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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

朝まで生テレビ 第1夜

2008-07-13 | テレビ番組

Asanama  舛添要一が厚生労働大臣になり、まるであのスキャンダルまみれの男が将来の首相候補であるかのように一時はマスコミははやし立てられた。国際政治学者に畑違いの役割だな、と思いつつも、彼のもうひとつの売りは【母の介護】でもあったから、まあ適役なのか。

 アメリカ帰りであるだけで、およそ何ものでもなかった高市早苗は、閣僚(07年8月当時)でただひとり靖国神社に参拝するなど、タカ派ぶりを示している。

 いじめられっ子のような風貌の福島瑞穂は、なんと土井たか子の後継として社民党の党首(!!!)となり、「ソーリ!ソーリ!ソーリ!」の絶叫と秘書給与の問題(いま思えばかわいいものだった)で有名になったピースボートの辻元清美とともにはりきっている。

 小田実、上田耕一郎は亡くなり、民族派右翼の野村秋介は朝日新聞社内で自決し、「バカヤロー!」の罵倒芸が光った大島渚はリハビリのさなかにいる。

……初期の「朝まで生テレビ」に熱中していた身からすると、パネリストたちの現状は時の流れを否応なしに感じさせる。それにしても、だ。田原総一朗をセンターにずらりと並んだ当時のパネリストたちは、なんだかんだ言ってけっこう面白い連中ではなかったか。

これらのメンバーを集めたのは、番組のプロデューサーだった日下雄一(2006年1月5日朝、がん性胸膜炎で死去。59歳)。どのようにしてそろえたかといえば、要するに飲み屋でくどき倒したのである。だから政治家たちも含めて、彼らは意外に狭い人脈のなかから選ばれていたのだ。

 とりあげるネタもオキテ破りだった。天皇差別原発など、抗議電話が殺到しそうだったのに、長く続けるうちに(と同時に天皇ネタには民族派、問題には解放同盟のメンバーをパネリストに迎えることで)議論を冷静に受けとめてもらえるようになっていった。「朝まで生テレビ」じゃしょうがないか、という地点まで行ったのだから、これは勝ちだろう。さて、次回は【思い出の朝生】として今となってはなつかしいメンバーや発言を紹介しよう。

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