事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「天空の蜂」 (2015 松竹)

2015-09-30 | 邦画

東野圭吾の原作を読んだのはだいぶ前のこと。ストーリーはほとんど忘れているけれど、読み終えたときの印象ははっきりおぼえている。

「理系のひとはやっぱり違うなあ」

高速増殖炉の真上にヘリをホバリングさせ、全国の原発を止めなければヘリを炉に墜落させるとテロリストが脅迫……政治的、感情的に描こうと思えばいくらでもできるのに、情報を積み上げることで寸止めできている。

いまや大ベストセラー作家となった理系東野の、こんなこともできるんだと思わせた傑作。

原作がそんな具合だから、映画が面白くならないはずがない。ヘリに乗っていた子ども(目もくらむような高さなのにやたら元気です)をヘリで接近して救出する海猿パターンや、二転三転する展開にはうなる(特に、なぜ標的に高速増殖炉が選ばれたかはミステリの謎解きとして満点)。

にしても、原発をテーマにしてよくぞ映画化できたと思う。昨年につづき、「ソロモンの偽証」「日本のいちばん長い日」など、松竹は果敢に問題作に取り組んでいてすばらしい。金を出した木下グループは、さすがキノフィルムの本家だ。

原発推進、反原発のどちらに肩入れしても娯楽作品として成立しないのは自明。そこを、本店を中心にした電力会社の虚妄と、反原発運動の息苦しさのどちらも描くことでバランスをとっている。

まあわたしははっきりと反原発の人なので、犯人の“送られなかったメール”にはひたすら納得したし、彼が2011年3月12日(東日本大震災の翌日)に死んだという設定には感動までした。犯人が予告したように、わたしたちは一度“思い知らされた”はずなのだ……

ただねえ、役者の演技には文句がありますよ。誰とはいいませんが、うまい役者とそうじゃない役者の落差が大きすぎてしんどい。

ひたすら絶叫芝居に終始する技術者、メジャー映画の出演者とはいえないレベルの女性刑事など、どうにかならなかったのだろうか。テレビを映画のように撮り、映画をテレビのように撮るポリシーの堤幸彦にしては、ちょっと残念な演出。

まあ、わたしの世代にとっては、子どもを原発のために亡くした母親役で、あの山口いづみが出演していたので、それだけで満足はしているんですけど。そうです文系の人間は単純ですとも。


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