野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



神戸どうぶつ王国のニジキジです。天王寺動物園でも見ることが出来ます。

ニジキジは、インドチベット、ネパールに分布するキジ目キジ科の野鳥。・・・天王寺動物園では金網の飼育舎に入っていて、これほど近くから撮影することは困難です。

全長60~70cm、体重1.8kg~2.5kg、体つきはがっしりしていて薄茶色の短い尾羽が特徴です。

オスの特徴は、虹のように光る金属光沢のある豪奢な羽毛です。

天王寺動物園ではメスも見ることができますが、メスは褐色にまだら模様と目立たない地味な体色をしています。

標高2500〜5000mの高山帯に単独か、つがい、或いは3〜4羽ほどのごく小さな群れで生活するようです。

オスは繁殖期、翼や尾を広げて美しい羽を誇示するディスプレイでメスを惹きつけるようです。

ニジキジのオスには、先端が広がった直立する冠羽があります。

野鳥の中で最も派手な体色をした鳥ではないでしょうか。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




神戸どうぶつ王国のHPに<迫力と感動の鳥たちの優雅なフライトをぜひご覧くださいませ>とあったので、見てきました。・・・オオバタン

オオバタンは全長40~50cmのオウム目インコ科の鳥でインドネシア固有種

主に標高1000m以下の熱帯雨林に生息、飛ぶのが苦手な鳥として知られています。・・・オオバタン

開発による生息地の破壊、ペットとして乱獲されたことで生息数は激減しているとか。オオバタン

ワシントン条約で国際的な商取引が禁止されていますが、今も密猟と密売が続いているようです。・・・オオバタン

オNETでオバタンの取引価格を検索すると55万円とありました。こうした販売を禁止しないと密猟は続くのでしょう。

メキシコ中南米、南米に分布するオナガハヤブサ

アフリカとユーラシア大陸南部に分布する全長65cmのエジプトハゲワシもICUNの絶滅危惧ⅠB指定種

北アメリカ南西部からチリ、アルゼンチンに分布するタカの仲間のハリスホーク(モモアカノスリ)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




島根県雲南市の奥出雲葡萄園に行ってきました。・・・葡萄畑

この食の杜という葡萄園には、レストランを併設したワインショップの他に地図にあるような施設が点在しています。

レストランを併設したワインショップは、ちょっとした丘の上にありました。

入り口

正面左手がレストラン、奥の階段を下に降りるとワインの貯蔵庫、右はワインと乳製品のショップ

レストランの窓からの眺め

お子様ランチもありました。

窓から見える緑がすがすがしい高原レストランでした。・・・チーズの盛り合わせ

プレートランチとチーズ盛り合わせ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




一昨日の6月25日は悲惨な沖縄戦の終結が発表された日です。雑誌「偕行」に昭和51年~53年まで15回に渡って掲載された陸軍エリート将校座談会の記録をまとめ編集した半藤一利さんの本「なぜ必敗の戦争を始めたのか」を読んだのでワシミミズクの飛行写真と一緒に紹介しましょう。

東条英機首相を輩出した陸軍の中枢将校たちが太平洋戦争を始めたと思っていましたが、この本では海軍が主導して日本を戦争に引き摺り込んだとありました。

日米開戦の半年前、昭和1665日「現情勢下に於いて帝国海軍の執るべき態度」という文書が海軍中枢の政策担当委員会(第一委員会)によってつくられています。

そこには石油の輸入が遮断されたら軍艦や海軍機の運用ができなくなる(海軍の存在価値が無くなる?)ため、早期に武力発動するとあり、油が止まれば即時戦争というのは海軍中枢官僚の統一思想でした。

第一委員会のメンバーは、海軍大学の卒業時成績が首席~5番以内(恩賜の軍刀組)の優等生だった大佐・中佐で、この委員会の存在について何故か海軍関係者は戦後も口を閉ざしています。

第一委員会が発足したのち、海軍の政治戦略はほとんどこの委員会によって動き、海軍省内でも重要な書類が回ってくると、上司から第一委員会をパスしたかと聞かれ、パスしましたと言うと許可されるという状況でした。

昭和16年8月1日、アメリカが日本への石油輸出を全面的に禁止したことで、海軍は第一委員会の方針に基づいて早期に武力発動することを決定しています。

次に同1019、山本五十六が真珠湾攻撃を海軍作戦の中心に据え、この作戦が入れられなければ連合艦隊司令長官を辞任すると脅したため、大本営は山本に許可を与えて128日の開戦を迎えるのです。

山本五十六は、真珠湾攻撃でアメリカ国民の戦意を挫き、短期で戦争を終わらせると見込んでいましたが、結果は「リメンバー・パール・ハーバー」を合言葉にしたアメリカと日本の総力戦となって、沖縄だけで20万人、すべて含めると300万人の日本人の命が失われたのでした。必敗の太平洋戦争を始めたのは石油禁輸で動揺した海軍優等生官僚とアメリカ人の戦意を軽視した山本五十六だったと半藤一利さんは書いています。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




新交通システム「ゆりかもめ」に乗り、お台場から江東区豊洲に向かう途中の景色を紹介しましょう。・・・左は開業問題があった豊洲市場

右にクルーズ船、正面には新しいホテルのような建物が見えてきました。

クルーズ線の船首をズーミングすると、飛鳥Ⅱとあるのが判りました。このクラスだとレインボーブリッジの下を潜れるのですが、最近の大型クルーズ船はそこを通れません。

手前のホテルの建物にはHOTEL JAL CITYと出ています。ゆりかもめ台場駅に同系列のグランド日航東京台場がありますが、オリンピックを控えてここにも新しいホテルが開業するようです。

遠くには工事中の超高層オフィスビルも

オリンピック選手村に続く橋の手前にも大規模な工事現場があります。

豊洲駅の一つ手前にある新豊洲駅に到着

豊洲駅手前の大規模タワーマンション現場にはブランズタワー豊洲の表示がありました。

もうじき豊洲駅に到着ですが、豊洲駅周辺の景色です。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




久しぶりに東京江東区の豊洲に行ってきましたので、都市再開発が急な豊洲の今の様子を紹介しましょう。

東京都内で最も活発な再開発地域の一つは、東京メトロ有楽町線の豊洲駅周辺でしょう。・・・林立するクレーン

ウォーターフロンに林立するクレーンはタワーマンションの現場

タワーマンションのすぐ下には船着き場もありました。

キャナルプレイス豊洲前の遊歩道

コンビニやレストランがあるキャナルプレイス豊洲

キャナルプレイス豊洲に近いタワーマンションから見た2020年東京オリンピック選手村方向

クレーンが林立している選手村工事現場をズーミング。

その右には東京を代表する超高層タワーマンション群がありました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




三瓶山のふもとにある三瓶小豆原埋没林公園に行ってきましたので世界でも珍しいという埋没林を紹介しましょう。

ここにはスギを中心とする直径1m超、高さ10mを超える巨木(放射性炭素年代で35003700年前のもの)が直立状態で残存しており、直立する幹の根元に多くの流木が存在する場所です。

この埋没林には、根を張って直立する埋没樹が約30本、流木はおびただしい数が確認され、現在の中国山地ではこの標高にスギの自然林はみられず植生学的に注目されています。

もともと1983年の圃場整備工事で2本の直立した巨大な埋没樹が発見されたことがきっかけとなり、1998年の島根県調査で多数の埋没立木が確認され2004227日に国の天然記念物に指定されています。

こうした複数の樹木が根を張った状態で地層に埋もれたものが「埋没林」または「化石林」と呼ばれ、全国で数十カ所が知られていますが、その大部分は根もと付近が残るのみで、長い幹をそのまま残すものは珍しい存在です。

この埋没林は約4000年前に発生した三瓶山の火山活動により、樹齢300500年くらいの巨木が生育時のままの状態で埋積されたと考えられています。

火山噴火による土石流が流れ下った谷は、小豆原川が流れる谷ではなく、隣の伊佐利川が流れる谷で、小豆原川と伊佐利川は、埋没林の下流約500mの地点で合流、土石流は伊佐利川の谷を埋め尽くしながら末端は海岸近くまで達しています。

その土石流によって伊佐利川と小豆原川の合流部が埋めつくされ、そこから谷を逆流した土石流は埋没林付近で勢いが衰えたため、樹木が倒されずに土砂に埋もれたようです。

三瓶小豆原埋没林を埋めている地層は、上から順に「火山灰が水で運ばれて静かに堆積した層」、「火砕流の層」、「土石流の層」にわかれ、世界的にも極めて貴重な存在と説明されていました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2007年にユネスコの世界文化遺産に登録された石見銀山に到着すると雨、雨の中「石見銀山世界遺産センター」に行ってきましたのでその写真と一緒に石見銀山の歴史をセンターの公式HPから紹介しましょう。

16世紀の日本の銀産出量は、世界全体の三分の一(平均生産量は年間200トン程度、その内1石見銀山が38トン(10000貫)くらいあったと推測され、銀を貨幣としていた中国やヨーロッパに輸出され、当時の世界経済に大きな影響力を持っていました。

従って銀山を手中にした大名家(支配した順に大内氏、尼子氏、毛利氏、豊臣氏、徳川氏)の利益は大きく、銀10000貫は米に換算すれば100万石(江戸時代の加賀前田家の石高と同じ)を超えたと言われています。

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、160011月に石見銀山接収のために大久保長安(15451613年)と彦坂元正を下向させ、石見銀山を幕府直轄領(天領)とし、初代銀山奉行(佐渡金山奉行や生野銀山奉行などと兼任)に大久保長安を任命しています。

大久保長安は山師(鉱山経営者)の安原伝兵衛らを使って銀山開発を進めて徳川家に莫大な銀を納め、その銀は朱印船貿易の元手となって海外に輸出されています。

ところが銀の産出量は1602年頃をピークに次第に減少、1675年には銀山奉行の職が大森代官に格下げされているので産出量も減少の一途だったようです。

1868年(明治元年)、明治政府(太政官布告)による民間払い下げがあって地元(島根県仁摩町)の田中義太郎が経営権を取得、しかし浜田地震(1872年)の被害を受けて休山しています。

1886年(明治19年)大阪の藤田組(現在はDOWAホールディングス)が、産出量が激減した銀に代わる銅の採掘を開始しますが、銅価格の暴落や坑内の環境の悪化などで1923年(大正12年)に休山しています。

藤田組は太平洋戦争中1941年(昭和16年)にも銅の再産出を試みますが、水害で坑道が水没したため1943年に完全閉山を決定、鉱業権は今もDOWAホールディングスが保有しているそうです。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




兵庫県コウノトリの郷公園公式HPにあるコウノトリの記事と、先日、先日観察したコウノトリの幼鳥4羽を紹介しましょう。・・・羽ばたき訓練J0234オス

コウノトリは湿地生態系の頂点に君臨する鳥で、大型の淡水魚をはじめとする水生動物から、ヘビやバッタのような陸生動物まで、多様な餌を食べる肉食の鳥です。現在では、極東に2000羽あまりしか生息していない絶滅危惧種です。・・・J0233メス

両翼を広げたときの大きさ(翼開長)は200~220cm、立った状態での高さは100~110cm。体重は4~5kg。肉食性で、ドジョウ、フナなどの魚類をはじめ、ヘビ、カエル、バッタなどの多様な動物を餌とします

一夫一妻でテリトリーを形成して繁殖し、造巣、抱卵、育雛を雌雄が共同で行います。野生では、主に高さ4~17mの樹上に、長さ20~150cmの枝を使って、直径1.0~2.5m、厚さ0.5~1.0mの外巣をつくり、枯れ草や羽毛を敷いて内巣をつくります.通常1日おきに合計2~5卵を産み、多くは第4卵を産むと本格的な抱卵に入ります。

卵は抱卵開始後30~34日で孵化し、雛は最初の孵化から53~70日間巣に留まります。幼鳥は、巣立ち後約1週間は巣の近くにとどまり、徐々に分散していきます。・・・はばたきJ0235メス

幼鳥は、巣立ち後約1週間は巣の近くにとどまり、徐々に分散していきます。兵庫県但馬地方では、2月中旬に造巣を始め、3月下旬から4月上旬に産卵し、4月下旬から5月上旬に雛が孵化し、6月下旬から7月上旬に巣立ちします。・・・中央はJ0231メスの羽ばたき

コウノトリは樹上に止まることができますが、タンチョウなどツル類は木に止まることはできず、樹上ではなく地面に巣を作ります。また、ツル類は鳴き声を出すことができますが、コウノトリは鳴き声を出すことができないので、クラッタリングでコミュニケーションをとります(ヒナのうちは声を出すことができます)。

主にヨーロッパに生息するシュバシコウは嘴が朱色、コウノトリよりも少し小さく、以前は同種別亜種に分類されていましたが、現在は別種とされ、赤ちゃんを運んでくる伝承はシュバシコウについてのものだそうです。・・・父親のJ0118が巣に戻ってきて5羽になりました。

文化財保護法で「特別天然記念物」、絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)で「国内希少野生動植物種」、環境省レッドリスト絶滅危惧ⅠA類に指定されています。・・・コウノトリのクチバシの下には、ペリカンのような袋があります。・・・4月に孵化して2ヶ月ちょっと、ほとんど親鳥と同じサイズまで成長したコウノトリの幼鳥たちでした。

追記:後日、6月18日に巣立ったと報道されました。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




コウノトリの巣塔で、コウノトリの親子を観察しましたので紹介しましょう。・・・かなり距離がありますが、足環が見えるので個体を識別できます。

ここでは、4月に孵化した4羽の雛がもうじき巣立ちしそうです。・・・親鳥と幼鳥が計5羽が狭い巣の中でひしめきあっていました。

正面奥の左の足環の色が青と青の個体は父親鳥、それ以外は幼鳥4羽。母親鳥はいませんでした。

右下のクチバシが大きいのが父親鳥、識別番号J0118で2014年6月生まれの5歳、2015年10月3日福井県でハードリリース(放野場所に連れて行きすぐに放鳥)されています。

このあと父親鳥は巣から飛び立って、今年生まれた4羽の幼鳥が残りました。

幼鳥4羽のうち正面の後ろ向き(足環左右両方が黄緑色)がオス、あとはすべてメス

突然、雨が降り始めましたが、まだ眼を開けています。

しばらくすると4羽は、じっと立ったまま目をつぶっていました。

4月に孵化して2ヶ月ちょっと、ほとんど親鳥と同じサイズまで成長したコウノトリの幼鳥でした。・・・雨が小降りになり、再び眼を開けたコウノトリ。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日、田舎の道を車で走っていると、大きな3羽の野鳥が田植えが終わったばかりの田んぼで休んでいました。

ズーミングしてみるとコウノトリのようです。

左の個体が最も大きく、中央が最も小さいことが判ります。・・・足環で判りましたが左がオス3歳、中央はメス1歳、右はメス6歳。

日本のコウノトリには、殆どに足環が付いていて、生年、性別などが判るようになっています。・・・この距離ではまだ足環が良く判りません。

左の個体の足環の色は、左が赤黒(上下2色の上から)、右が黄黒でした。兵庫県立コウノトリの里公園の足環カタログからJ0135というコウノトリと判明。

J0135は2016年4月生まれのオスで、朝来市三保放鳥拠点から2016年6月24日にソフトリリースされています。幼鳥のソフトリリースは,放鳥拠点でケージの屋根を開放、育った幼鳥を自らの意思で出て行かせることだそうです。・・・足環がよく判るようさらにトリミング

3羽のうち中央の個体は左足の緑赤しか見えませんが、カタログから2018年4月に雲南市で生まれたJ0197というメスでしょう。

右の個体の足環は左が青緑、右が黄黒。カタログからJ0480というコウノトリでしょう。

J0480は、2013年5月生まれのメス、朝来市三保放鳥拠点から2013年7月19日にソフトリリースされています。日本中の田んぼにコウノトリが飛来するようになるのはいつの日でしょうか。・・・ズーンミングすると足環の色がよく判ります。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




環境省は毎年シギチドリ類の日本への渡来数を発表しています。アオアシシギと他のシギ・チドリの昨年(2018年)の渡来数をアオアシシギの写真と一緒に紹介しましょう。

シギ・チドリのうち最大渡来数を誇るのはハマシギの2万9千642ですが、環境省はハマシギを準絶滅危惧(NT)に指定しています。渡来数減少のスピードが早いのが理由でしょうか。

次が小型のトウネンの7589、三番目が大型のチュウシャクシギ6727。

4番目がキョウジョシギの3542、5番目がキアシシギの3405

6番目はダイゼン3014、7番目はムナグロ2282

8番目はミユビシギの2260、9番目がメダイチドリ1858

10番目がアカエリヒレアシシギの1386、11番目がオオソリハシシギ1141。オオソリハシシギは準絶滅危惧よりも深刻な絶滅危惧Ⅱ類指定です。

12番目が今回紹介しているアオアシシギ1063。昨年に限ればオオソリハシシギよりも渡来数が少ないのです。

環境省調査結果だけによれば、アオアシシギの日本への渡来数は意外と少ないので、絶滅危惧Ⅱ類に指定される資格があるとも考えられます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




6月12日、京都にある孝明天皇後月輪東山陵と明治天皇伏見桃山陵を、上皇陛下が参拝されました。そこで余り知られていない孝明天皇(18311867年)のことをミサゴの写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が最近読んだ本からの引用部分

<孝明天皇は公武合体派で、すこぶる将軍家茂を贔屓にされたということになっている。公武合体派ゆえ討幕派に毒殺されたという噂も当時からしきりにささやかれた。だが、孝明天皇ほど倒幕に力を尽くしたお人はいない

<安政5年(1858年)、日米修好通商条約交渉時、調印するばかりになって江戸幕府の老中首座、堀田正睦(18101864年・当時49歳)は勅許を求めに京へ向かった>

<そのときの堀田はこう考えていた。条約を調印すれば「和」となって何事もなくおさまる。拒否すれば「戦」になる。和か戦かと迫れば、英邁な主上(孝明天皇)のことだ、まさか拒否とはおっしゃりますまい>

<きっと条約調印許可とおっしゃるはず。だからと、勅許をいただきに京にでかけたのだが、孝明天皇から出された回答は理屈もくそもない。戦争になってもかまわない拒否するというものだった>

<堀田老中は必死に巻き返しに出た。上級公家は、もういいだろう、ここは幕府の顔を立てて許可をしようと折れた。一人、孝明天皇だけが崖っぷちで踏ん張った。中級下級の公家を扇動して「否」と最終回答した>

<江戸幕府から政治権力を奪還するためである。「応」と回答すると、幕府を信任したことになり、せっかく掴みかけた政治的な発言力を失う。だから回答は何が何でも「否」でなければならなかった>

<以後も横浜、長崎、函館の三港が開港したというのに、孝明天皇は条約勅許に反対しつづけ、急先鋒となって倒幕運動を煽り立てた。効果は抜群で幕府は翻弄され、2年後の桜田門外の変(1860年)などもあって幕府は窮地に追い込まれた>

孝明天皇は痘瘡(天然痘)によって1867年夏に崩御されますが、孝明天皇によって窮地に追い込まれた江戸幕府は、同年末に大政を奉還、翌年には明治維新政府が誕生するのです。孝明天皇が明治維新の立役者だったという説の紹介でした。

参考文献:覚悟の人 小栗上野介忠順伝 佐藤雅美著



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




日本に渡来するツバメの仲間はツバメ、イワツバメ、コシアカツバメ、ショウドウツバメ、リュウキュウツバメ、アマツバメ、ハリオアマツバメ、ヒメアマツバメなどがいます。・・・これはツバメ

ツバメの生態と一緒に、少し前ですがツバメが巣作りをするための土を咥えて飛ぶ姿を紹介しましょう。

春から夏を日本で過ごしたツバメは、9月中旬から10月の終わり気温が下がると、台湾やフィリピン、マレー半島、オーストラリアなど3000~5000kmも離れた南の国へ移動します。

日本を出発した彼らは集団で行動し、台湾以南に渡る場合はフィリピン近海でばらけて目的地に進んでいくそうです。

そのスピードは、時速45~50kmほど。途中で休みながら1日に最長で300km移動することが確認されています。

南方にはツバメの食べ物(昆虫など)を好むライバル鳥類が多く、そこで繁殖子育てすることが難しいことから、日本などに渡って来るのではないかと考えられています。

この渡りをするためにツバメなどが身に着けた能力が「半球睡眠」で、脳の半分だけを眠らせ、残り半分で周囲に気を配りながら飛び続けるのです。

ツバメの巣は泥や枯草を使って作られます。口から分泌される唾液などを練り込むことで強度を高め、少しずつ泥を重ねていくことで民家の軒先などで見る巣ができるのです。

産卵は4~5月。1日に1個ずつ、合計3~7個の卵を産み2週間前後で孵化。オスとメスが交代で1日に500回も巣と餌場を往復するようです。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




5月中旬くらいまで大阪の干潟に多数渡来してきていた小型のシギ、トウネン(体長15cm)とメダイチドリ(20cm・翼を上げた個体とその先の1羽)です。

トウネンは東南アジアで越冬、日本などを中継地として北極圏まで渡って繁殖しますので、これからの繁殖に備えてしっかり日本で栄養補給しておく必要があるのでしょう。・・・メダイチドリ2羽とトウネン1羽

ところで北極圏に渡ったトウネンがすべて繁殖活動できるわけではなく、繁殖地でペアを見つけられない個体もいるようです。

そうしたトウネンは、早々と北極圏繁殖地を離れるようで、北海道などでは7月上旬から東南アジアなど越冬地に向かうトウネンを見ることができるそうです。

去年の産経新聞情報から、720日にトウネンが米子水鳥公園に渡来したという記事を見つけました。

大阪南港野鳥園のHPにはトウネンが714日に渡来した記録があるので、米子に720日渡来してもおかしくありません。

ちなみに大阪南港野鳥園HPから夏のトウネンの初渡来日をみると201885日、201785日、2016814日、201581日、2014714日、201385日、2012720日、2011725日、2010722日、2009720日とあります。

このうち2016年を異常値と考えて除外し、9年分を見るとトウネンの夏の平均初渡来日は728日、最多渡来日は8月5日、その頃には毎年少数ですが越冬地に向かうトウネンが大阪まで戻ってきているようです。

この頃には例年アオアシシギ、キアシシギも渡来しているので、恐らくペアを見つけられなかった若鳥や営巣に失敗した連中なのでしょうね。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ