PART1はこちら。
19年前に別れた夫エドワード(ジェイク・ギレンホール)が、スーザン(エイミー・アダムスは例によって盛大に脱いでくれます)に送ってきた小説は、気弱な父親がドライブのさなかに暴漢たちに襲われ、妻と娘を失ってしまうというものだった。この物語が、劇中劇のように同じキャストで演じられるのだ。途中まで紹介すると……
・携帯も通じないような田舎道を、旧型のベンツで走る親子。
・二台のクルマ(荒々しいアメリカンなスポーツカー)が並走してベンツの進行をさまたげる。
・ようやく追い越したベンツに暴漢たちのスポーツカーが襲いかかる。
・妻と娘は連れ去られ、父親はひとり取り残される。圧倒的な孤独。
……ここから、得体の知れない刑事と父親の逆襲(=復讐)が始まるのだが、観客は同時に、エドワードとスーザンがどのようにして別れたのかを、スーザンの回想によって知ることになる。
そして途中で気づくのだ。
この小説の内容は、エドワードにとっての、当時の心象風景ではなかったか。旧型のベンツやスポーツカーなどは、人物を巧みに象徴しているのではないか。だから読みながらスーザンはひたすら動揺するのだと。
暴漢(世の不条理の象徴)のひとりを演じるのは、なんとアーロン・テイラー=ジョンソン。「キック・アス」でスーパーヒーローに憧れていたあの少年がこんなにムキムキになっているとは。さすが、23才も年上の女性と結婚するとちがいますね(意味不明)。
エドワードの弱気の裏返しともいえる刑事はマイケル・シャノン。新スーパーマンでゾッド将軍をやった人ね。あの悪相がエドワードの怒りの象徴だ。
そして、小説と過去がシンクロしているということに最後まで気づかない人物がいる。小説のラストと、その人物の孤独がうっすらとつながる。“娘の不在”はあざといくらいだ。
エドワードはかつてスーザンのことをまったく眠らないので「ノクターナル・アニマル」と呼び、小説と映画のタイトルが「ノクターナル・アニマルズ」なのも、いろいろと考えさせてくれる。傑作ですこれ。
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