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0815_286 山梨戦没者追悼集会が開催される事を赤池誠章議員のホームページから知りましたので参加しました。2008年8月15日、14時から山梨県地場産業センター(かいてらす)の会議室でした。私がこれに参加したのは、井尻千男(いじり かずお)・拓殖大学日本文化研究所所長の「戦後日本の共同体の崩壊」という講演があると知ったからです。

例によって予定は未定でしたから参加申込みもせず定刻ギリギリに到着、いただいた資料からは、この集会は「国家基本問題を考える山梨の会」主催と知りました。この会については名前だけは時々見ていますがホームページは見つかりません。赤池さんは顧問になっておられるのでご自身のホームページでも掲載されているのでしょう。検索で見つかったのが映画「南京の真実」山梨特別上映会を報じた2008年6月11日の「立ち上がれ!日本」運動情報・草の根ニュース記事、ここから確認できた「立ち上がれ!日本」ネットワークと連携している活動と思えます。

今日8月15日は日本武道館で「全国戦没者追悼式」、甲府の護国神社でも正午を挟んで戦没者追悼式が行なわれました。この集会も戦没者への黙祷に始まり、国旗に対して礼、国歌斉唱と続きました。
第1部は「私たちは忘れない-感謝と祈りと誇りを-」という映画の上映でした(日本会議、英霊にこたえる会制作)。検索すればこの映画に関する情報は多数ありますが、遊就館で上映されています。

0815_290 第2部が井尻さんの講演です。 井尻さんがお書きになった記事は日本経済新聞文化面で必ず拝読していました。探せば捨てずに残してあるクリッピングも手元にあるかも知れません。日経を退社された後のことは全く知りませんでした。

日本の戦後の問題は共同体の解体、崩壊であるという視点は私には実に新鮮でした(それだけ私が不勉強ということ)日本国憲法『第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。 』 この条文の意味するところを今日の井尻さんのように説明されたものを私はこれまで読んだことがありませんでした。私はどちらかと言うと「個人」の意味を考え続けている立場です。共同体、コミュニティは個人の集合体、ネットワークという姿としてどうあるべきかを考えています。それだけにこの第18条が書かれた意味、解釈は実に重いものを感じました。マックスウエーバーも読み直してみねばならないし、「私たちは忘れない」が描いた日本近現代史についても考察を深めたいと思います。いずれ後日のテーマになると思います。
帰る時に購入した「明日への選択 2008年8月号」(通巻第271号 日本政策研究センター)には「いかにして地方を再生するか」という井尻さんへのインタビュー記事が掲載されていました。『グローバリズムとコンシューマリズムによって破壊された日本の地域経済。今、求められているのは農業の再生を基本にした共同体としての都市と地域の再生である。』 今日の講演の中でも詳しくお話があったのですが、これはまさに私が追っかけをしている甲府市活性化とじかに関連する内容です。日経コラムの読者だった頃の私はこんな事は何も関心が無かったのですが、もしかすると潜在意識の中に井尻さんの記事から受けた訓えが残っていて、甲府に来てそれが活性化してしまったのか。井尻さんが山梨県のご出身だったのですから、因縁ともいうべきか、不思議な気持ちを抱きます。

赤池さんの閉会のご挨拶の中で映画「「ムルデカ」を山梨でも上映したいというお話がありましたのでメモしておきます。

0815_295 かいてらすを出てから護国神社に向かいました。護国神社には山梨県内出身戦没者の西南の役から太平洋戦争まで25,039人が祀られています。これから設置される灯籠が準備されていました。0815_296 盆踊りの支度もされていて、すでに子供連れの方々も幾組かお集まりになっていました。昨年は盆踊りの写真をいくつか掲載した記事になりましたが、今日は追悼集会ですこし疲れたので夜の外出は控えます。

0815_299 今日写真で残したかったのは境内にある「父の像」です。背景の建物は遺族会の事務所が入っているようで、この中には資料室もあるようですが閉まっていました。次の機会にしたいと思います。

台座に書かれている碑文は光の具合で読み取りにくかったのですが、殉国の戦士の遺児は亡き父への思慕と誇りを胸に母とともに強くたくましく生きてきた。戦争の悲惨と平和の尊さを後世に伝える為に終戦50周年を機にこの像を建立した、というような内容です。建立は平成7(1995)年4月。次に訪問できたら碑文を正確に修正します。資料室も拝観してみたいと思います。
他にも色々な慰霊碑があるようですから、時間をゆっくり取って訪問しないと、いつも中途半端な取材で終わってしまうのが私の悪い癖です。

注・25,039柱、あるいは25,041柱(2008年8月15日現在-読売新聞山梨版 8月16日記事)のようです。このような数字の管理については厚生労働省、山梨県庁、護国神社の三者関係があると思いますがどの値を採用すべきか迷いますので併記しておきます。祭祀については神社、戦没者の認定や統計値については官庁、そして官庁と神社の関係は多分靖國神社と同様でしょう。



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この記事をアップロードする頃には日付が変わって今日、8月15日終戦記念日(終戦の日)、敗戦「記念」では日本語としておかしいから「終戦」かと思っていますが、今年も時間を作って護国神社にはお参りしたいと思っています。図らずも12日に東條英機に関してブログに書きましたが、締めくくりはやはりインターネット・テーマになってしまったのもいつもの事でした。2008年7月30日の毎日新聞山梨版で、「甲府市副市長に就任した、宇野善昌さん」という記事を読んでいます、半月前の新聞記事ですがお盆休みということ(関係あるかな?)でブログにしておきます。ちなみに6月と8月には国民の祝日が無い、何故だろうといつも思います。東京にいた頃はお盆は7月で、月遅れのお盆の時期は民族大移動で都内から渋滞が無くなるという認識でした。甲府に来てからは7月15日を忘れています。2008年は旧暦7月15日が新暦8月15日となることを知りました。

2008年7月17日(木)の19時から甲府市中心商店街のイベントは熱気溢れたガチバトルでした、その時に私は新任の副市長、宇野善昌さんのお顔を拝見しお話を伺いました。特に印象に残ったこととして、『駅前に県庁があり、市庁舎、警察署、裁判所などの機関がそのまま残っている中心街というのは甲府の大きな特長として捉える見解を示されました。』とブログに書きました。
その後甲府市ホームページを探したのですが、副市長さん着任を知らせる「トピックス」が見つからず、「広報こうふ」8月号の「インフォメーション」で紹介記事がでました。しかし毎日新聞のインタビュー記事(人・かお・トーク)はよい記事でした・・・

甲府の第1印象は
◆初めて夜の中心街を歩いた時、通行量や開いている店が少なく、正直、「これは大変だ」と思った。甲府駅は、降りた時のワクワク感がない。駅は県外の人にとって窓口。山梨は観光や食べ物など資源はあるが、情報発信がうまくない。甲府駅は象徴です。
一方、山に囲まれ、心が和む景観が広がる。駅から車で30分も行けば、川や風の音を味わえ、都会の騒がしさから逃れられる。
甲府駅近くに、県庁、市役所、警察署などの官庁が集まっている。他県では、公共施設が分散している影響で、中心街が廃れた場所も多い。甲府は銀行も中心街にあり、業務面での中核性は失われていない。大きな強みだと思う。

これは私が感じたことと同じなのです。初めて甲府駅南口に降りた時、夜でしたがぞっとするような寂しさ、左手が山交百貨店だとは全く知らず、あたりは吸い込まれそうな暗闇、牛丼の吉野家の灯だけが暖かく迎えてくれたようにすら感じた事を鮮明に覚えています。
その一方で車で荷物を運んだ時には甲府南インターから地図を頼りに市街地に向かう途中、左側に続く緑々、今にして思えば荒川の土手だったのだと分かりますが、なんと素晴らしい道路なのだろうと思いました。そして仮住まいをお願いした知人の案内で街に出た時に、「シャッター通り」という言葉を説明されたのです。それは中心街、かすがもーるや銀座通りだったと思います。
その後ネグラが定まりましたが、あまり外に出ることも無くもっぱらモニターを前にしてキーボードを叩き続ける生活をしています。それでもちょっと外に出れば目の前に緑の山々が迫る、市内には緑が少なくても武田時代と徳川時代の二重構造を考えさせられる街並みがあり、歴史的な遺産が数多くあり・・・私のTO DOリストは増えるばかりでいっこうに消化できません。とうとう甲府に居座ってしまった異邦人となりました。

取り組むべき課題は
◆中心市街地の活性化です。近郊にはショッピングセンター(SC)があり、それで十分という意見もある。しかし、SCでは、コミュニティーが形成されない。心が通う、笑顔あふれる街作りのためには人と人が触れ合える空間が必要。県外の人にとっては、中心市街地は甲府の顔で元気のバロメーター。中心が寂れていると、再び訪れようという人はいなくなる。人口減少の中、観光やビジネスで甲府を訪れる交流人口の拡大は重要な要素だ。
中心の活性化では現在、全体が別々に動いている。商店街同士の連携など、全体で一体となった取り組みが必要だ。空き店舗問題にしても、女性や若者が甲府に戻ってくるよう、時代に合った店を協力して入れる必要がある。歩いてワクワクする街をトータルコーディネートしたい。

大型ショッピングセンターというのは「街」ではないと私は思っています。知らない土地へ出かけた時に道や施設の場所を尋ねるのにコンビニではだめだという経験を何度かしています。通いの店員さんは地元に詳しくない場合が多いです。「すみません、ちょっとお尋ねしますが・・・」と入るのは小売店が一番です、ほんのお礼の気持ちで買い物もできるお菓子屋さんとか酒屋さんとか。

宇野副市長は国土交通省からの出向とのことです。この夏には甲府市中心市街地活性化基本計画が固まるでしょう、新庁舎計画もそれに合わせて進んでいくと思います、まさに適材適所なのかと感じます。相互の連携も無く別々に勝手に動いているかのように思えるものをトータルにネットワークとして動かすことができれば甲府は必ず活性化すると私も思います。ご活躍をお祈りしたいと思います。



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