WALKER’S 

歩く男の日日

立春

2010-02-04 | 日記
 おはようパーソナリティ道上洋三さんが今朝の番組の冒頭でいきなり「春は名のみの風の寒さや、谷の鶯歌は思えど」と歌い始めた。今朝はまた相当冷え込んだ、枚方でも豊中でも氷点下、ここ姫路でもこの冬4番目の冷え込み、ー2.7℃を記録した。
 春は名のみ、という言葉はよく使われるけれど、この歌のことをよく知っている人は少ない。道上さんでさえ、2ヶ所ほど歌詞を間違えていた。『早春賦』、作詞=吉丸一昌、作曲=中田章。大正2年に作曲された唱歌。作曲した中田章は「夏の思い出」や「雪の降るまちを」を作曲した中田喜直のお父さんです。加藤登紀子さんの「知床旅情」が流行した頃、この唱歌と出だしのメロディがそっくりで盗作ではないかと一時問題になったことがある。作曲家の團伊玖磨さんは著書の中で、全く不毛な議論だと喝破した。同じようにドミソの分散和音で始まる曲ならベートーヴェンもピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第3楽章の第1主題で使っている、とまで言って、むしろ「知床旅情」の方が出来が良くて好ましい、と締めている。「早春賦」という歌は、如何にも大正初期の歌で、今はもう歌うにあまりに平板である。ということだけど、確かに、戦後は小学校、中学校の音楽の教科書にも載っていないようだし(ぼくの高校の教科書には載っていた)、この歌をしっかり歌える人は現代日本人の1%にも満たないだろう。でも、多くの他の大正や昭和初期に作られた唱歌とは違って今なお確かにその存在感を示し続けている。おはようパーソナリティでは今年最初の放送で「1月の暦」のコーナーでBGMとして使われたし、NHKの「お元気ですか日本列島」でも1月の最初の週のお便りのコーナーでBGMとして使われていた。1月の末にはテレビCMのBGMとして使われいるのも聞いた。最近では「知床旅情」より遙かに聞く機会が多い。この歌にはプロの作曲家の思いを遙かに超えた音楽の力が宿っているのではないかと思うこともある。
 作詞をした吉丸一昌は大分県臼杵市の人で、城下には彼の妻の実家である古い武家屋敷が残っている。そこが彼の記念館になっていて、「早春賦の館」と呼ばれている。数年前そこを訪れたとき、見学者がぼく一人だったので、学芸員の方にお茶を入れて貰ってほっこりした経験がある。
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