野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



近所の川で足指が黄色いコサギ(全長61cm)を見たのでそっと近づくと、こちらに気がついて飛びだそうとしていました。

カメラを向けたまま、さらに近づくと、左足で踏み切って飛び出しました。

カメラを連写モードとしたまま、そこを狙ってシャッターを切り続けます。

空中に飛び出したコサギ、カメラのファインダーに入れたままシャッターを切り続けるのは大変です。

羽ばたき

長い首を深く曲げて背中に寄せ、翼を精一杯広げています。このとき両足の指は、やや離れています。

少し羽ばたき、両足の指が重なるくらい接近しています。

そのまま大きく羽ばたきます。

頭と背中が一体化、足指を寄せた足が、ほぼ水平という空気抵抗が少ない姿勢で飛行を続けていました。



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大阪港の入り口、大関門の白灯台を撮影していると、手前の海中から魚が飛び出しました。

釣り人のすぐ足下でも魚が跳ねていますね。

跳ねている魚は、頭が丸いのでボラのようです。

近くで跳ねてくれたのでやや大きく写せましたが、背中からなので魚種はよく判りません。

やっと跳躍時の全身を横から撮影することに成功しました。やはりボラでしょう。

これは偶然、すぐ近くから跳ねたボラ。

背景のタグボートを写していたら水中からニュと出てきたボラ。

渡船を写していたら手前で飛び跳ねたボラ。

連写したので次の瞬間も写っていました。



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5月には、大阪市内の干潟に色々なシギ達が渡来してきます。

クチバシの長いチュウシャクシギ(42cm)、腹部が黒いハマシギ(21cm)、足が黄色いキアシシギ(25cm)などです。

ハマシギは急速に渡来数を減らしていて環境省レッドリストの準絶滅危惧種に指定されています。

右上のやや大きなシギはオバシギ

左上大きいのがオバシギ(全長29cm)、中央の1羽がハマシギ(全長21cm)、その周りはトウネン(全長15cm)

下の2羽はキアシシギ(全長25cm)、左上はハマシギ、右上はオバシギ

左からキアシシギ、オバシギ、右がハマシギ

まさに野生の楽園干潟という光景です。

この日大潮で手前まで潮が引いたため、ハマシギを大写しすることができました。



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大山巌(当時は弥助)の子息、大山柏の著書「戊辰役戦史」に鳥羽伏見での幕府軍敗退の理由が描かれていましたので、トウネンの写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が引用部

慶応4年(1868年)1月3日から始まった鳥羽伏見の戦いの幕府側兵力は1万5千名、官軍は5000名程度(薩摩3000、長州1000、土佐200、因幡500余)とされていますが、錦旗が登場(1月5日)する以前の初戦から幕府側が連戦連敗しています。

大山柏氏は<著者の解し得ぬ点は、軍配書によれば鳥羽街道部隊司令官として幕府若年寄兼陸軍奉行竹中重固(しげかた・当時41歳)が鳥羽に向かわずに伏見に赴いていたことで、鳥羽方面の幕府軍に部隊を総括する司令官がおらない>

小枝橋のある鳥羽街道には<滝川倶挙(ともたか42歳・倶知とも)がいるも、この人は幕府大目付で、(徳川将軍家から朝廷への)上表伝奏の使者(武官では無く文官)であって、軍隊とは系統を異にする>

<だが彼はその後も第一線に留まっておったとこからすると、例の(大阪城で最も主戦的な発言をして徳川慶喜・32歳も制止できなかった)調子で、筋違いにもかかわらず、平気で兵を指揮しておったらしい>

<これは著者の想像だが、打倒薩摩一色の「滝川」が鳥羽方面に行くなら、俺は伏見の方を指揮する」と言い、「竹中」は伏見に行ったのかも知れない>幕府組織では滝川の大目付より竹中の若年寄が上位ですが、主戦論者に逆らうわけにはゆかなかったのでしょう。

<ともあれ鳥羽方面には幕府軍の総指揮官(陸軍奉行)がいない。その上、薩摩軍の第一発目の砲弾が幕府軍大砲に命中炸裂した。滝川はちょうど乗馬したばかりで、その身辺で砲弾が破裂したので乗馬が仰天して鳥羽街道を(大阪方向に)疾駆狂奔した>

<鳥羽街道の道路いっぱいの幕府軍の隊列は、ただでさえ混乱している。そこに大目付の乗った奔馬が突然出てきてメチャクチャにかき乱され、収拾のつかぬ大混乱を惹起し、先頭にあった部隊は一時使い物にならなくなった>

伏見でも遅れて戦闘が始まりますが、竹中重固陸軍奉行は、翌1月4日、協議と称して老中格(名目的な)総司令官松平豊前守(大河内正質・25歳)のいる淀に脱出、これが全軍の総退却を誘発しています。鳥羽伏見で幕府が負けたのはこの二人のせいかも知れません。

 



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トウネン(体長15cm)の飛行に続いて大阪市内の干潟に渡来してきたメダイチドリ(体長20cm)の飛行写真も紹介しましょう。

トウネンより大型のメダイチドリの飛行写真撮影ですが、トウネンと同じくらいの高速で飛行するためピント合わせが大変です。

また大きく写すためは、遠くを飛ぶ場合は避け、近くに飛んできた瞬間シャッターを切る必要があります。

着地する直前のメダイチドリは水面に近接してスピードを緩めるため、ピントが合い易いようです。

但し、こちらに向かって飛行する際は、距離が高速で変化するため、ピントが合わないことが多いようです。

背景が水面などの場合にも比較的ピントが合い易いと思います。・・・5羽のメダイチドリの翼の状態が様々

こちらは尾羽根を広げてスピードを落とし、着地する少し前のメダイチドリ。

着地寸前にホバリングするメダイチドリ

一斉に着地しました。大阪市内の干潟でこうしたメダイチドリの集団飛行を見ることができるのを知らない人は多いと思います、



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日露戦争での満州軍総司令官だった大山巌の子息、大山柏の著書「戊辰役戦史」に父親の勇猛ぶりが描かれていましたのでアオサギの写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が引用部

慶応4年(1868年)、鳥羽街道小枝橋での開戦の翌々日(1月5日)大山巌(当時は弥助・数え年27歳)は、薩摩軍2番砲隊長として、伏見から激戦中の鳥羽本道(千本通り)の富の森(現在の横大路前川町辺り)に到着。・・・クチバシを水中の獲物に

<2番砲隊は(幕府軍に向けて猛烈な大砲)射撃をした結果、用意した弾薬を使用し尽くし、大山隊長は抜刀して「砲を捨て銃を取れ」の号令を下したため、砲隊はたちまち小銃隊に早変わりした>・・・アオサギが何かをゲット

<続いて「散開前へ」の号令で大山隊は歩兵線を乗り越え、幕府軍の銃砲火中を一意前進、そのまま敵の陣地に突っ込んだ。その突撃前進を見た両隣の小銃隊(篠原国幹3番隊長・32歳と野津鎮雄5番隊長・34歳・1隊約80名で編成)は「砲隊に遅れては小銃隊の名折れだ」と続いて突進>・・・エビを咥えていますね。

<突撃直後、大山隊長は右耳に銃弾を受けたため(止血用の)手ぬぐいで頬被りして続行、この姿が期せずして官軍の「総突撃」を誘発、頑強に抵抗していた幕府軍は持久し得ず、脆くも崩れて第二戦陣地へ敗退した>・・・エビが必死に暴れて

この激戦で薩摩軍小銃5番隊の監軍(副隊長格)椎原小弥太(29歳・鳥羽小枝橋の守備隊長で、橋の通行を求めた幕府大目付・滝川倶挙(42歳?倶知とも)を通さず、鳥羽伏見開戦のきっかけをつくった人物)と薩摩軍小銃6番隊長(市来勘兵衛・30歳)などの人材が戦死しています。・・・エビのハサミの部分を咥え

椎原小弥太の戦死で、西郷信吾(従道・26歳)が代わって小銃5番隊監軍となりますが、西郷も銃弾を受け後退(重傷)、小銃6番隊は監軍(副隊長格)野津七次(道貫・28歳)が隊長となって奮戦しています。・・・ハサミを噛んで無力化中?

鳥羽街道での1月5日(錦旗が登場する直前)の戦闘がいかに過酷であったかを物語っていますが、その中で大山巌(弥助)隊長が先頭を切って突撃した行為は後に「弥助ドンの頬被り斬り込み」としてその勇気を賞賛されています。・・・シッポを咥え直して

西郷隆盛(当時が41歳)がリーダーとして尊敬を受けるきっかけは、4年前の「蛤御門の戦い」の指揮であり、大山巌が尊敬を受けるきっかけとなったのは鳥羽伏見1月5日の戦いの指揮であったというお話でした。・・・一挙に呑み込みました。



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昨日に続き、トウネンの集団飛行を追いかけた写真の紹介です。・・・トウネンがこのくらいの大きさで写った写真は多い。

しかし、飛行中のトウネンを大きく撮影するためには、カメラのファインダーでトウネンを追い続ける必要があります。

通常トウネンは、撮影者から離れる方向に飛行するため、後ろ向きの写真を量産することとなります。

また、目の前を通過する際には、猛スピードとなるためピント合わせが大変です。

カメラのオートフォーカスは、手前を高速飛行中のトウネンより、背景に合うように作動する場合が多いようです。

但し、背景が水面の場合には、トウネンにピントが合うケースが増えるようです。

背景にピントを持って行かれないよう、オートフォーカスの中央部1点に飛行中のトウネンが入った時にシャッターを押せば問題無いようです。

しかし、高速で空中を飛行しているトウネンをファインダーの中央部に入れてシャッターを押すのは大変です。

シャッターを押す寸前、飛行中のトウネンが中心から外れ、ピンボケ写真を量産することとなるのです。



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大阪市内の干潟に渡来したトウネンの集団飛行を紹介しましょう。

渡り鳥の中では小型のトウネン(全長15cm)は、いつも大集団で渡来してきます。

そして餌場を探して干潟の上空を低空飛行します。

危険な猛禽類の襲撃を避けるためか、その飛行スピードと方向転換の素早いこと。

そのトウネン達をカメラのファインダーで追いかけます。

NETでトウネンの飛行写真を検索すると、飛行集団を広角で写したものが多いようです。

しかし広角撮影なら、トウネンの姿は小さく写り、細かい部分がよく判りません。

ということで、今回はその様子が大きく見えるよう、望遠レンズで追いかけて写してみました。

まだまだ未熟ですが、何とか大きく写すことができたようです。



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大阪市内の公園で見かけた長い尾羽根を持つサンコウチョウのオスです。

NET検索すると、サンコウチョウ・オスの飛行写真は意外と少ないようでした。

そこで、この機会に飛行写真の撮影に挑戦してみました。・・・飛び出す直前の長い尾羽根は、ほぼ直線のまま。

サンコウチョウの飛び出し。尾羽根中央部の2枚が長く、それ以外左右5枚の尾羽根は外側に向かって徐々に短くなっているのがよく判ります。

翼を持ち上げた際には中央2枚の長い尾羽根も上に持ち上げ、バランスを取っているようです。

翼を打ち下ろした際、中央2枚の長い尾羽根も下に打ち下ろしていますね。

そのまま上昇。翼を持ち上げると、長い尾羽根の先端も上がっています。

下に向かって羽ばたくと、中央2枚の長い尾羽根も下にきていますね。

サンコウチョウの長い尾羽根は、飛行時の翼を補助する役割を持っているようです。

 



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近所の干潟にキョウジョシギが渡来してきました。

キョウジョシギの英名はターンストーン。クチバシを使って干潟の石を裏返し、その下にいる生物を補食します。

大阪市内に飛来するキョウジョシギは数が少なく、その飛行を撮影する機会は少ないようです。・・・尾羽根を広げて向こう向きに飛び出し

それでも今回その飛び出し写真に成功しました。・・・背中の白、尾羽根基部の黒、白い尾羽根と先端の黒帯、尾羽根最先端部の白が美しい

急速に遠ざかるのでピントが甘くなってきています。

そしてフレームアウト直前。・・・翼は雨覆が褐色で白い翼帯があり、風切り羽先端部が薄茶色

下の写真はチュウシャクシギの前で着地しようとするキョウジョシギです。

背中の中心部が白、周りは赤褐色、翼基部に白い縦帯、

ちょっとピントが甘い

 



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コロナの影響で散歩する人が殆どいない近所の干潟に、渡り鳥が次々と飛来してきています。

やや大型で腹部に黒斑があるのはハマシギ、小型で純白な腹部はトウネンでしょう。

ハマシギは環境省レッドリストの準絶滅危惧種に指定された野鳥です。・・・干潟のアオサギの前を飛ぶハマシギ達

飛行する野鳥にカメラのピントを合わせるのは難しいのですが、この写真は何とか野鳥に合っていますね。

図鑑(日本の野鳥590)によればハマシギとトウネンの越冬地はかなり違うようです。

アメリカの図鑑(SHOREBIRDS)によれば、ハマシギの越冬地は中国南部と台湾および日本南部とあります。

クチバシの長いのがハマシギ、体が小さくクチバシが短いのがトウネン。・・・少し大きめにトリミング

一方、トウネンは東南アジア、インドネシア、オーストラリアとハマシギの越冬地よりもかなり南方で越冬するようです。

その両者が大阪に同時に渡来してくるのはどこかで合流しているはずです。



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以前オオルリの大写しを紹介しましたが、次はサンコウチョウの大写しです。

サンコウチョウのオスは尾羽根が長く、全長45cm(日本の野鳥590・大西敏一著)と言われています。

従って、尾羽根をフレームからカットすることで、特徴ある青いアイリングを大きく見ることができます。

またクチバシが薄い青色をしているのもトリミングすることで明瞭となります。

図鑑(日本の野鳥590・大西敏一著)には<ベトナム・ラオス・タイ・マレーシア・スマトラ等で越冬し、北海道を除く日本で繁殖する夏鳥>だそう。

オスの長い尾羽根は、日本に渡来して繁殖する時期だけのもので、秋に越冬地に向かう際には抜け落ちるとか。

尾羽根が長くないメスの全長は17.5cm。オスも尾羽根が抜ければ同じくらいでしょう。

長い2枚の尾羽根は他の尾羽根の上に付いているように見えます。・・・2枚以外の尾羽根も長いので、尾羽根を除いた胴体はスズメよりすこし大きい程度でしょう。

最後に尾羽根部分を拡大。左右6枚づつ(合計12枚)ある尾羽根が外側から内側に向かって徐々に長くなり、中央2枚だけが極端に長い。



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近所の干潟に渡来してきているメダイチドリの飛行を紹介しましょう。・・・下の写真、後方の4羽はトウネン

メダイチドリと小さなトウネンが入り乱れて飛行

水面スレスレを飛ぶ野鳥たち。

干潟に着陸しそう

スピードを落として

こちら向きに飛ぶメダイチドリ

トウネンが1羽混じっています。

芦原の前を飛ぶメダイチドリとトウネン

大きくトリミングしてみました。

 



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近所の干潟に飛来してくるダイサギです。今の時期は、繁殖期特有の婚姻色となっています。

暫く見ていると、ダイサギが狙い澄まして干潟のエビを捕まえました。

大阪市内の干潟にこんなエビが生息しているとは、全く知りませんでした。

エビの姿がよく判る写真を見ると左右の爪の形が違います。どうやらテッポウエビのようです。

NETで検索すると<テッポウエビは日本を含む東アジア海域に分布し、内湾の砂泥地に生息。日本各地の干潟で見られるテッポウエビ科の中では最大種>

<成体は体長50~70mm。第一歩脚は鉗脚(かんきゃく)として発達し、これを含めると100mmを越える>・・・下の写真にエビの鉗脚が写っています。

<第一歩脚は左右で太さと形態が異なる。大きい方は掌部(中ほどの関節からはさみのつけ根まで)は指部(はさみ)の3倍ほど長くて重厚、指部は短いが太くて鋭い>

<小さい方は逆に指部が掌部の3倍あり、咬み合わせ部分に隙間がある細長いはさみとなる。大きい方のはさみを一旦開いてかち合わせ大きな破裂音を出すことができる>

<干潟では巣穴を掘り返すと比較的容易に捕獲できるが、破裂音を出す鉗脚に挟まれると出血するほど強力なので要注意>・・・ということを知ってか、ダイサギは注意深く扱って最後に呑み込んでしまいました。・・・テッポウエビを調理して試食した人の記事を見ると、意外と美味しいようですね。



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今朝、近所の公園を散歩していると、暗い林の中で見慣れない野鳥を見つけました。

翼を広げて伸びをしています。

後ろ向きとなってくれたのでサンコウチョウのメスと判明。

オスと比べると地味な色をしていますね。

直後にオス発見。青いアイリングと長い尾羽根、すぐにサンコウチョウと判ります。

こんな野鳥が大阪市内の公園に毎年渡来してきているのです。

なかなか明るい場所に出てくれません。

やっと明るい場所に出てくれました。

自慢のアイリングを見てやって下さい。



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