野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



ケーブルカーの終点、傘松公園は丹後海陸交通が運営、130mの高さから天橋立を見下ろすことができます。・・・ケーブル駅とレストハウス

傘松公園から見る天橋立は北向きにあり、「斜め一文字」と呼ばれる姿をしています。・・・股のぞき台

天橋立の右手(西側)は阿蘇海と呼ばれ、その右奥が京都府与謝野町です。

レストハウスの喫茶店からお茶を飲みながら「斜め一文字」の天橋立を眺めるお客

沖にある元伊勢神宮籠神社の奥宮で神の島とされる「冠島沓島」を遙拝する冠島沓島遙拝所がありました。

冠島沓島は、籠神社の祭神(彦火明命・ひこほあかりのみこと)が天下った島とされています。少し高いレストハウスの窓から冠島(下の写真の左端)が見えました。

冠島沓島遙拝所を遙拝すると、突然雨が止んで、笠松公園全体が明るくなってきました。

レストハウスのすぐ近くには、西国三十三か所巡礼28番目の札所「成相寺」に行くバスの停留所があり、周囲の紅葉が盛りでした。

冠島沓島遙拝所で遙拝したお陰で、明るくなった天橋立を見ることができました。天橋立の向こう正面、宮津湾の最奥部が宮津市です。

笠松公園から天橋立をみたので、次の目的地の籠神社に向かうこととしました。・・・下りのケーブルカー



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先日、近所の友人達と天橋立までバス旅行に行ってきましたのでその様子を紹介しましょう。・・・利用した貸し切りバス

バスは丹波路から丹後路へ

昼食はズワイガニと刺身の定食

丹後のおみやげショップににも立ち寄りました。

途中立ち寄った、京丹後市弥栄町「いけ田ファーム」で、新鮮な無農薬有機栽培の野菜を買い付け。確かにおいしい野菜でした。

ケーブルカー乗り場に到着し、山上の展望台までの往復運賃660円を支払いました。

天橋立ケーブルカーの開業は1927年8月、何と91年も前からあるということになります。・・・出発した大阪は快晴でしたが、裏日本の天橋立は雨。

高低差130mの傘松公園まで続くケーブルカー路線総延長は400m、最も急な勾配は24度、軌間は1067mm

天気は悪かったのですが、20170m・全長3.6kmという天橋立の全貌が見えてきました。



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近所の公園には6羽のウミアイサ(全長55cm)が渡来してきていますた。 

この池は海とつながっていて小魚も多いので、シベリアなどで繁殖するウミアイサには絶好の越冬地でしょう。

風の無い鏡のような水面を泳ぐウミアイサ

ウミアイサは潜水が得意で、30秒以上潜り池に生息する小魚をキャッチしていました。

ツル目クイナ科のオオバン(全長40cm)とカモ目カモ科ウミアイサ全長(55cm)の大きさ比べ

大きさを比べると、ウミアイサが大きい

池では6羽が頻繁に潜水しながら捕食活動していましたが、一斉に休んだ瞬間を何とか撮ることができました。

4羽が捕食活動を止めて移動中

6羽が捕食活動を止めて移動中



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 近所の公園では、ときどきハイタカの狩りを見ることができます。・・・ハイタカが小鳥(恐らくオオジュリン)をキャッチした瞬間

尾羽を広げて方向転換して

羽ばたくとキャッチした小鳥(オオジュリン)が見えています。

芦原を悠々と飛び去るハイタカ

下にキャッチした小鳥をしっかり持っています。

芦原を低空飛行

芦原から池の上へ

池の上のハイタカ

翼の裏側には、タカ特有の鷹斑(タカブ・鷹類独特の帯状の黒い模様)が見えています。



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昨日に続いて最近読んだ本から第二次世界大戦中の陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル元帥のことを近所の公園のウミアイサの写真と一緒に紹介しましょう。・・・ウミアイサが6羽渡来してきていました。

嘆願されたマッカーサー参謀総長は、すぐにマーシャルを元の大佐に戻し、陸軍最精鋭部隊だったジョージア州・第八連隊の司令官に任命、昇進のためのチャンスを与えたようです。

ところが1年後の陸軍査察官の定期査定では、マーシャルが指揮する第八連隊は陸軍最悪の連隊と査定され、52歳のマーシャル大佐の将軍への道は断たれたかに見えました。

査察官の報告書を見たマッカーサーは、昇進は難しいとパーシング大将に伝えています。連隊司令官を解任されたマーシャルは、市民保全部隊(大恐慌下での失業者救済のために国家的ボランティア事業機関)の監督官に左遷されています。・・・ウミアイサが魚をキャッチ

ところが、マーシャルが監督していた市民保全部隊(ボランティア機関)の一つがたまたま米国一と評価され、失業救済ボランティアに関心のあったワシントン高官やルーズベルト大統領夫人に認められるようになったのです。

最前線での実戦経験が無く、軍司令官としての統率力に欠けるとされて将軍への道が断たれていたマーシャルは、ボランティアィア機関監督官という実績から1936年に念願の将軍(准将)への昇進を果たしています。

准将に昇進したマーシャルは、1938年戦争計画担当の副参謀総長としてワシントンに赴任、翌年(1939年)ルーズベルト大統領は34人もいた先任将軍をさしおいてルーズベルト夫人が推薦するマーシャルを参謀総長(大将)に抜擢しています。

マーシャルが自身の回想録を書かず、人にも書かさなかったのは、実戦での軍功ではなくボランティア機関の監督官としての実績で昇進したこと、ルーズベルト夫人の推薦(その裏にはロックフェラー一族がいたとマッカーシーは書いています)で参謀総長(元帥)まで昇りつめたからでしょう。

第二次世界大戦中のマーシャルは、陸軍トップの参謀総長としてルーズベルトとトルーマン大統領を補佐、194412月にはマッカーサー大将より2日早く元帥に昇進、この時点でマーシャルはマッカーサーを追い抜いたのです。(アイゼンハワーもマッカーサーの2日後に元帥昇進)

参考文献:「共産中国はアメリカがつくった」Gマーシャルの背信外交 ジョゼフ・マッカシー著・本原俊裕訳



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最近読んだ「共産中国はアメリカがつくった」という本から、第二次世界大戦中の陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル(18801959年・以下マーシャル)のことを、夕暮れ時のカモの飛行写真と一緒に紹介しましょう。

著者のマッカーシー(19081957年)は、アメリカ共和党上院議員で共産党員と疑われた者への攻撃的非難行動(マッカーシイズム)で知られる人物ですが、彼がマーシャルを徹底的に非難したのがこの本でした。

太平洋戦争中の1944年(昭和19年)12月陸軍参謀総長マーシャル大将は陸軍元帥に任命され、その2日後に南西太平洋方面軍最高司令官ダグラス・マッカーサー大将(18801964年)、さらにその2日後にヨーロッパの連合国遠征軍最高司令官ドワイト・アイゼンハワー大将(18901969年)が元帥に任命されています。

マッカーサーとアイゼンハワーはよく知られた人物ですが、マーシャルは自身の回想録を書かず、人にも書かさなかったため米国でも日本でも知る人が少ないようです。

さて、マーシャルは1901年にヴァージニア軍事大学を卒業して陸軍に入隊。 第一次世界大戦(19141918年)中の1917年に陸軍少佐、ヨーロッパ派遣軍最高司令部(後方部門)の作戦計画担当参謀となっていますがその軍功は評価されていません。

一方、マッカーサーは、1903年に名門ウエストポイント陸軍士官学校を卒業して陸軍に入隊、第一次世界大戦ではレインボー師団の参謀長(大佐)として参戦(最前線の西部戦線)、レインボー師団の貢献度はアメリカ陸軍の中で2番目と高く評価され、マッカーサーは准将(将軍)に昇進しています。

実戦で軍功を挙げたマッカーサーは、大戦後に母校の陸軍士官学校校長に就任。そこでも辣腕を振って士官学校を改革したことで、1930年に早くも陸軍トップの陸軍参謀総長(大将)に任命されています。

マーシャルも1919年に大佐に昇進、ヨーロッパ派遣軍総司令官パーシング大将(18601948年)の副官となりますが、軍功が無かったため戦後少佐に降格、マーシャルはパーシング大将に直訴してマッカーサー参謀総長に昇進を嘆願してもらっています。

同じ1880年生まれのマーシャルとマッカーサーですが、二人が50歳となった1930年には少佐と大将という大きな差がついていました。

参考文献「共産中国はアメリカがつくった」Gマーシャルの背信外交 ジョゼフ・マッカシー著・本原俊裕訳



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あいかわらず近所の公園の野鳥シリーズですが、今回は新しい高倍率ズームカメラでモズ♀の大写しにチャレンジしてみました。

このくらいのサイズまでは、以前にも撮影したことがあります。・・・モズの背中左向き

モズの背中右向き

ここからがモズの大写し写真です。・・・この大きさのモズの写真撮影は初めてでした。

シャッタースピードを落としてできるだけ大きく写してみました。・・・先端の一部に切れ込みのあるクチバシと、その付け根から生えているヒゲまでちゃんと写りました。

クチバシ付け根のヒゲ、羽毛の細部までしっかり解像しています。

正面からも 

翼の細部を狙ってみましたが、ややピントが甘かったようです。

こちらは光沢のある足の指。後(こうし)の小さな丸いボツボツ模様の指紋まで写っていますが、モズの指紋を見た人は少ないでしょうね。・・・これからの野鳥の大写し写真にご期待ください。



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先日、出雲市にあるトキ分散飼育センターを訪ねてみました。・・・この日は早朝だったので、ケージの外からの見学となりました。

公式HPには<2011年1月佐渡トキ保護センターから2ペア(4羽)のトキが出雲にきて、出雲でのトキの分散飼育が開始されました>とあり、・・・曇り空だったせいで、ケージの中のアフリカクロトキがはっきり写りません。

<トキの分散飼育とは、鳥インフルエンザなどにより一挙にトキが絶滅する可能性を少なくするため、集中飼育していた佐渡以外で飼育すること>だそうです。・・・神戸どうぶつ王国のアフリカクロトキ。

<佐渡以外の国内でトキを飼育しているのは、石川県いしかわ動物園、長岡市トキ分散飼育センター、出雲市、多摩動物公園の4か所>・・・神戸動物王国のアフリカクロトキ

<2012年、出雲で初めて自然孵化に成功。2014年には出雲のトキが17羽となり、同年11月に佐渡に11羽を移送>・・・シロトキとショウジョウトキのケージ

2016年11月にも幼鳥3羽と成鳥ペア2羽を佐渡に移送。成鳥ペア2羽を受け入れ>・・・神戸どうぶつ王国のシロトキ

2017年10月には幼鳥3羽と成鳥♂1羽を佐渡に移送。♂1羽を受け入れ>と着々と繁殖の成果を上げています。・・・神戸どうぶつ王国のショウジョウトキ

<出雲市トキ分散飼育センターでのトキの産卵数は、2011年から2018年までの8年間で140個>・・・ムギワラトキは見つかりませんでした。

<2011年から2018年までの8年間では41羽が孵化、37羽が巣立ち、そのうち佐渡で31羽が放鳥されています>出雲トキ分散飼育センターは日本のトキ繁殖に相当役立っているようですね。・・・ショウジョウトキ



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近所の公園の池にウミアイサが渡来してきていました。

光彩が赤いので♀の成鳥のようです。

このウミアイサが♀という理由が下の写真。白い次列風切羽の前部の中小雨覆が濃い灰色です。♂のエクリプスと成鳥は中小雨覆が白となります。

ウミアイサ♂の1年目冬羽は、♀と同じなので羽の色で性別を見分けるのは困難ですが、幼鳥の光彩が橙色なので、この個体が♀ということが判ります。

黒いカモ(キンクロハジロ♀)とずっと一緒にいました。ウミアイサの足は赤

首から胸にかけて面白い模様がありますね。

腹部は白に近い黄色

腹部の羽繕いしながら泳いでくれていました。

頭の短い冠羽もウミアイサ♀の特徴です。



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この季節、近所の公園に行くと、池に北国から渡来してきた多くのカモ達が休んでいます。

カモ達は、猛禽類が出現すると、一斉に飛び出します。・・・オナガガモ

こちらはヒドリガモ

ヒドリガモ

オナガガモ

オナガガモの集団飛行

これもオナガガモ、先頭と後方から3番目が♀で、あとは♂

白灯台とオナガガモ

神戸の御影辺りを背景に飛ぶオナガガモ



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近所の公園の杭に止るミサゴの連続写真です。・・・かなり下から杭に接近しています。

翼を強く羽ばたいて上昇

杭の頂部はもうすぐ近く

ミサゴの頭と杭の頂部がほぼ同じ高さに

ミサゴの頭が杭頂部よりやや上にきたら足の指を広げて

杭の頂部を足の指で掴む寸前

まだ杭の頂部を掴んでいませんが、足の指はいっぱいに広がっています

杭の頂部に止りました

羽ばたきながら足の位置を調整し、バランスを取っています。



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大阪市内の公園の池に多くのカモが渡来してきています。

そこに突然猛禽類のチュウヒが出現。

すると、カモ達は一斉に飛び立って避難。

逃げ遅れれば、チュウヒに捕食されるという恐怖からか正にパニック状態。手前の2羽はダイシャクシギ

池の周囲を旋回しながらチュウヒが去るのを待っています。

背中の白い2羽は、カモでは無くダイシャクシギですね。

チュウヒが飛び去ると、再び池に戻るのです。

チュウヒの姿に驚いて飛び出したダイシャクシギの姿を2枚だけ紹介しておきます。

干潟のカニを捕食するために進化したダイシャクシギのクチバシ



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大阪市内にある近所の公園には、ユーラシア大陸北部の繁殖地からカモ達が越冬にやってきています。・・・マガモ

日本の野鳥590という本には、マガモは日本に渡来するカモ類の中では最も数が多いと書かれています。

しかし、大阪市内ではマガモよりもオナガガモの方が渡来する数が多いような気がしていますがどうでしょう。

マガモの飛行を下から、地味な色の2羽は♀でしょう。

こちらはこの公園で最も数が多いオナガガモ

派手な色をした先頭の2羽はオナガガモ♂、後方の2羽は♀でしょう。

オナガガモの♂♀が大編隊で飛行していました。

船を背景としたオナナガガモ編隊

30羽くらいはいたと思いますが、かなりの数の集団飛行でした。



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アメリカの野鳥図鑑「The Shorebird Guide」(直訳すれば渚の野鳥案内)という本をアマゾンで見つけたので購入してみました。近所の公園のダイシャクシギの写真と一緒に紹介しましょう。

その本には日本に渡来するシギチドリは勿論、北アメリカでしか見ることができないシギの写真が一杯で、英文を読めなくても写真を見るだけで十分な価値がありました。

「ダイシャクシギ」をネット翻訳」するとCurlew(カーリュー)と出てきますが、この本には「ロングビルドカーリュー・Long・Billed・Curlew」と掲載されたシギが出ています。直訳すると「長いクチバシのダイシャクシギ」

アメリカに分布するLong・Billed・Curlewは、ダイシャクシギというよりもホウロクシギ(ファーイーストカーリュー far Eastern Curlew)と似ているようです。

Long・Billed・Curlewは、19世紀頃にはありふれた野鳥でしたが、最近では(特に大西洋沿岸で)希な野鳥となっていて全世界の推定生息数は2万羽とか。

繁殖は3月末から4月初旬、抱卵は2731日間、ヒナは孵化後3845日で飛行することができ、24年後には最初の繁殖が可能とあり、日本に渡来するダイシャクシギも同じでしょう。

日本に渡来するダイシャクシギは(Eurasian・Curlew ユーラシアン・カーリュー)という名前で出ていました。

ユーラシアン・カーリューの全長は50~60cm(手元にある日本の野鳥590には60cm)、翼開長80~100cm、重さ500~1360gと記載されていました。

一方、北アメリカに分布するロングビルドカーリューの全長は50~65cm、翼開長76~99cm、重さ445~792g。全長はダイシャクシギより少し長く、翼開長や重さはやや小さいようです。



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近所の公園に渡来しているダイシャクシギとチュウシャクシギの大写し写真を紹介しましょう。・・・クチバシが巨大なダイシャク

葦の葉が被ったダイシャクのクチバシ

逆光気味のダイシャクですが、上のクチバシが下クチバシよりやや長いようです。

順光のダイシャクのクチバシ。クチバシの付け根にある鼻の穴が細長い

こちらはチュウシャクシギ。ダイシャクよりも頭が小さいせいか目が大きく見えますね。こちらも上クチバシが下クチバシより少し長いようです。

チュウシャクシギのクチバシはダイシャクよりも短いけれど、鼻の穴はダイシャクと同じように細長いようです。

チュウシャクシギには、クチバシの付け根から頭頂部に向けて白い線が通っていますが、ダイシャクには見られません。

クチバシの色は上が暗い肉色で下が明るい肉色。これはダイシャクとチュウシャクで共通しています。

最後にダイシャクシギの尾羽の大写しです。尾羽中央の2枚は先端がすり切れていますが、左右に6枚づつあり計12枚でしょう。この数はチュウシャクも同じです。



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