合場所としてはここのロビーのほうが遥かに快適である。



このロビーには、世界10箇所のスイスホテルに置かれている定価25万6千ドル(2300万円)という豪華なスイスキュービッククロックが鎮座していた。



このホテルは以前「南海サウスタワーホテル」という名前で営業していたが、2003年9月からシンガポールのラッフルズをはじめとする「フェアモント ラッフルズ ホテルズインターナショナル」系列のホテル、「スイスホテル南海大阪」として再スタートしている。



同社には、「ラッフルズ」「スイス」「フェアモント」の3ブランドで合計82のホテルがあり、世界22カ国、3万5千人の従業員が働いているという巨大なホテルチェーンである。

本来バスの待合客は、5階のトイレを使うのであるが、せっかくロビー階まで来たので、ロビーのトイレに入ってみると、さすがに豪華で快適であった。



おまけに本日の新聞まで掲示するサービスまでしていたが、ここで偶然に会社の同僚と出会ったのには吃驚した。



南海電車で通勤しているという同僚に事情を聞いてみると、通勤の途中にトイレに行きたくなると駅のトイレではなく、ここまで我慢して来るというではないか。


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今回泊まった高層のファミリールームの広さは37平米、スタンダードルームと同じ幅110㎝・長さ203㎝のベッドが2台入るので、部屋には少し余裕があり、4名での宿泊にも対応できるようである。



贅沢を言えばキリが無いが、この広さであればリゾートホテルの雰囲気を味わうことができると思うので、ホテル京阪ユニバーサルタワーを予約する場合にはファミリールームがお勧めである。

部屋の窓からの眺め



旧式のブラウン管テレビの置いてあるテレビ台下の下にある冷蔵庫の中は空で、持ち込んだ食品や飲料をすぐ冷蔵することができるのがありがたい。



このホテルでは、エレベーターホールに近い廊下の端に飲み物の自販機が置いてあり、意外とリーズナブルな価格なのでそこで調達すれば冷蔵庫は必要無いのである。



バスルームは広く、日本式の洗い場が付いているので、浴槽をお湯で一杯に満たして入浴し、浴槽からザーとお湯の溢れる瞬間を味わうことができる。



この快感は、西洋式の浴室を採用しているリッツカールトン等の超高級ホテルでは絶対に味わうことができない贅沢なのである。

リッツカールトンバリの浴室



隣にあるホテルユニバーサルポート客室のバスルームにも洗い場はあるが、ホテル京阪ユニバーサルタワーファミリールームの洗い場のほうが広いて使いやすかった。

ホテルユニバーサルポート客室のバスルーム



洗面台は、豪華さはないが十分な広さがあり、ホテルユニバーサルポートの洗面所よりも上であろう。



しかし、トイレの入り口は洗面所の中にあるので、バスルームとは別の場所にトイレの入り口扉があり、新型の便器のあるホテルユニバーサルポートのほうが上であろう。

ホテルユニバーサルポートの機能的なトイレ



チェックイン、チェックアウト時のフロントスタッフの対応もテキパキとしていて、なかなか快適なリゾートホテルであった。



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このホテルのスタンダードルームの広さは、25平米、幅110㎝・長さ203㎝のベッドが2台入っているので部屋の中はかなり窮屈なレイアウトとなっている。

ユニバーサルスタジオのゲート



ベッドサイドには直径40センチくらいの小型テーブルとスツールとソファが置かれ、二人がお茶を飲む空間だけは確保できている。

ホテル京阪ユニバーサルタワー入り口



スタンダードルームには、ビジネスホテルのようなバストイレ空間があるが、リゾートに来たという非日常的な雰囲気を味わうには少し狭いと思う。

ホテル京阪ユニバーサルタワーのロビー



今回宿泊したファミリールームの特長は、窓が広いことで、非常に開放的な眺望が楽しめるが、隣のホテル近鉄ユニバーサルシティの全体を正面に見ることになるので、当然向こうからも丸見えである。



それでも若干の距離があるので、滞在中はカーテンを開けて眺望を楽しむこととした。

ホテル近鉄ユニバーサルシティ



又、窓際から少し右に目を向けると、同じ京阪系列のホテル京阪ユニバーサルシティを正面から眺めることができる。

ホテル京阪ユニバーサルシティ



早朝に目を覚まし、ユニバーサルスタジオを見下ろすと、何と暗いうちから巨大な光るムカデのようなジェットコースターが試運転されているではないか。



また、目を左に向けると朝のユニバーサルポートホテルと安治川の河口、南港にあるWTCまでの眺望を楽しむことができる。



さらに、ユニバーサルスタジオの遥か先には、舞洲にある大阪市環境局舞洲工場のデザイン煙突も見ることができた。

清掃工場



大阪市環境局舞洲工場の煙突は、120メートルの高さがあり、オーストリア人の建築家フンデルトヴァッサーによる独特なデザインは物議をかもしたことがあるが、今では舞洲の風景に溶け込んでいる。



以前宿泊したホテル近鉄ユニバーサルシティも同じであるが、ホテル京阪ユニバーサルタワーの高層階に宿泊すると、ふだん目にすることの無い非日常的な風景を楽しむことができるのである。


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このホテルは、永くホテル日航ベイサイド大阪として営業していたが、JALグループのリストラの一環であろうか2008年3月末で撤退、2008年5月21日からホテル京阪ユニバーサルタワーとしてオープンしている。



ホテル日航ベイサイド大阪時代は、USJのオフィシャルホテルでは無かったが、ホテル京阪の運営となってからはオフィシャルホテルとなっている。

ホテル京阪ユニバーサルタワーの看板とホテル京阪ユニバーサルシティ



このホテルはJRのユニバーサルシティ駅の改札から一番近い場所にあるので、雨の日など駅から殆ど濡れることなくチェックインできるメリットがある。



また、ホテル外部には24時間営業のコンビニ(ローソン)とスターバックスコーヒーがあり、ちょっとした買い物や簡単な食事をそこで済ますことができるので、宿泊客にはありがたい。



ホテル京阪ユニバーサルタワーには豪華なロビー空間があり、ユニバーサルシティの中にある4つのオフィシャルホテルの中では一番リゾートホテルらしい雰囲気を持ったホテルであろう。

正面玄関



特に車が乗り付ける3階のメインエントランスから4階のフロントまでの空間は、大理石がふんだんに使われた広いスペースとなっていて、大階段は豪華そのものである。

ロビー



ホテル3階のレベルにあるJR駅からの客は、回転ドアを通ってカジュアルレストラン「ザ・ガーデン」の横を先に進み、エスカレーターで4階に上がると、左側の突き当りがフロントとなっている。



このフロントカウンターの後ろはガラスの巨大な窓となっていて、安治川を見下ろしながらチェックイン手続きをすることになる。

安治川から見たUSJホテル群(一番高いのがホテル京阪ユニバーサルタワー)



フロントの右側の奥がエレベーターロビーとなっていて、5~30階の客室と31階にある展望浴場、最上階32階のレストラン「トップオブユニバーサル」まで6台のエレベーターでアクセスするようになっている。

フロント



このホテルの特長は、最上階に天然温泉の展望浴場があることで、地下千メートルの温泉を、地上100メートルの天空でというのが売りである。

USJのゲート(外側)



入浴料金は1500円とチョット高めであるが、翌朝8時まで何度でも利用することができるので、遠くの温泉に行く交通費を考えれば安いと考えるべきであろう。

USJのゲート(内側)



一度この展望浴場から六甲山に沈む夕日を眺めたことがあるが、まさに非日常的な贅沢な瞬間であった。


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12月も半ばを過ぎ、クリスマスが近くなってきたので、通勤散歩の途中にある御堂筋に面したショップのクリスマスデコレーションを観察してみた。

御堂筋心斎橋付近のイチョウ



地下鉄難波駅で下り、道頓堀橋を渡ったD&Gのショーウインドーの中にはクリスマスツリーが飾られ、ここだけクリスマスのムードが一杯である。



その先のドルチェ&ガッバーナの店内には、巨大なテーブルの上にクリスマスの食卓をイメージしたような果物が飾られている。



御堂筋の向かい側に渡ると、トゥモローランドのショーウインドーに地味なメリークリスマスのロゴが書かれていた。



その先にある大丸正面玄関には、地味なポインセチアの鉢植えがクリスマスらしさを演出していたが、大丸、そごうにはなぜかツリーやメリークリスマスのロゴが飾られていないのである。



向かい側のOPAの正面にクリスマスツリーを見つけたが、今年の御堂筋には意外とツリーが少ない。



フェンディ、シャネルにもクリスマスツリーは無かったが、そごうの向かい側にある関西アーバン銀行の玄関に門松のようにクリスマスツリーが置かれていた。



そこから長堀通を渡ったマックスマーラのショーウインドーには、メリークリスマスのロゴが飾られている。



その向かい側、少し北にあるスワロフスキーには、スワロ自慢のクリスラルガラスのクリスマスツリーが飾られている。



ベネトンのショーウインドーにもメリークリスマスのロゴを見つけたが、マネキンの着ているウエアを強調するためか、目立たない場所に書かれているのが特長である。



さらに北に向かって歩き、高級時計店フランクミュラーのショップの中を覗いてみるとフランクミュラーらしくデザインされたツリーがあった。



さらに御堂筋を北上し、難波神社までくると斜め向かいにあった鴻池組本社ビルは完全に解体され、新ビルの基礎工事がスタートしている。



今年は経費節減のせいか、御堂筋のショップにクリスマスツリーやデコレーションが意外と少ないことに驚いたが、年々御堂筋のショップの季節感が少なくなっているのは寂しいことである。

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戦後間もない1950年(昭和25年)9月、突如大阪を襲ったジェーン台風は、沿岸地域に高潮を発生させ、被災者数45万人、死者209人という甚大な被害を与えている。

天保山大橋から桜島岸壁を見る



このとき桜島も被災していて、三菱倉庫のF号倉庫が大破、G号倉庫は全壊と大被害を受けている。

大阪市営1号上屋



しかし、1936年(昭和11年)に耐水建物として建設した当時のA,B倉庫(現在のD、E倉庫)は、数時間も軒先まで海水に浸かりながら倉庫の内部への浸水が殆ど無く、保管されていた商品が無事であったというので凄い。

D号倉庫



それ以来この倉庫は、桜島の潜水艦倉庫として業界では有名であったというが、今でも扉にD,Eと書かれたスリーダイヤマークのある古い倉庫群を見ることができる。

E号倉庫



このときの教訓からか、今の桜島埠頭には、高い防潮堤が築かれ、天保山からの渡し船が着く桜島桟橋にも防潮ゲートの部分から出入りするようになっている。

桜島桟橋の防潮ゲート



また、大阪市営1号、2号上屋の間から岸壁にでるために高い防潮堤に開けられた頑丈な防潮扉から出入りすることになる。

防潮扉



しかし、室戸台風の際に大阪港の潮位が5,3m上昇したことを考えると、果たして今の高さで十分なのであろうか不安である。

ジェーン台風の後、海の上に出ていた桜島桟橋は、1954年3月に頑丈な岸壁として復旧工事が完成している。

1号上屋前岸壁



防潮扉からその岸壁に出てみると、安治川を挟んだ対岸の天保山埠頭の客船や安治川に架かる天保山大橋などの眺望が綺麗である。



大阪市内の海岸、河川の沿岸では、室戸台風で発生したような猛烈な高潮(大阪港の潮位が5,3m、中之島でも3,7m、道頓堀で3,9mまで上昇)や大地震による津波(3m以上)への備えは、果たして十分なのであろうか。

南港の夕暮れ



ジェーン台風では、高潮への備えが十分であった湾岸地区よりも、中之島などの上流地区の被害が大きかったというのでなおさら心配である。


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此花区の先端にある桜島は、対岸の大阪築港と並行して1904年(明治37年)5月~1908年9月にその大部分が、さらに1908年と1923年にも沿岸部分の一部が数回に渡って埋め立てられている。

天保山大橋から見た桜島



大阪市は、埋め立てられたその桜島地区に1907年(明治40年)5月上屋2棟、倉庫2棟を建設、その全面に横桟橋2基を翌年3月に建設完成させている。

現在の市営1号上屋



今でも桜島埠頭には、巨大な市章を外壁に描いた大阪市営の1,2号上屋があり、港町独特の雰囲気を残している。

市営2号上屋



1908年(明治41年)12月三菱倉庫は、大阪市が築造した上屋と倉庫を借り、桜島で業務をスタートしているので、今年がちょうど100周年となるようである。

三菱倉庫桜島営業所



今でも、JRゆめ咲線の桜島で下り、天保山大橋の下を通って桜島3丁目に入ると三菱倉庫の巨大な文字を目にすることになる。



100年前の主要な貨物は、インドから輸入する綿花と綿実で、荷捌き量は日本の綿紡績業の発展とともに急増することになる。

三菱倉庫の桜島倉庫は、1916年(大正5年)の4800坪が1921年(大正10年)に8100坪と5年で倍増しているのである。

安治川



この経済発展を見て桜島の先の梅町地区の埋め立てが、1924年(大正13年)頃から着工され、1931年(昭和6年)頃には完成している。

しかし、1934年(昭和9年)9月に来襲した室戸台風では、大阪港の潮位が5,3m、中之島でも3,7m、道頓堀で3,9mまで上昇し、建物流失1万7千戸、死者行方不明1888人という甚大な被害を出している。

海遊館のあるハーバービレッジ地区



大きな被害を受けた三菱倉庫は、2年後に防水性を徹底的に高めた倉庫(現在のD、E倉庫)を建設しているが、これが14年後のジェーン台風の際に役に立つのである。

DE倉庫



1707年(宝永4年)10月、大阪市内は地震による津波に襲われ541人が溺死している。

桜島桟橋の防潮堤



それから147年を経た1854年(安政元年)、11月にも大阪市内は地震による大津波(高さは3mを越えていたと記録されている)を受け272人が溺死している。

桜島から見た海遊館



現在、その安政地震から154年が経っているので、次の津波が来る可能性は高まっているのではなかろうか。


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1868年(明治元年)3月、明治天皇は天保山の山頂から観艦式をしているが、その記念石碑(1929年建立)のある場所が旧天保山なのであろう。

石碑



旧天保山は、1831年(天保2年)年の川浚で集めた土砂を積み上げて高さ18mを越えていたようであるが、天保山砲台工事のために削られ、今では三角点のある日本で最も低い山(標高4,5m)となっている。

三角点(1911年制定)



さて、1897年(明治30年)10月、西村捨三事務所長の指揮下、大阪築港の起工式が挙行されているが、その年3月に発行された大阪地図には、天保山砲台と築港埋め立ての設計図が描かれている。

天保山砲台



当初は軍港としての機能も求められていた関係で起工式主賓の参謀総長、小松宮彰仁親王の名前で「其の成功を期すぞ」と書かれた基石が海中に投下されている。

基石は後に引き上げられ天保山公園で見ることができる



1910年(明治43年)の地図には、旧砲台部分は築港事務所となり、天保山の西側の築港埋め立て工事か早くも完了している。

地図



さらに、1929年の地図では、砲台のあった場所は、陸軍糧秣支廠という軍用地となってしまっている。

地図



陸軍糧秣支廠の跡地は、戦後天保山公園となり、その西側は大観覧車が置かれた天保山ハーバービレッジである。



安治川の対岸、桜島岸壁まで渡船で渡り、そこから天保山を眺めてみると大橋橋脚のすぐ右側部分が旧天保山のようである。

対岸の桜島から見た天保山



その天保山埠頭に日本クルーズ客船(本社大阪)が運用しているパシフィックビーナス号(総トン数約2万7千トン、全長183m)が丁度接岸していたが、この不況にクルーズを楽しむ人もいるようである。

パシフィックビーナス



日が沈んでから安治川の河口の先にある南港を大阪港側から見ると、夜景がやけに綺麗である。




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