2010年8月11日の山梨日日新聞で、新校名は「善誘館小」 富士川、琢美 来春に統合 前身の名称復活の記事があり、『「善誘」が論語で「善(よ)く人を誘(いざな)う」という意味で使われているなど教育的観点から、新校名に選んだ』との解釈改訂版を読みました。
「青少年論語学習講座」で子罕第九-10を確認できました。なるほど、明治時代の山梨県人が命名された意味が理解できました。山梨大学の前身として徽典館(きてんかん)、その命名の由来と扁額の復刻など中国思想の影響を大いに受けた日本の歴史も考えれば素晴らしいと思ってます。
にもかかわらず、私は「城東小学校」が良いと思います。「善誘館」は行政地域町内会(自治会)組織構成の核にもなっている甲府市立小学校にふさわしいとは思えません・・・「善誘自治会連合会」をお使いになるかどうかはわかりませんが。
甲府市教育委員会におかれましては自ら省みて(※)再考をお願いしたい私は県外人です。
※ この事は過日の参院選についていろいろ見ていて気付いた事なので別な記事で述べたいと思いますが、県外人が口を挟むことでもないので考慮中です)
「善誘館」については平成22年8月10日市長定例記者会見で校名についての発表があり、その歴史や語義に関しても丁寧な説明があったことをWebページから確認しましたので、追記しておきます 2010.08.11
2010年8月10日夕方、富士川・琢美小統合 「善誘館小」にとのニュースを見ました。山梨日日新聞の記事も出ました
甲府市の富士川・琢美両小学校を統合し、来年の春に開校する新設校の名前が「善誘館(ぜんゆうかん)小学校」に決まった。 「善誘館小学校」の名前は公募で決まり、応募があった423件、212の候補の中から選ばれた。 「善誘館」は富士川・琢美両小学校の前身の学校名で、2番目に多く寄せられた名前。最も応募があったのは「城東小学校」だったが、甲府市は「明治5年に開校して以来、138年の歴史を経て再び統合される新設校にふさわしい」としている。 市によると、「善誘館」には「子どもたちを善い道に導く場所」などの意味があるという。 善誘館小学校は琢美小の校舎を引き継いで来年春に誕生する。
地域の方々には思い入れのある名前なのだと思います。でも私学の名前みたいだなと思いました。私学では建学の思想を表わす名前は多いと思います。でも公立の学校では建学の思想云々よりも蒸留水のような名前(しばしば地域の名前)が使われているように思います。
「子どもたちを善い道に導く場所」などの意味がある? 富国強兵に向かおうとする明治時代に名付けられた名称は蒸留水ではないように思えます。当時の為政者に国民に対する期待・少国民を育成する思いがあったはずです。
何が善であるか、公立小学校(行政)のどなたがお決めになろうとするのでしょうか、価値観を伴う名称は公立小学校としてはふさわしくないと感じました。
奉安殿を設置し二宮金次郎の銅像も飾る小学校にはふさわしい校名とは思いますが、最も応募があった「城東小学校」はおそらく最適なネーミングだろうと思いました。
私は先日来すごく不機嫌なのだ。 中央区の木っ端役人共がとうとう始めやがった!
◇ 明石小の解体始まる 区、「重文相当」振り切り 東京新聞 2010年8月10日
◇ 中央区立明石小学校の保存活動
◇ 明石小学校校舎を守るために
◇ 「明石小校舎は国の重文相当」 日本建築学会が解体する区教委に意見 東京都中央区 2010.7.21 産経新聞
◇ 明石小の保存求め 重文にする会設立 2010年8月6日 東京新聞
◇ 戦災逃れたモダンな「復興小」解体か保存か 東京・中央 2010年8月9日 朝日新聞
◇ 「中央小学校・明石小学校改築基本計画(案)」を策定しました。 中央区教育委員会のホームページには記事は掲載されている、2009年12月14日に作成された計画書PDFファイルもアップロードしてあるので、日付無しのこの記事もおそらく年末の公開だろうと思える。
だが、中央区地元の人々はどこまで正確な情報を得ていたのだろうか。
◇ トップページ > 教育委員会 > ニュースバックナンバー をざっと見たが、この改築計画についての記事はない。
◇ 中央区 > プレスリリースでもこの情報がはっきりと出ているとは思えない。
私は中央区の住民だった事はないが、日本橋とか銀座よりも入船、湊、明石町、人形町・・・に昔の東京を感じることが多かった。聖路加国際病院前の通りは馴染んだ道だった。入ったことはなくても明石小学校の景色には記憶がある。
しかし、今は小役人が東京を壊していく情報に接してもどうにもならない。「耐震構造がどうとか・・・」説明していたらしいが、教育環境とは箱物環境だけじゃないことを分かって無いヤツラが教育を語る姿に唖然とするしかない。
その苛立ちを甲府市にぶつけているわけじゃないが・・・何を大切にしたいかという気持ちはどこにいても変わらない。