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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



東芝の経営危機を書いた本を読みましたので、神戸どうぶつ王国のモモイロペリカンの飛行写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が本からの引用

<東芝がウエスティングハウス(以下WH)を切り放すチャンスは2度あった。一度目は東芝社内でWHの減損処理がささやかれ始めた2009年、この時点で6600億円の買収金額が、WHの実力を遥かに超えたものであることは判っていた。しかし、当時の西田会長、佐々木社長は根拠もなく神風が吹くのを待った>

<二度目は福島第一原発事故の時だ。あの時点で世界の原発投資が減少に転じることは、誰にでも容易に想像できた>・・・ペリカンの風切り羽もコウノトリと同じ白黒模様

<原発撤退を決めたシーメンス(ドイツ)や、原発事業にはっきり「退却」の意思を示したGE(米国)など、ライバルたちの動きを見ても、原子力が成長産業でなくなったことは理解できたはずだ>

<それでも東芝はアクセルを踏み続けた。あるいはブレーキを踏むことを許されなかったのかも知れない。(アクセルを踏み続けるよう東芝に迫った)官僚(経済産業省出身の首相秘書官)がいたからである>・・・こんどは正面から

<官僚といちばん深いところで呼応していたのが東芝名誉顧問の西室泰三だった。西室は東芝会長を退いてもなお、西田や佐々木をコントロールし続けた。西室にその動機を問えば、恐らく「日本国のため」と答えるだろう>西室顧問から見れば日本国をリードするのは官僚、それに忠実に動くのが東芝となるのでしょう。

<西室ほど国策に忠実な経営者はいない。彼が社長だった日本郵政は、2015年にオーストラリアの物流企業トール・ホールディングス(以下トール)を買収した。民営化後の日本郵政の海外事業拡大は、西室と官僚の合作による「国策」だった>トール買収の裏にも官僚がいたとは。

<しかし、トールの業績不振を受け、日本郵政は2017年決算でトールの「のれん代」4003億円を一括減損処理することを決めた。西室は日本郵政に転じて「会社の操縦桿を官僚に預ける」という東芝時代と同じ過ちを繰り返した>

<官僚が企業経営に介入することの最大の問題点は、官僚の匿名性にある。官僚とは国家試験に合格した公務員であり、国民に選挙で選ばれた議員や株主に選ばれた企業の取締役のように結果責任を問われない>東芝危機の裏に官僚がいたとは。そいうえば日本を敗戦に導いたのも税金で給料をもらっていた陸軍省・海軍省の高級官僚たちでしたね。

参考文献:東芝原子力敗戦 大西康之著



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天王寺動物園にいるキジ科の鳥を紹介しましょう。ベトナム中部に分布するコサンケイ♂の虹彩は茶色

コサンケイの雌雄。♀が地味、♂が派手な羽色というのがキジ科の特徴です。

チベット、インド、ネパールに分布するヒオドシジュケイ♂

フィリピンのパラワン島固有種というパラワンコクジャク♂

キジ科・コクジャク属なのでクジャクのように尾羽を立てて円く広げることができるようですが、次の機会に撮影してみたいと思います。・・・尾羽の模様

きわめて派手な羽色で知られるのが♂のニジキジですが、こちらは♀のニジキジ

チベット、インド、ネパールに分布するニジキジ♂。首の周りの羽毛の配列が♀と似ていますね。

北海道と対馬を除く日本各地に分布するキジ♂の羽毛も他のキジに負けていません。天王寺動物園のキジ舎は、日当たりが悪く暗いのでちゃんとした写真となりませんでした。

キジ科の鳥の隣にいたのはオーストラリアに分布するカワセミの仲間の最大種。ワライカワセミ(体長44cm)



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昨日の記事に続いて天王寺動物園の鳥を紹介しましょう。フラミンゴ

フラミンゴは、アフリカ・中南米などの塩湖や干潟に分布。・・・虹彩は薄い黄色

やや薄い色をしたフラミンゴ

オーストラリアに分布するコクチョウの虹彩はピンク色。コクチョウの羽毛は黒色ですが、初列風切羽から二列風切羽の外側にかけて白色というので次の機会に撮影してみたいと思います。

シベリアから北アメリカ北部などに分布するカラフトフクロウ(体長84cm)の虹彩は黄色

カラフトフクロよりもやや北に分布するシロフクロウ(体長60cm)の虹彩も黄色。夏羽には黒も混じりますが、冬には純白に替わります。

留鳥として九州以北に分布するオオタカ(体長♂50cm・♀58cm)の虹彩は鮮やかな黄色

ユーラシア大陸北部に分布、北海道北部でも少数が繁殖するオジロワシ(体長♂83・♀92)の虹彩はくすんだ黄色

ユーラシア大陸中部に分布するソウゲンワシ(体長♂62cm・♀81cm)の虹彩は薄い茶色の見えます。



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昨日の記事で紹介したコサギの手前にいる赤いクチバシの大きな鳥は何でしょう。

ヨーロッパ・北アフリカなどに分布するシュバシコウ(朱嘴鸛)です。

日本のコウノトリと違いシュバシコウは全世界に23万ペアもいることが確認されているとか。・・・餌のエビをキャッチ

シュバシコウの風切羽は、コウノトリと同じピアノの鍵盤模様です。

初列風切羽の先端5枚は黒、その内側から次列風切羽までが黒と薄い灰色に別れています。

風切羽の前にある初列大雨覆も黒と灰色、その前にある初列中雨覆は白、小翼羽は黒、前縁部は白

シュバシコウは、クチバシの中にエビを放り込んで食べていました。同種のコウノトリも同じように捕食することが知られています。

こちらが日本のコウノトリ。眼の虹彩は白。クチバシは灰色

コウノトリの仲間の虹彩が黄色いクラハシコウ♀、天王寺動物園では見ることができませんが変わった鳥ですね。



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体が比較的小さく、足の指が黄色いサギはコサギ(全長61cm)です。お山の大将のように岩の上に屹立していました。

その岩に飛び乗ったのはゴイサギ(全長57cm)の幼鳥(別名ホシゴイ・以下ホシゴイとします)

ゴイサギの幼鳥には白い(星のような)斑点があるのでホシゴイと呼ばれるとか。・・・コサギに睨まれ、少しビビッています。

コサギが近づいてきて翼を広げ、威嚇しはじめると、ホシゴイも負けずに翼を広げて対抗

コサギは翼をたたみ、飾り羽を立てて鋭い眼光で威嚇

ホシゴイは、その剣幕にたまらず逃飛してしまいました。

そのホシゴイに向けてコサギがさらに威嚇の声を上げていました。

最後にホシゴイの虹彩も紹介しておきましょう。オレンジ色

ホシゴイが成鳥するとゴイサギと呼ばれますが、虹彩はより赤くなるようです。



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昨日の記事に続き、ツルの虹彩を紹介しましょう。冬季、鹿児島県出水の多数飛来するナベヅルです。かつて大阪にも飛来していたようで、鶴見区などの名前に残っていますね。

ナベヅルの世界生息数は1万羽といわれ、その90%が鹿児島県出水に飛来してで越冬することが知られています。ナベヅルの虹彩は赤。

タンチョウは虹彩の色が違う他、クチバシがより長く、眼の下から頸部が灰色(ナベヅルは白)。

アフリカ大陸に分布するホオジロカンムリヅルの虹彩は白、繁殖期には白い頬がやや赤くなります。

チベット高原に分布し、8000mもあるヒマラヤ山脈を越えて越冬地に渡るというアネハヅル。

アネハヅルの虹彩はオレンジ色

ソデグロヅルの虹彩。日本に分布するタンチョウの虹彩と他のツルの虹彩が、これほど違っているとは、ちょっとした驚きでした。

ツルとは分類学上の目が違いますが、ツルにちかい大きさのコウノトリの虹彩(淡黄色)も紹介しましよう。

ヨーロッパに分布するシュバシコウの虹彩はタンチョウと似た濃茶色。クチバシだけでなく虹彩の色にも違いがありますね。



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天王寺動物園にいるツルの眼の虹彩を撮影してきましたので紹介しましょう。・・・タンチョウの虹彩は日本人の眼とよく似た濃い茶色

タンチョウは釧路地方などで繁殖していますが、自然の中ではこれだけ近づけないでしょう。・・・赤い皮膚が露出した頭頂部

インド北部・中国・ブータン・ベトナム北部に分布するオグロヅルの眼

オグロヅルの虹彩は黄色という本もありますが、この個体は淡黄色でした。

ソデグロヅルはアフガニスタン・イラン北部・インド北部・中国などに分布、鹿児島県出水に越冬のためにまれに飛来することもあるようです。

ソデグロヅルの虹彩は黄色か淡黄色と本にありますが、この個体はほとんど白でした。

オオヅルはインド北部・東南アジア東北部などに分布。眼の後ろの白い部分は耳を覆う耳羽

オオヅルの虹彩は黄色かオレンジがかった黄色という本もありますが、この個体は赤でした。

日本に分布するタンチョウの虹彩と他のツルの虹彩が、これほど違っているとは、ちょっとした驚きでした。



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特別天然記念物のコウノトリ(全長112cm)ですが、わざわざ遠くまで行かなくても、大阪(天王寺動物園)で、じっくり見ることができます。

江戸時代、但馬(豊岡市周辺)の出石藩がコウノトリを保護していた関係で、豊岡周辺には相当数生息していたようですが、1930年(昭和5年)の但馬地区での生息数は約100羽と激減しています。

その後の戦争の混乱や、害鳥として駆除されたことで豊岡市周辺の生息数は1956年に20羽となり、最後の個体が1971年に捕獲されたことで、日本産コウノトリの野生種は絶滅しています。

豊岡市の「兵庫県立コウノトリの郷公園」の公式HPによれば、その後ロシアから寄贈されたコウノトリの繁殖を1989年に成功させて以降、繁殖が軌道に乗り、現在約100羽のコウノトリを飼育しているそうです。

2005年からはコウノトリの試験放鳥が開始され、2007年に野生下でヒナが誕生、2012年には野外生まれの両親からのヒナも誕生、2018年6月現在、国内における野外生息羽数は128羽(飼育個体と合わせると228羽)、全国47都道府県でコウノトリの飛来が確認されるまでになっています。

海外におけるコウノトリは、東アジアに推定2,0003,000羽とされ、中国北東部・ロシア南東部のアムール川・ウスリー川流域で繁殖、ごくまれに大陸系の亜種が冬鳥として日本に渡来することがあるとか。・・・野生のコウノトリではこれほど近くから撮影できないでしょう。

そんな希少なコウノトリですが、去年、島根県でサギと誤認したハンターによって繁殖中の親鳥が殺される事故がありました。しかし4羽のヒナは兵庫県立コウノトリの郷公園で無事に育ち、成長したヒナは島根県で放鳥されたようです。

このコウノトリの翼を上から見ると、初列風切羽と次列風切羽が縦に黒とグレーに分かれていて、まるでピアノの鍵盤のように見えたりします。

この特徴はヨーロッパのコウノトリ(シュバシコウ)も同じで、同一種(両種の2代雑種まで有)とする意見もありますが、両種は激しく争うので繁殖は容易ではないようです。天王寺動物園ではコウノトリとシュバシコウの両方を近くから見ることができます。

 



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620日の朝日新聞に平井一夫ソニー会長(57歳)183月期(1年間)に受け取った報酬が27億円という記事がありましたが、昨日に続きソニーのリストラをインコとオウムの写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が本からの引用

新聞記事には<平井氏は赤字事業の見直しや人員削減を推進、183月期の営業利益が20年ぶりに過去最高を更新するなど、業績回復を果たした>とあります。その裏にはリストラ対象となった多くの社員の悲劇があったようです。

ちなみに有価証券報告書によれば、2011年までソニーのトップだったストリンガー氏の報酬は20098.2億円、20108.8億円、20114.7億円、平井氏は1年でこれを大きく上回る報酬を受け取ることになります。

2012年に新社長に就任した平井一夫氏は、新経営方針(第5次リストラ)を打ち出したが、この制度で20134月から課長職は53歳、部長職でも55歳になると、みんな統括職(部下を持つ管理職)を解かれ、部下を持たない管理職に降格される>

<(2012年の平井氏の方針)それは単に管理職のプライドを奪い、働き甲斐のある仕事の場を奪うというだけではない>

元副社長が言う「あれで優秀な中堅幹部までが落ち着かなくなりました。55歳までに統括部長の上の事業本部長クラスに到達していない部長、あるいは53歳までに部長になっていない課長は、いずれも管理職としては終わり、不要の烙印を押されるということです」>

<「先々の役職を考えて開発に携わるなんて仕事になりません。給料ならともかくプライドがある人は辞めちゃいます。そんなつもりで入ったソニーじゃないんだからね」だから新制度は部課長級(の働く意欲)に深刻なダメージを与えた>

<これまでリストラ部屋とは無縁だと思っていた、名の通ったエンジニアや名物社員たちにも新たな生き方を迫ったのである>

ソニーを辞めた優秀な技術者たちは、韓国・台湾・中国等のメーカーにヘッドハンティングされ(その技術によって完成した高性能製品によって)日本メーカーを打ち負かすようになったとも言われています。2012年以降急成長した外国企業の成功の裏には、平井氏が実行したリストラの恩恵があるのかも知れません。

参考文献:切り捨てSONY リストラ部屋は何を奪ったか 清武 英利著

 



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昨日(620日)の朝日新聞に平井一夫氏(57歳・20124月ソニー社長、184月からソニー会長)が183月期(1年間)に受け取った役員報酬額が20億円という記事が出ていましたが、SONYのリストラを紹介した本とコチドリの雛の写真を一緒に紹介しましょう。・・・<・・・>が本からの引用・・・これは親鳥

<ソニーと言えば、井深が東京通信工業の設立意趣書に記した理想「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場」が引き合いに出されるが、改革者を自負する出井はそれをこう評している>

<井深さんや盛田さんが作った自由闊達の池があって、そこでみんなが楽しく泳いでいます。けれども池からはお金がじゃんじゃん流出している。その先には倒産の滝が待ち構えている>

<改革を目指す出井が選択したのがジャーナリスト出身の米国人ストリンガーをCEO兼会長、中鉢良治を社長に据えるトップ人事である>

<ストリンガーは、モノ作りについては全くの素人だった。だが、出井は「自分がいなくなった後、世界全体が判る人間」と評価し、日本のことは中鉢を社長にして補強すれば良いと考えていた(中略)>

<盛田の出井に対する評価は必ずしも高いものではなかったという証言もある。「出井さんが社長に抜擢されるとき、盛田さんは療養中でした。残念ながら思考能力は無かったはず。出井さんを選んだのは大賀さんの独断でしょう」>

<大賀さんは、後に「あの(出井を社長にする)指名は僕の大失敗だった」と悔やみ、外国人ジャーナリストにははっきりと期待外れだと語り、時には出井さんを罵る言葉を使っていました>

<大賀社長は実力者だったが、井深さんや盛田さんにはビビッていました。でも大賀さんが社長に選んだ出井さんはOBの意見など聞きませんでした>

<ソニーの「井深会館」の壁には、ソニーの功労者と認められたメンバー27人の写真があるが、その中にソニーを危機に導いた出井とストリンガーの写真はない>

参考文献:切り捨てSONY リストラ部屋は何を奪ったか 清武英利著



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後三条天皇の第一皇子として生まれ、1086年頃から鳥羽離宮を造営した白河天皇(10531129年)について鳥羽離宮の中にあったという城南宮と一緒に紹介しましょう。・・・東の鳥居

1072年、後三条から譲位され、20歳(数え年・注記ななければ以下同じ)で即位すると、翌年に父親の後三条上皇が病没、後三条上皇は、白河天皇の異母弟を皇太弟としていましたが、異母弟が薨去したことで白河天皇(数え年・34歳)は、実子で8歳の堀河天皇(10791107年)に譲位しています。・・・摂社の真幡寸神社

白河上皇は、幼帝を後見するために自ら政務をとる「院政」を敷き、以後も摂政関白を置きませんでしたが、藤原家長者の地位を保ちたい藤原師実(10421101年)が上皇との争いを好まない人物だったため摂政関白は次第に名目上の存在となっています。・・・絵馬舎

堀河天皇は、成人すると関白・藤原師通(師実の実子・10631099年)とともに親政することとなり、出家した白河法皇もこれを許容していました。

ところが師通が急逝し、堀河天皇も29歳で崩御、その皇子で白河法皇の孫に当たる鳥羽天皇(11031156年)が1107年に5歳という若さで即位、白河法皇(当時55歳)が摂関に替わって政治を担当するようになっています。・・・拝殿

再び政治的権限を掌握した白河法皇は、叙位・除目に介入する人事権も掌握、鳥羽天皇践祚後最初の除目では、院の近習を実入りの多い国の受領に任じたりしています。・・・拝殿

更に後三条上皇の遺訓を巡る争いがあった教訓から、堀河天皇・鳥羽天皇の異母兄弟(それぞれ有力な藤原氏の外孫)に対しては、親王宣下も臣籍降下も認めずに出家させ、皇位継承権を剥奪したことで、有力な藤原氏からの恨みを買っています。・・・前殿

さらに112321歳となった鳥羽天皇にも譲位を迫り、曾孫で5歳となった崇徳天皇(白河法皇の実子説が有力:注)を即位させるなど、43年間にわたる専制的な院政を続けたのでした。(注:崇徳天皇が懐妊したとき鳥羽天皇は満15歳・白河法皇は満65歳)前殿から拝殿

このころから権力の基盤となる「天皇家の家督」を相続した人物(上皇・法皇)を、「治天の君」と呼び「治天の君」が天皇をコントロールするようになります。白河法皇が1129年に77歳で崩御すると、鳥羽上皇(27歳)が「治天の君」となり、崇徳天皇(11歳)に譲位を迫りこの遺恨が保元の乱につながるのです。・・・西の鳥居



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先日はコチドリ(全長16cm)の雛を紹介しましたが、チドリ科の仲間では最大のケリ(全長36cm)の雛を紹介しましょう。

近所の空き地の小高い場所にケリの繁殖地があり、ケリの眼と同じくらいの低い位置から見ることができました。

日本にいるチドリ科の鳥の中では最大種なので、黄色い足(脛=人間の脛と同じ+跗蹠=人間の足首から足指の付け根まで)が長いですね。

横からの朝日を受け、眼にキャッチライトが入ったので表情をうまく捉えることができました。

黄色い左脛の前に見える黒い足は雛のものでしょう。

ケリの雛が親鳥の下から出てきました。チドリ科の野鳥なのでコチドリの雛とよく似ています。

チドリの仲間は、孵化するとすぐに自分で歩いて餌を探し出します。

その間、親鳥は見守るだけで餌を与えようとはしません。

雛が餌を探している途中、カラスなどの天敵が近くに飛来することがありますが、親鳥がすぐにスクランブル発進して迫力ある鳴き声で威嚇し、撃退していました。



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近鉄京都線・竹田駅(京都市伏見区)の南西部は、平安時代後期に鳥羽離宮があった場所で、白河上皇(10531129年)が自らの墓所として三重の塔を中心とした安楽寿院を造営しています。・・・交差点にあった地図には安楽寿院のすぐ西にある鳥羽天皇陵が記載されていませんでした。

白河上皇と言えば、往復1か月もかかる熊野に9回も詣でた人物として知られています。 その5回目は、寵愛する待賢門院璋子(孫にあたる鳥羽天皇の妃・11011145年)の安産祈願であったとされ、子ども(崇徳天皇・11191164年)は無事生まれています。・・・白河天皇陵

しかし、当時から鳥羽天皇(懐妊時にはまだ満14歳・11031156年)の子ではなく、祖父の白河上皇の子であったらしいとの噂があり、また白河上皇も崇徳を溺愛し、1123年に鳥羽天皇を退位させ4歳の子供を崇徳天皇として即位させたことは以前に紹介したことがあります。・・・宮内庁の表示板

鳥羽上皇も熊野に21回も参詣した活力のある人物で、安楽寿院には本御塔と新御塔の2つの塔を造営、本御塔を自らの墓所と定め、新御塔は美福門院(待賢門院より16歳若い鳥羽上皇の妃・近衛天皇の生母・11171160年)の墓所と予定していました。・・・鳥羽天皇陵

白河上皇(76歳)が崩御してから13年後、鳥羽上皇は美福門院が生んだ皇子が3歳となったのを機に祖父の子と想定される崇徳天皇に譲位を迫り、実子を近衛天皇としますが、近衛天皇は1155年に16歳という若さで崩御しています。・・・宮内庁の表示板

次の天皇位は、待賢門院璋子が生んだ近衛天皇の兄にあたる後白河天皇(当時27歳・11271192年)が継ぎますが、後白河天皇も熊野に34回参詣するエネルギッシュな人物でした。・・・鳥羽陵の裏が安楽寿院

鳥羽法皇(53歳)は翌1156年に崩御、その4年後に亡くなった美福門院は、墓所として高野山を希望したため、安楽寿院新御塔は5年前に崩御した近衛天皇の御陵となり、860年以上前に亡くなった白河、鳥羽、近衛の三天皇陵が近い場所に現存することになったようです。・・・近衛天皇陵

 

退位した崇徳上皇もこの辺り(鳥羽離宮)に居住していましたが、鳥羽法皇崩御直後の保元の乱(1156年)で母親が同じ実弟の後白河天皇方に敗れて讃岐に配流され、そこで8年後に崩御、御陵は今も讃岐国(香川県坂出市)にあります。・・・宮内庁の表示板

 

鳥羽法皇と崇徳上皇がいなくなったため、後白河天皇(生母は待賢門院璋子)は、1158年に二条天皇に譲位して上皇となり、平清盛を手玉に取りながら熊野に34回も参詣するなど人生を謳歌したのでした。・・・近衛陵と接近している安楽寿院



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6月中旬は、多くの野鳥の雛が孵化して急速に成長する季節です。近所の空き地で孵化したコチドリの雛を紹介しましょう。

上の写真もそうですが、野鳥の雛の保護色は良くできていて、見つけるのは大変です。雛鳥が目立つ体色をしていた野鳥は、ここまで進化する前に絶滅したのでしょう。

カメラを構えていると、近くまで寄ってきてくれました。

孵化したコチドリは24-29日程で飛翔できるようになり、その後8-25日で独立するそうです。ウィキペディア

コチドリの親鳥は、雛に餌を与えることはなく、雛が勝手に歩いて餌を探し食べているようです。

それでも親鳥を探して雛が遠くまで歩く姿を見ることもありました。

こちらがコチドリの親鳥

左が雛、右が親

コチドリの頭掻きは、足を翼の上から出す間接法でした。



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税金面で優遇されているシンガポールに移住した「日本人富裕層の実態」が最近読んだ小説の中に出ていましたのでバラの花の写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>が小説からの引用

<けた外れのカネを持つ日本人や日系コリアンと会っても、多くの家庭が崩壊している。もともと税金のために移住しており、シンガポールが本当に好きで来たわけではないのだ。金持ちやその息子の場合には節税という、はっきりとした目的があるから我慢もできるが、女性にはその意識が希薄だ>

<しばらくすると、まず妻や息子の嫁が「日本に帰りたい」とか「日本に残した親の面倒を見たい」などと言い出し、移住した一家がもめ始める>

<「お金を残すのはお前たち家族のためなんだ」男たちは、たいていそう言い張る。実は自身の欲に突き動かされているのだが、それを家族のためという大義名分で言い訳していることに気付かないふりをしている>か、実際に気が付かないのか。

<「俺は我慢をしているのに、お前たちはどうしてわからないんだ」(と男が言うと)「私は日本がいい。少々貧乏でも、やっぱり日本に住みたい」こうした争いの末、女たちは夫や息子を残してさっさと帰国してしまう>

<カネがあって愛人ができたというケースもあるが、結局夫婦は離婚。シンガポールの「あがり」(働かなくても豊かに生活できる)富裕層で家庭円満な人を探すのは難しい。最初に脱落するのは息子の嫁が多いという。これはシンガポール投資を勧める投資顧問業者の証言である>

<(富裕層の)妻たちには、もともと移住しようというモチベーションがなく、語学が不自由でローカル社会に溶け込めない。二、三年で帰国する現地駐在員とは世界が違い、友人のいないことが多い。中には自殺騒ぎを起こした人もいる。「こんな空しい思いをするくらいなら」と結局、節税を放棄して日本に帰国してしまうニューセレブも多くいる>

<シンガポールのプライベートバンクの中には相続税逃れで移住しようという資産家に(事前に)警告するところも出てきた。外資系のあるバンカーは節税のためにシンガポールに移住したいという金持ちに「我慢できませんよと、はっきり言います」>

さらに節税の<ブームに乗るのもいいですが、税金のために人生後半の貴重な5年間(今の日本では5年間を過ぎると非居住扱いとなる)何もしないで、(外国で)毎日ぼーっとしていられますかと、はっきり言います。国税庁が5年ルールを10年に改正してしまうリスクもあるんです」>・・・金持ちの節税も容易ではないようです。

参考文献:プライベートバンカー カネ守りと新富裕層 清武英利著



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